『沈みゆく島に囚われた男』

小田舵木

『沈みゆく島に囚われた男』

 僕の生まれ故郷は。今、海に呑み込まれそうになっている。

 と。言っても。津波なんかの影響じゃない。

 そもそもが。ゆっくりと蝕まれていたのだ。

 地球温暖化。コイツのお陰でこの島の周囲の海面水位は上がり続けていたのだ。

 

 僕はかつての町役場を眺める。コイツが海に沈んでから何年経つか。

 僕が子どもの頃の話だから10数年前になるかな。

 僕はこの島のこの町で生まれ育ち、そして大人になった。

 僕の子ども時代は海に沈みゆく故郷との日々であった。

 それはあまり気分の良いものではなかった。

 なにせ、自分の町が消えゆくのを見守らなくてはならなかったから。

 

 僕はジジイになるまでこの島に居るつもりであるが。

 それは不可能な事だろう。このペースでいくと。

 あと数年後か10数年後にはこの島は地図上から消えてしまう。

 

 僕は沈みゆく町に張り巡らされた桟橋の上で煙草を吸う。

 この桟橋が。この町の生活道路なのだ。

 僕は1年を通して大地をあまり踏んでいない。

 こういう事をしていると。文字通り地に足が着いてないような気がして。

 フワフワとした浮遊感の中で暮らす事になる。

 

 僕は地に足が着いていない。

 フワフワと人生をなんとなしに送っている。

 今年で24になるが。近所の漁師の手伝いをしながら生活していて。

 この生活が何時まで続くかなんて。想像もしていない。

 他人によく将来のヴィジョンを描けと説教されるが。

 僕は将来なんて見渡せない。この島と同じように海に沈んで消えてゆくのは想像できるのだが。

 

 空を見上げれば晴天。

 今日も漁を終わらせて、仕事の後の時間をなんとはなしに過ごしているのだ。

 この島では時間はゆるゆると流れている。本土とは訳が違う。

 

 僕も一度は本土で生活していた身だが。どうにも向こうの生活は合わなかった。

 

 大学生活と社会人生活。合わせて6年弱を本土の都会で過ごした。

 その日々は騒がしく、落ち着きがないものだった。

 だが。僕は必死で都会に適応し。そしてなんとか社会人として生き残っていたのだが。

 ある日突然。自分の体が言うことを聞かなくなった。

 病院を巡ってみれば、僕はうつになっており。

 それを理由に解雇され。僕は仕方無しに荷物を纏めてこの島に帰ってきた。

 

 この島に帰ってきた時は。何も感じる余裕がなかった。

 ただ、周りの流れに身を任せていただけ。

 騒がしい都会から帰って来てみると。この島は静かで。何もない。

 それが僕のうつにはいい影響を与えたようで。

 僕は2年をかけてうつを寛解かんかいさせ。今は漁師の真似事なんかをして生活している。

 

                  ◆

 

「お前、次はどうすっとね?」僕の眼の前の船長は言う。

「次?明日の話ですか?」

「違え。次の仕事の話たい」

「…貴方あなたの跡を継いじゃ駄目ですかね?」

「駄目とは言わんが。この島は早晩沈む」

「でしょうね。今年1年で相当沈んでいるから」

「俺は本土の息子の家に行くばってん。お前はどうするとや」

「…本土にはいい思い出ないんですよねえ」

「うつになってるからな」

「ですです。も一回本土に行ったらうつが再発しそうで」

「かと言って。この島と心中もできんやろ」

「…しても良いかなあって思いますが」

「何言いよっと。お前はまだ若か。もっと将来のヴィジョンを描かんば」

「一度うつなんかになると。将来なんて暗いモノにしか思えないんですよ」

「お前は出来るヤツやけん。ここで腐るのは勿体もったいなか」

「…お褒め頂きどうも。でもなあ」

躊躇ちゅうちょしてると時はあっという間に過ぎていくぞ」

「その通り」

 

 僕と船長は漁で使う網のつくろいをしながらそんな話をする。

 船長はいい人だ。僕なんかの心配をしてくれる。

 だが。僕は本土には戻りたくないんだよなあ。

 今の漁船に乗る暮らしを気に入っているのだ。

 

 だが。僕の気持ちを他所にこの島は沈んでいく。

 気がつけば桟橋のかなりの部分が沈み始め。

 僕たちの島は確実に小さくなって来ている。

 それは人生のメタファーに思えない事もない。

 人生とは常に失っていくプロセスなのだ。

 

