大人たち

 スピーカーモードにして電話をかけると奴は数コールで出た。

『……何だよ?』

 あたしからの初電話に困惑と警戒感を滲ませた声音だった。だらだら話す気はないので要件だけ訊くとしよう。

「青春破綻者という単語に聞き覚えは?」

『はあ? 質問の意味がわからんが……。お前らがたまに言ってるわけのわからん言葉だろ?』

「あのー、私も含めるのやめてくださいってば」

『それがどうかしたのか?』

 いつも通り、アスマの不満は無視された。

「誰かの前でその言葉を口にしたことはある?」

『あるわけないだろ。一人のときでも口に出したことねえよ』

「十塚にも訊いてくれるかしら?」

『何なんだよマジで……』

 不快げに舌打ちをしながらも、近くにいたらしい十塚に声をかけるのが聞こえた。しばらくして電話口に声が戻ってくる。

『単語は知ってたけど、俺と同じで使ったことはないってよ。なあ、これは一体──』

「ありがと。じゃあ」

 通話終了。スマホをポケットにしまう。中でバイブレーションが鳴り出したが気にしない。

「あいつらから容疑者が増えたりはしていない、と」

「いい歳した大人が青春破綻者なんて単語を言えるわけないしね」

 言えるでしょう、別に。……え、言えるわよね?

 自分のセンスを若干信じられなくなりつつも、他に容疑者になりそうな人物がいないかを考える。……一年生のときはアスマ以外に言っていない気がするわね。

 纐纈の前で青春破綻者という単語を喋ったのは透明人間事件の際が初だった。女子トイレで話していたが、あの場にいたのは間違いなく三人だけだったはず。

 柘植に話したのはラブレターの一件のとき。校門の近くで話していたが、周囲には人っ子一人いなかった。

 夏目の前では麻騒動の帰り際に口走ったけれど、そのときも三人だけの空間だった。

 そして蕨野に言ったときにいたのは明月と十塚だけ……。

 ここ最近、あたしが青春破綻者という単語を発したのはこのくらいか。あいつらがあちこちに吹聴していない限り、今のところの容疑者と呼べるのはやはりこの四人だけかしらね。

 不意に扉ががらりと開いた。佐渡原のご登場だ。あたしたちに一瞬だけ視線をやると、すぐに水槽の一つへと向かう。

 アスマが「あっ」と小さく声を上げた。彼女は後ろの佐渡原を振り返り、

「佐渡原先生。青春破綻者という言葉に心当たりがありますよね?」

 そうか……。こいつなら、あたしたちが部室でしていた会話をしれっと聞いていてもおかしくはない。

 佐渡原は淡水魚への餌やりをしていた手を止め、

「あぁ? んな言葉……あー、あの笑える張り紙に書いてあったやつか」

 思い出したように納得しつつも釈然としないところがあるのか、首を傾げてあたしたちを交互に見つめてきた。

「そういや、なーんかお前らの口から聞いたことがあったような気がしてきたぞ」

 どうやらこいつの前で会話したことがあったようだ。

「でもその口振りから察するに、他の誰かに単語を教えたってことはなさそうね」

「当たり前だろ。今思い出したわ」

「それって、去年の四月くらいに、ミノが中学のとき独自に作っていた青春ヒエラルキーについても語り出したときのことですか?」

 アスマが天井を仰ぎながら尋ねた。そんなこと……語ったことがあった気がする。

 佐渡原は腕を組んで唸り声を上げ、

「青春ヒエラルキー……そんな単語も聞いた気がするな。頭おかしいんじゃねえかこいつと思ったのを覚えている」

 教師だろうと問答無用に張り倒してやろうかしら。

「佐渡原先生は青春破綻者が何なのかを聞く前に、さっさと出ていっちゃいましたけどね」

「あんたよくそんなこと憶えてるわね……」

 どん引きしながら言うとアスマはどやりながら胸を張る。

「人の顔と名前以外は思い出そうと思えばいつでも思い出せるからね、私。凄いでしょ?」

「それ前に聞いたから」

「あれ、そうだっけ? そうだったかも」

 本当にテキトーな奴……。

 佐渡原は目を細めて意地の悪い笑みを浮かべてきた。

「ってことは、まさかあの紙ばら撒いたのお前らか? なかなか大胆なことすんなあ」

「違うわよ。そのくだりはもういいから」

 疑われるのは別にいいのだが、流石にうんざりしてくる。

 佐渡原は「あそう」とどうでもよさそうに返事をすると、再び淡水魚へ餌やりをやり出した。

 こちらに背中を向けている彼に尋ねる。

「あの紙って、職員側はどういう反応してるの?」

「別になんも。犯罪とかでもないガキのプライベートなんざ知ったことかって感じだな。ただ、ばら撒いた奴に関しては学校をゴミだらけにしたってことで、犯人とバレたらお叱りを受けるだろうが」

 あたしは柘植が置いていった告発書をちらりと見下ろす。確かにこんなもの、学校側からしたらゴミでしかないわね。

 アスマが深々と頷いた。

「じゃあ佐渡原先生も容疑者ってことで」

「いや、何の?」

「いえ、こいつはあたしたちが直接単語を教えたわけじゃないわ。今しらばっくれることもできたはずよ」

「だから何が?」

「あー、ってことか」

「話聞いてっか?」

「残念だけど佐渡原は容疑者から外しておくわね」

「事情はわからんがなんで残念がるんだよ」

 心底苛立たしげな様子の佐渡原。これ以上弄ぶと、心が乾いているこいつと言えど怒りかねないのでここまでにしておこう。

 あたしは告発書を折りたたみ、机のフックにかけていたバッグを手に取った。

「夏目は朝の段階で帰ったようだし、蕨野だってこんな日にはもう帰っているでしょう。今日のところは纐纈にだけ話を訊くわよ」

 立ち上がりながら言うと、アスマも軽く伸びをして追随した。

「じゃあぱぱっと終わらせちゃいますか」

 彼女の意外な行動につい呆気に取られてしまった。強引に連れていくつもりだったのだが……。

 唖然としながらアスマを見つめていると、彼女は不思議そうにきょとんと首を傾げてくる。

「どうかしたの?」

「いえ……珍しくやる気だったから驚いたのよ。そういえば佐渡原がきたってのに帰ろうとしなかったわね……」

「今回は不肖の幼なじみの尻ぬぐいってやつですよ。ミノが不憫だから十五分くらいは付き合ってあげる」

 アスマがにこりと笑ってくる。単に面白がられているだけのような気はするが……。しかし滅多にない申し入れに少しだけ心が湧き立った。

 あたしたちは纐纈がいるだろう新聞部の部室へいくべく、連れ立って生物部をあとにした。部室を出る際、

「結局何なんだよ!」

 という佐渡原のつっこみが聞こえたがあたしたちは相手にしなかった。

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