名無しのラブレター【解決編】

「あの、ミノさん……。ウサギのお世話って、いつからそんな博愛精神旺盛になっちゃったのさ」

「ウサギの世話なんてしないわ。単なる口実よ」

 あたしは帰宅するという柘植と夏目から離れるために、そんな嘘を吐いてアスマを引っ張ってきた。

 ウサギ小屋のある南棟へは向かわず、校門の裏に身を潜める。あたしはアスマにじろりと視線を向けた。

「ラブレターが蕨野宛ってことにはあたしも気づいていたわ。夏目が転校生だってことを知った段階で、アスマと同じ推理をしてね。けど、不自然な点があったから黙っていたの」

「それは……負け惜しみ的なやつ?」

「違うわよ」

「全然気にしなくていいよ。別にどっちが早く謎を解けるかで競争してるつもりはないからさ。確かにやる気満々のミノに先んじて私が解決しちゃうこともままあるけどそれでミノの能力を低く見たりはしないってば。いやプライドの高いミノ的には私に負けるのは悔しいかもしれないけど今言った通り競争してるつもりはこれっぽっちもないから負け惜しみなんてみっともないことしなくても──」

 脛を蹴った。

「ミ、ミノさんの考えを、ぜ、是非、拝聴したいなあ……」

「あたしは差出人だけじゃなくて、宛名の方も知りたかったのよ。それの予想がついたわ」

「予想なんだ……」

「予想と言っても、状況的に九分九厘間違いはないわ。気にならない? あんなキモいラブレターを書いた奴が誰なのか」

「いや、別に興味ないけど……。キモい繋がりで赤柴くんじゃないの?」

「そんなただ赤柴が哀れになるだけの推理があってたまるもんですか」

 脛を擦っていたアスマが立ち上がる。

「蕨野さん宛だと不自然な点があるって言ってたけど、どこのこと?」

「夏目の話ではラブレターは昼休み過ぎに下駄箱に入れられたって話だったでしょう? 差出人はパターン四……相手にラブレターを投函するところを目撃させる手段を取ったはず。けれど、蕨野は昼休み過ぎの休み時間に教室を出ていないし、。あたしが図書室を出るまでずっとカウンターにいたから、蕨野は差出人がラブレターを夏目の下駄箱に入れるところに立ち会えないのよ」

 夏目は生物部に現れる五分前にラブレターを発見している。それはちょうどあたしが図書室を出るくらいの時間だ。当然、蕨野はずっと図書室にいた。

 アスマは人差し指を顎に当てて空を仰いで唸った。あざとい仕草だが、こいつは天然でやっているのだろう。

「じゃあ、ラブレターは蕨野さん宛じゃなかったってこと?」

「いえ。それは正しいはずよ。他に下駄箱を間違えようはないから」

「なら、実はパターン三……予告ラブレターが発動していた? そんな無茶な。意味わかんないもん」

 その問いにあたしは腕を組んで頭を捻る。

「そこはちょっと複雑なのよね」

 そのとき、校門を通って一人の男が学校に入ってきた。グッドタイミングである。

「随分と変わった仕掛けを使ったわね、

「……っ!?」

 隠れていたあたしたちに気がついた柘植がオーバーに飛び退いた。表情を驚きのまま凍りつかせている。

「え? ミノは狛人くんがあんなキモいラブレターを書いたって言うの?」

「そうよ」

 柘植を見たアスマがどん引きしながら訊いてきたので頷いておく。

「な、何を言ってるんだ、桂川さんは……? 俺は何も──」

「しばらく黙って聞いてなさい。ラブレターが蕨野宛だと気づいたとき、パターン三が使われているのかと思って色々考えたわ。けど、あいつが靴を履き替えるところに遭遇して、それも違うことに気がついたわ」

「どうして?」

 アスマが不思議そうに訊いてきた。

「あ、そういえばそうだったね」

 ラブレターを下駄箱に入れておく、という予告を蕨野が受けていたとして、それが入っていなかったときにあそこまで淡々と靴を履き替えるものだろうか? ラブレターを渡す手段がサプライズで伏せられていた場合でも、下駄箱という王道な場所ならば中をじっと観察くらいはしそうなものだ。

「それってさ、全部のパターンが潰れてない?」

 アスマがきょとんと首を傾げながら言った。

「潰れてないわ。話は単純で、。それが行われたのは、宛名が判明して、夏目が現れて、。こいつが蕨野の下駄箱にラブレターを入れたときにパターン四が発動したの。あのとき

 彼女がそそくさと帰らずにこちらを見ていたというのが、事実を何より物語っている。尤も、アスマにも言った通り少々事情が複雑なのだが……。

 アスマが考えを整理するためなのか視線を宙に向ける。

「えっと……つまり狛人くんは二股をかけるために蕨野さんにラブレターを渡そうとして、間違えて自分の彼女の下駄箱に入れちゃったってこと? ……いや、違うか。最初に投函した段階じゃ、蕨野さんはいなかったんだし。それで間違えずに蕨野さんに届いたら、差出人不明になっちゃう。ってことは、一旦わざと夏目さんの下駄箱に入れたんだ。え、なんで?」