                  ◆

 

 僕と船長は網の繕いを終えると。

 町に一軒だけある小料理屋に行き。早めの夕食と晩酌を取る。

 船長は最近酒に弱くなってきた。かつては町一番の酒飲みだったが。

 今や僕の方が呑むペースが早いし、長く呑んでいられる。

 あっという間に船長は出来上がり。さっさと家に帰っていく。

 

 僕は小料理屋に一人残され。

 将来の事に考えをはせてみるが。

 どうにもモヤモヤとしたヴィジョンしか描けない。

 沈みゆく町を想像するのは得意だが。沈まない自分の将来を想像するのは苦手だ。

 このまま。町と共に沈んでしまいたい。

 そんな思いが去来する。

 僕はうつになって以降、将来に希望を持っていない。

 そりゃそうだ。本土に行ったところで。

 うつ持ちの人間を雇う所があるだろうか?かなり怪しい。

 

 ああ。今日が一生続けば良いのに。

 そんな思いに囚われる。

 明日なんか来なければ良い。

 そうすれば。この島も沈む事などないのだから。

 

                  ◆

 

 家に帰ると。置きっぱなしにしていたスマホをチェックする。

 この島には携帯回線が通ってないので、持ち歩く必要性がないのだ。

「メッセージが2件」メッセージアプリの通知。

 僕はメッセージアプリを開き、内容を確認する。


 1件目は大学のサークルのグループメッセージ。呑みに行こうという誘いだが。僕は駆けつける事は出来ない。

 

 2件目。コイツが問題だった。差出人はゆう。僕のかつての彼女である。


 まったく。今更、何の連絡をしてきたんだか。

 内容はこうだ。「来月に結婚するの」うん。まあ、そういう事もあるだろう。

 僕は「おめでとう。式は挙げるのか?」とあっさりした返信をする。

 即座に返信。「あげるよ…ねえ。式に来てくれる?」

 「行ける訳ないだろう」と僕は返信して。

 「そう。じゃあさ。代わりに私がそっちに行っても良いかな?」と返ってくる。意味が分からない。何故、僕をおとなう?

 「旦那に悪いだろうが」

 「いいの。貴方の事は説明してあるし…」

 「…勝手にしろ」

 

 こうして。僕の静かな島に。元彼女が訪れる事になる。

 まったく。今更、僕の面を見て何になるというのか?

 大体、遊は。うつになった僕を捨てた張本人なのだが。

 僕はこの事を恨んじゃいないが。それなりに傷ついたのだ。

 僕は彼女の顔を忘れかけている。そりゃ2年も経つし、当時の写真はみな消去したからだ。

 

 ああ。面倒くさい。

 この静かな生活に波風を立てる阿呆がいようとは。

 そして。その波風を受けてしまった僕自身にも腹が立つ。

 

                  ◆

 

 遊は。この島に定期的に訪れるフェリーに乗ってやってきた。

 僕は桟橋からフェリーを眺める。面倒くさいものがやってきたなあ、という面持ちで。

 

 フェリーは港のターミナルに到着し。

 僕は橋から降りてくる遊を見る。別れた時と何も変わっていない。

「や。しず」遊は僕の名を呼ぶ。

「で?お前はこの島に何をしに来たとや?」

「君の顔を見に」

「…メッセージアプリでビデオ通話すれば良かやろが」

「…生で顔を見たかった訳よ」

「振った男でしょうが」

「別に振りたくて振った訳じゃない」

「嘘ぶっこけ。サクッと捨ておってからに…んで?民宿は取ったや?」一応、この島にも宿はある。

「…取ってない」彼女はあっけからんと言う。

「はあ?お前、喧嘩売っとるとや?」

「いいや。静ん家に泊めてもらおうかと」

「お前は男友達かよ」

「友達ではあったじゃん」大学生の頃の話である。

「今は、別れた男女でしょうが。いい大人な訳。お前も考えて行動しろよなあ」

「…君は分別あるから大丈夫でしょう?」

「随分められたモノで。旦那さんが泣くぞ」

「…良いの。泣かせとけば」

「…訳ありかよお。面倒くせえ」

「じゃないと。アンタを訪れる訳ないでしょうが」

「俺を訪れる前に。旦那と向き合え。馬鹿野郎」

「それを言っちゃあお終えよ」

「あーあ。断れば良かったなあ…」僕はため息をつきながら歩き出す。コロコロを転がした彼女と共に。

 

                  ◆

 

 とりもあえず。僕は遊を家に案内する。

 僕の家は実家であるが。もう両親は居ない。大学生の頃に亡くなってしまったのだ。

 広い家を持て余しているから遊を泊める事は問題がないと言えば、ない。

 だが、この女日照りの町に暮らす僕はそれなりの性欲があり。

 あまり体面のいい話ではない。

 

 茶の間で僕と遊は向かい合う。お茶を飲みながら。

 

「…結婚ねえ。あれ?会社のあの上司か?」僕を振った直後に。彼女は自分の会社の上司に乗り換えていた。

「…ソイツとはすぐ切れた。体だけの関係に留まった」

「んじゃあ?誰と結婚するのさ?」

「親の紹介の見合い相手」

「まーた。急ぐね結婚を」

「いくら女性が社会進出を図ろうと。妊娠出産にはタイムリミットがある」

「思想が何を言おうが。生物学的な事実からは逃れられない」

「その通り。んで。私は安楽な方法に頼った訳」

「生き急ぎ過ぎじゃねえか?」僕は批評する。この島に来てから僕の時間の進みは遅い。

「かも知れないけど。これがベストの方法だとも思える」

「そう信じ込みたいだけかも知れない。だから結婚間近に過去の男を訪れる」

「…図星かもね」

「メスってのは。単一の相手と性交するだけだけだと、子孫にリスクを負わせる可能性が高まる…だから複数の相手と性交しとく…ってな話をモノの本で読んだぞ」

「要するに。私がそれをしに来たって言いたい?」

「じゃないと。説明がつかないんだよ。お前はかつてメスとしてオスの僕を見捨てた。なのに今日はこれだ」

「…私だって。静の事を嫌いになった訳じゃない」

「言い訳がましいぜ」

「言い訳もしたくなるわよ。過去と向き合うと」

「人間、そう器用に生きれるようになっていない」

「そういうことね」


「ま、茶菓子でも食えや」

「ん」彼女は盆に盛られた茶菓子を貪る。

「で?何日滞在する予定で?」

「3日ほど」

「そんな長い期間居られても。案内する所なんかないぜ。この島は」

「でしょうね。まったく。貴方はこんな島で育ったのね」

「クソ田舎だろ?その上、後数年で沈みゆく予定だ」

「消えてゆく島に住む静…貴方は何がしたいの?」

「なにも?この島で一生を終えたい気持ちはあるが」

「それは無理でしょう?」

「無理だな。きっと。分かっちゃいるが」

「本土に戻りなさいよ」

「今更本土に行った処で。希望なんかない。この島ならゆっくり漁師やってられる」

「…驚いた。漁師してるの?」

「ま、近所のおっさんの手伝いだけど」

「通りで。うつの割に太ってない」

「肉体労働してるからな」

「昔のひょろひょろした体より似合う気がする」

「だろ?だから本土に帰る気になれない」

 

                  ◆

 

 僕の家で茶をしばいてしまうと。

 僕と遊は島を散策する。と、言っても三時間もあれば島は回れる。

 しょうがないから家から釣り竿を2本持ってきて。

 僕と遊は堤防から糸を垂らしている。

 

 僕と遊は二人並んで堤防に座って。海を眺めている。

 今日は天気が良い。海水がクリアだ。こういう場合、まず魚は釣れない。

 

「釣れないじゃない。こんな豊かで綺麗な海なのに」

「しょうがないよ。海水がクリア過ぎる。仕掛けが魚に丸見えだ」

「…釣れない釣りなんて意味ないじゃない」

「でもさ。気持ちが少しは落ち着くだろ」

「…まあね」

「で?旦那の何が気に入らないのさ」

「お見合いじゃない?なんかお互いあまり知り合ってないのに結婚するのもどうかと」

「セックス位はしただろ?」

「したけど。ディルド相手にしてるのと変わらなかった」

「んなアホな。コミュニケーションだろうが。セックスは」

「向こうは女性経験少なくて」

「ん?年上か?」

「うん。十も上」

「それでディルドと変わらないねえ…そりゃ悩むわな」

「そういう事」

「でもさ。そこからすり合わせていくのが結婚生活というモノだ」

「それに何年かかるか」

「そこは遊、お前の忍耐強さが試される」

「私は忍耐強くない。静、アンタを振った時もそうだったでしょ」

「言われてみればそうだな」

「あーあ。急ぎすぎたな」

「後悔しても遅いぞ」

「で。後悔出来ないからこの島に来て、アンタに話を聴いてもらってるわけ」

「僕に出来るのは話を聴いて相槌打つことだけだぞ」

「抱いてくれても良いのよ?コンドームさえ着けてくれれば」

「バカタレ。お前は動物か」

「動物だよ」

「マリッジブルーもここまで来れば重症だ」

「まあね…」

 