、以外に理由はないでしょうね」

「それこそなんでって感じだけど……。二股かけるのに彼女巻き込んでどうするのさ」

 至極尤もなアスマの反論。けど、それが今回の一件の肝でもある。

。夏目の前でラブレターを下駄箱に入れるところを蕨野に見せれば、二人が恋人同士ではないことは明白でしょう?」

「あ、なるほど」

 柘植と夏目は交際していることは誰にも話していないらしいが、二人の仲が良いことは周りも知っているらしかった。それこそ、二人は付き合ってるのではないか、という噂が立ってもおかしくないと柘植本人が思うくらいには。

「そんなことに夏目さんが協力なんてしてくれるわけがないから、工夫を凝らしたんだね。誰かが間違って入れてきたラブレターを、本来受け取るべき人の下駄箱に入れた……と、夏目さんに思わせたんだ。だから差出人の名前なんて書けるわけないし、宛名も夏目さんが自発的に蕨野さんの下駄箱に入れてしまう可能性があるから書けなかった。……あれ?」

 状況を噛み砕いていたアスマに疑問符が浮かんだ。

「でもさ、それだと計画のタイミングが早すぎない? 蕨野さんが図書当番をやっていたなら、夏目さんが花壇の手入れから帰ってきてから図書室が閉まる五時半の間にラブレターを仕込んだ方がよくない? それでテキトーな事情で夏目さんを学校に留めておく。けど今回は彼女が花壇の手入れにいく前に入れちゃったせいで、かなり無駄な時間が生まれてるんだけど」

「ええ。その方法でもいいけど、柘植はまた別の手段を使ったのよ。本来は夏目がラブレターを発見した段階で、どの時間帯だろうと蕨野を下駄箱の近くに呼び出す算段だったのよ。。ラブレターを入れるところを目撃させるためには、事前に告知しておくのが手っ取り早いもの」

「じゃあ既に告白済みだったんだ? まあ告白してもないのに夏目さんは彼女じゃありませんよアピールなんて、するわけないか」

 流石にアスマは話が早い。パターン三の告知ラブレターは普通ならやらない。しかし、普通とは遥かにかけ離れた事情がここにあったのだ。

 柘植は蕨野に告白したが、おそらく夏目を理由に断られた。夏目と付き合っていると思ったのか、それとも夏目が柘植のことを好きなのを察していて身を引いたのかはわからないが。そこで柘植は、夏目とは恋愛関係にはなり得ないということを示すためにこの計画を立てた。ラブレターは告白のためのアイテムではなく、柘植と夏目に脈はないことを証明するためのものだったのだ。

 乾いてきた唇を舐め、

「状況を整理しましょうか。柘植はまず夏目の下駄箱にラブレターを投じる。本当は夏目に付ききっきりで行動したかったのでしょうけど、園芸部に居座り続けるわけにもいかないから、彼女がそれを発見するまで待った。身に憶えのないエピソードが羅列されたラブレターを見た夏目が、彼氏であるあんたを頼ることを見越していたのね。夏目からお呼びがかかったあんたは蕨野に連絡を入れる。『今から夏目の前で君の下駄箱にラブレターを入れるから見にきてほしい』という具合に。『女友達の前で振られたり、付き合うことになったら恥ずかしいから隠れて見ていてくれ』とも言っていたかもしれないわね。そして昇降口に直行し、ラブレターを一読。近くに蕨野がいることを確認した後、さっきアスマが繰り出した推理を打ち立てて蕨野の下駄箱にラブレターを入れる。こうして彼女の前で堂々と二股に至る告白をやってのける……という算段だった」

「不測の事態でも起こっちゃったの?」

 アスマの質問に頷く。

「図書委員は本来二人体制だけど、。真面目な蕨野は図書室が閉まる五時半まで待つよう頼んできたんでしょう。でももう計画は進み始めてしまっていた。柘植は自分がその応援団だったことを夏目には黙っていたようだけど──」

 先ほど彼女がそのことに驚いていたのは記憶に新しい。

「万が一夏目が自発的に応援団のメンバーを調べ始めれば、下駄箱の位置から蕨野宛のラブレターだということに気づきかねないわ。あれはメンバーの名前と夏目の下駄箱の位置を知っていれば、割と簡単に解くことのできる謎だから。逆に、夏目の下駄箱の位置を知らなければどう足掻いても解くことはできない」

 アスマがぽんと手を打った。

「あ、そこで私たちの出番か。計画に一切必要ないのに巻き込まれたのが不思議だったんだよね。夏目さんが転校生であること……つまりは下駄箱の位置を伏せたまま私たちにこの話を持ちかけて、

 本当なら夏目は連れてきたくなかったが、彼氏の幼なじみの女が気になったのか付いてきてしまったのだろう。自分が転校生であることを話されると時間稼ぎできるか怪しくなるので、その前に出ていってくれて安心したに違いない。