                  ◆

 

 僕と遊は夕方に釣りを切り上げる。

 釣果はもちろん坊主。しょうがないから町の小料理屋に彼女を連れ込む。

 小料理屋に入ると、店の親父が驚いていた。僕が女を連れているから。

 

「そういうのじゃないぜ?親父。元彼女。今日はマリッジブルーでここに来たらしい」

「…お前。間違いを犯すなよ」

「心配せずとも。僕はそういう気にはなれないよ」半分は嘘だ。

「…ま、お邪魔しますね」なんて。愛想よく遊は言っている。

 

 僕と遊は。島の魚で晩飯兼晩酌をする。

 酒は焼酎。ここにはビールか焼酎しかない。九州の離島の宿命である。

 

「効くね」なんて麦焼酎のソーダ割を呑む遊は言う。

「洒落たカクテルなんぞこの島にはない」

「これじゃあ。マジで間違いを犯しそうで」

「勘弁してくれ。僕にだって性欲はあるんだぞ。お前がその気になっちまったらお終いだ」

「いいじゃない。まだ。結婚式は挙げてない。神父に永遠の愛を誓ったりしてない」

「阿呆。それでも籍は入っているだろ?」

「そりゃそうだけど。子どもさえ出来なければ浮気もありでしょ」

「…新婚生活に暗雲立ち込める」

「私はその暗雲の中に居るわけ。マリッジブルー」

「それをなんとかするのも妻の務めだ」

「相談する相手が居ない」

「旦那」

「アイツ、仕事忙しいのよ」

「結構な事じゃないか。一方の僕は漁師見習いのプー太郎だ」

「でも元彼氏ではある」

「要するに過去の男な訳。お前は良いよなあ、都合がいい時に僕を利用しやがって」

「女は狡い生き物なのよ。自らとその子孫にしか愛情を振りまけない」

「そして男は利用される」

「済まんこって。ま、イイ思い位はさせてあげれるけど」

「断る。僕の沽券こけんに関わる問題だ。据え膳食わぬは男の恥だと言うけど。お前を抱いたら一生後悔しそうだ」

「アンタは昔から強情だねえ。静」

「知ってるだろ。僕は一度決めた事に拘る」

「だから。アンタは面倒くさい」

「面倒くさい僕を利用するから悪い」

 

 僕と遊は。お互いの悪口を散々言いあいながら酒を呑み。

 気がつけば、そこそこ泥酔しており。

 店の親父が眠そうにしているので12時に店を去った。

 

                  ◆

 

 泥酔した僕らは。

 なんとか家に帰り。変わりばんこで風呂に入り。

 お互い別の寝室で寝て居たのだが。

 

 やっぱりと言うか。遊は僕の部屋に来て。

 僕の布団に入り込んで来るのであった。

 僕はあーあ、やっぱりコイツは動物のメスだ、と軽蔑しながらも。

 股間はってしまっているのだった。

 

「我慢しなくていいのに。私が良いって言ってるじゃん」

「お前は過去の女で。今はタダの友達」

「セックスフレンド」

「そんなモノを結婚したての人間が作るな」

「そう言われても。私もメスだからね。単一のオスを相手にする前に他のオスも試しておきたくて」

「そういうのがしたいなら、出会い系アプリでも使いなさいよ。そして破局しちまえ」

「言葉とは裏腹に勃ってる」遊は僕の股間をまさぐる。

「そりゃオスだからな」

「でも静は抱く意思はない」

「そりゃ。旦那の手前というものがある」

「こんな離島で。致したってバレっこない」

「近所の噂くらいにはなっちまう」

「…それは拙いなあ。静はこの島で過ごすつもりだもんね」

「そ。だから諦めてくれや。一緒には寝てやるから」

「しょーがない」


 こうやって。僕と遊は同じ布団に包まって。

 静かな夜を過ごす。

 久しぶりの感覚だ。

 だが。この島は今も沈みゆく真っ最中で。

 もうこの時間は戻ってこない。

 僕の未来もまたそうで。早めに決断をしなくてはいけないのだが。

 僕は遊を抱けないように。この島に拘ってしまってる。

 もう沈みゆく島なのだが。

 