「ベストなタイミングで纐纈がカミングアウトしてくれたけど、本当なら五時半が近づいたときに自分の口で夏目が転校生であることと、何なら推理を披露するつもりだったんでしょうね。そして夏目を生物部に呼び戻すとき、蕨野にも一報を入れた。そのとき蕨野に、昇降口の外から見ていてほしい、とでもメッセージを送ったんじゃない? まあ向こうから頼んできた可能性もあるけれどね」

 蕨野が下駄箱に一切注目していなかったのは、ラブレターが入るのは自分が靴を履き終えた後だということを把握していたからこそだろう。

「ラブレターを入れる現場にあたしとアスマも立ち会うことになってしまったけど、これはどうとでも言い訳はできる。……これで合ってる? 二股クソ野郎?」

 この男が二股をしていてもどうでもいいのだが、言える悪口は言っておくに限る。

 腕を組んで唸っていた柘植はやがて諦めたように大きなため息を吐いた。

「薫子は面倒くさがりだから差出人までは考えないと踏んでたんだけどな……。桂川さんがここまで積極的なのは予想外だった」

「じゃあ狛人くんは二股クソ野郎でファイナルアンサーってこと? なんだってそんなことに?」

 アスマがいつも通りののんきな口調で尋ねた。柘植は両手を腰に当ててバツが悪そうに肩をすくめる。

「簡単な話なんだけどよ、俺はもともと蕨野さんが好きだったんだ。そんな中、香薇が転校してきて一目惚れしちまった。隙のない蕨野さんと違って隙だらけ。そりゃあ告白するよな。オーケーをもらって嬉しかったけど、それでも蕨野さんも好きなままだったんだ。好きな人が二人いるなら、両方に手を伸ばす……それが男ってもんだろ」

 予想の数百倍はしょうもない話だった。あたしは吐き捨てるように、

「とんだ青春破綻者がいたものね……」

 可愛い彼女がいて、見るからに楽しそうな日々を送っているでしょうに……。あまりにもアホすぎる。

 耳慣れない単語に柘植が眉をひそめた。

「なんだ、それ?」

「ミノの造語だよ」

「はあ……。まあいいや。自分勝手な頼みなのはわかってるけど、このこと、香薇と蕨野さんには言わないでくれ!」

 柘植は両手を合わせて頭を下げてきた。本当に自分勝手極まりないが、別にこいつのことが嫌いというわけでもない。

「本人に訊かれない限りは黙っておいてあげる。そっちの方が面白そうだし」

「恩に着るぜ桂川さん! 薫子はもともと誰にも言わないもんな?」

「うん。別にメリットもないし。でもおばさんには言っちゃうかも」

「やめてくれまじで」

 おばさんとは柘植の母親のことだろうか。ここまでにやにや笑うアスマは初めて見たかもしれない。

 一つ気になることがある。

「また一人好きな女が現れたらどうするの?」

 あたしが問いかけると柘植は夕焼けに手を伸ばした。そしてぐっと空を掴むように握る。爽やかな笑みを向けられた。

 もはや呆れるしかない。

「あんたいつか破滅するわよ」

「これが俺の道……青春なのさ。彼女たち以外に文句は言わせねえ。んじゃあ、蕨野さん……結華が待ってるんでね」

 柘植が意気揚々とした足取りで校舎に吸い込まれていった。それを見届けたアスマが歩き始めたので、あたしもそれに並ぶ。

 帰路に着きながらスマホを取り出し、研究メモに柘植の名前を書いておく。それを見たアスマが苦笑した。

「狛人くんもミノの醜聞コレクション入りですか。……蕨野さんが狛人くんにオーケーの返事を出して、ミノは二人が一緒に帰ると読んでいたから校門裏に隠れたってことなんだろうけど、そうはならなくて狛人くんが普通に帰っちゃってたらどうしてたの?」

「明日の朝まで待っていたわ」

「勘弁してよ……」

 校門を抜けて坂を下る途中、再びアスマが口を開く。

「それにしても狛人くんがあんなファンキーな人だとは知らなかったなあ。殺人犯以外に初めてだもん。あんなに人のことを頭おかしいと思ったの」

「幼なじみがあんなクズ野郎でその感想は、大分優しいわね」

「うーん。まあそういうこともあるでしょ」

 まさに他人事を喋っているときのリアクションであった。

 最近はあまり接点がなかったらしいが、それでもアスマの交友関係からしたら柘植は信じられないくらい親しい者だったはずだ。それが人でなしと判明してもこのドライな反応とは……。一年以上一緒にいるが、彼女の他人に対する心の距離感が未だにさっぱりわからない。当然、桂川美濃という存在に対してどう思っているのかも、まるで想像がつかない。いや、迷惑やら強引やら性格悪いやらパワータイプやら、そういう印象を抱いているだろうことは想像がつくけれど、そういうことではなくて、もっとこう……違うことなのだ。

 あたしはそんなことを逡巡しながら会話を続ける。

「本人も言ってたけど、あれが柘植の青春なんでしょう。破綻してるとしか思えないけれど」

「次の殺人事件の被害者は狛人くんかもね」

「それなら容疑者が二人に絞れてラッキーじゃない」

 茜色の空の下、よくわからない関係性の二人はろくでもないことで笑い合うのだった。

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