「ねえ」隣の遊は言う。

「あ?」僕は微睡みの中から応える。

「私が今、上に乗ったらどうする?」

「引っこ抜く」

「ケチ」

「ケチで結構。いい加減諦めろよ」

「それはこっちの台詞だよ。良い加減、私に身を任せなよ」

「…無理な話だ」

「もう。私は我慢できないんだけどなー」

「オナってろ。耳塞いでやるから」

「それはそれで面白いけど。相手してよ」

「だーかーら。無理なの。勃ってるけど、勃ってない。心の股間は萎れてる」

「何よ、心の股間って」

「心にも股間はある訳。そこが勃ってないとセックスしても面白くも気持ちよくもない」

「…強情だこと」

 

 結局。僕の隣で遊はオナニーし始めて。

 僕はその間、家の縁側で煙草を吸っていた。

 まったく。あの女は。昔からああだ。

 僕の言うことなんて聞いちゃいないのだ。

 それでもって感情だけはぶつけてくる。

 だからこそ寡黙な僕と気が合ったのかも知れないが。

 もう。それは過去の事であり。

 戻ってはこないものなのだ。

 

                  ◆

 

 それから二日間。僕と遊は島をめぐり。

 沈みゆく島を再確認し。

 遊はしきりに僕を本土へ誘ったが。

 僕は頑なに断わり続けた。

 

 晩になれば、発情した遊に迫られ続け。

 僕はそれをかわし続けた。

 

「3日あれば。1日は抱いてくれると思ったのに」

「決めたことは曲げない」

「そうして

「別に良いだろ」

「良いけどさ。見てらんない」

「沈みゆく運命だからか?」

「そ。未来を見なさいよ。何時までも過去に囚われてないで」

「過去代表のお前が何を言うか」

「ま、それはそうだけど。島の話とは別」

「僕はうつのキャリアだ」

「そんなの。もう寛解したんでしょう?」

「それはこの島に居たからだよ。沈みゆく島で心を癒やした」

「…悲しいものね」

「ま、否定はせん」

 

 僕と遊は。家の縁側に座っている。

 小高い丘の上に建つこの家からは。沈みゆく島が見える。

 

「静かに。この島は死んでいってる」

「そして。静かに僕は死ねる。望んでいる事さ」

「返す返す言うけど。勿体ないなあ」

「僕はこの島が好きなんだ。生まれ故郷でもあるしね」

「生まれ故郷がなくなっちゃうのか」

「数年後…十数年後にはね」

「静…貴方、でしょ?」

「その通り。だから煙草なんか吸ってる訳で」

「とことん過去の存在だ。貴方は」

「僕はうつになってから。未来を思い描けないんだよ」

「そして。私は未来へと進んでいく」

「対比。綺麗なもんだ。僕は過去へと進み、君は未来へと進む」

「…消えゆく静さんや」

「なんですかい?」

「消えてしまう前に。抱かせてよ」

けだものさんよ。ソイツは断るぜ。僕のポリシーに反する」

「そこまで言うなら。襲うから」

「何故?そこまでして僕を抱きたいのさ?」

「…何でだろうね?最初はマリッジブルーのせいだったけど。今は違う。私と交わることで、貴方を現在の時間軸に押し戻したい」

「僕はそれが嫌なんだよ」

「みたいね。まったく。体を持て余すよ」

「オナってろ」

「そうする…最後に見てく?オカズになるかもよ」

「断る。このまま煙草吸ってるから」

「私は君を導くのに失敗した訳だ」

「そういう事、さっさと済ませてこい」

「はいはい」

 

                  ◆

 

 遊は宣言通り3日を過ぎると帰っていった。

 僕はフェリーに乗り込む彼女を見送り。

 彼女はフェリーのデッキから僕を複雑な表情で見守る。

 そんな顔をされたって。僕はこの島から出ていかないぞ。

 どうか。結婚相手とお幸せに。

 

                  ◆

 

 島に静かな時間が戻って来た。

 僕はいつも通りの生活に戻り。

 沈みゆく島で人生を送っている。

 そこに不幸を感じるか?

 いいや。全く感じない。

 なにせ。この島は僕の人生のメタファーなのだ。

 この島が沈む時、僕も沈む。母なる海の底へ。

 そして。その時始めて僕は自由になるだろう。

 何者にも時間にも縛られず、自由な存在になる。

 その幸せを目指して。僕は今日も沈みゆく島で人生を送る。

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『沈みゆく島に囚われた男』 小田舵木 @odakajiki

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