じこちゅーな女

一帆

じこちゅーな女


私は運がいい。

だって、困りごとはたいてい回避できるもん。



さっきも、バスを待っている時に、鳥の糞が落ちてきたけど、ギリギリのところで回避できた。私に場所を交代してと頼まれたおじさんは背広にべったり糞がついちゃったけど。


(まさしく、危機一髪、ぎりぎりセーフってところよね)


 ミドリはそんなことを思いながら、バスの中で立って携帯をいじっていた。ふと、携帯から目を離して、車内を見渡す。


(あれ、あの席、空いてんじゃん。らっき)


 そそくさと空席に近づくと、小さな子どもが一人で座っていた。小さくて見えなかったんだ。ミドリはちっと大きく舌打ちをする。


「あんたさ、ママは?」


「あっち」と小さな子どもがいくつか先の席に座っている女性を指さした。


「混んできたんだしさ、ママの膝に座んな。バス料金も払っていないのに、席に座るなっていうんだ。あんたがどけば、私が座れるでしょ」


 ミドリはぐいっと小さな子どもの腕を引っ張った。子どもは泣きながら席を離れて、母親らしき女性のところに歩いていく。ミドリは、口角をあげて空いた席に座った。途端、バスがキキーっと大きなブレーキ音を立てて急停車した。


(らっき。あのまま立っていたら、転んでたじゃん)


 ミドリにどくように言われて、車内を歩いていた小さな子どもが、バスの急停車のはずみで大きく転倒した。母親が立ち上がると、慌てて子どもを抱きかかえた。そして、ミドリのところまで来ると、にらみつけた。

 

 「急停車は私のせいじゃないわ。運転手のせいよ」とミドリ。


 「走行中に、小さな子どもにどけというのは、間違っているわ」

 「ふん。だったら。最初から抱きかかえていればよかったじゃん。私のせいにしないでほしいわ。そもそも、小さな子どもを一人で席に座らせたあんたが悪いんじゃん。それなのに、私を責めないでよ」

 「あんたねぇ!」


 母親が声を荒げたが、ミドリはワイヤレスイヤホンをカバンから出すと耳にいれて外を見だした。


 がくん、とバスが動き出す。「次は南町3丁目、南町3丁目~」と自動音声案内がバスの中に流れる。


 「ママ、ボク大丈夫だから……」と小さな子どもが母親に縋りついたせいか、ミドリが話を聞かないと思ったのか、母親は大きく首をふると、子どもを抱えてミドリから離れた。


(ほら、やっぱり、運がいいじゃん。あのババアがもっと怒るかと思ったけど、寸でのところで車内アナウンスも流れて、らっき、らっき)


 ミドリは頬を緩ませながら、窓の外を見た。すると、路肩でバイクを起こそうとしている人が目に入った。バスが急停車したのは、タイヤがすべってスリップダウンしたバイクのせいかもしれないとミドリは思った。


(危機一髪ってとこじゃん。バイクとバスが接触して事故を起こしたら、バスから降りなきゃだったし、そんなことになったら、特急列車に間に合わなくなっちゃうとこだったわ)


 バスは遅れることなく駅に到着し、ミドリは予定していた特急列車に乗ることができた。ミドリは特急電車のグリーンシートに身を沈める。この青いシートは、昨晩のレイジと泊まったホテルのソファの色に似ているなっと思い、ベットの中でレイジと話したことを思い出して、ふふふっと笑った。


 笹川がどうしても会って話があるって、特急列車のチケットとピンクのワンピースを送ってきた。これはチャンスだと思って了解した。

 

(鳥の糞が落ちなくてほんとよかったわぁ。このワンピース、10万もするんだから)

 

 笹川は、私が欲しいとねだるものは何でも買ってくれた。指輪だって、車だって。でも、最近、笹川は『結婚』という言葉を連呼するし、あまり買ってくれなくなったし、鬱陶しいし、そろそろ潮時だと思うの。


 嫉妬するレイジってかわいかったなぁ。

 絶対、殺してやるって言ってたし。

 アリバイだってちゃんと作ってあげたし。

 

 ミドリはそんなことを思いながら、特急列車の窓の外を眺めていた…………。




 ◇◇


「それで、ミドリは僕と別れたいっていうのかい?」

「ええ……」

「僕と結婚するって言っていただろ?」

「最初はそう思っていたけど……」

「何が、でも、なんだい?」


 じりじりと包丁を持った笹川がミドリとの距離を詰める。ミドリは恐怖で声が裏返りそうなのを必死で抑えて答えた。


「そ、それは……、笹川さんって朝はご飯を食べたい人でしょ?」

「ミドリがパンがいいというなら、パンにするさ。結婚するっていうのはそういうことだろ? 今まで違う生活を送ってきたんだ。お互いに折り合いをつけるべきだと僕は思っている」


 笹川がにぃっと口角をあげる。夜景が奇麗だからといって来たのは、人のいない高台だった。そして、まさしく、ミドリは危機一髪な状態 ―― 命の危険にさらされていた。


 (私って運がいいから、絶対この危機的状況から抜け出せるはずよ。だって、今日、ここまでくる間にも、危機はたくさんあったけど、どれもこれも回避できたんだから。絶対にうまくいくはず!!!  笹川が包丁をもってくるとは計算外だったけど、ちゃんと、レイジに話したから、危機一髪で助かるはず!! なんたって、私って運がいいもの。困りごとはたいてい回避できるもん)


ミドリは絶体絶命の状況の中、必死に自分をはげまし続けた…………。


                          おしまい


 


 



 









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じこちゅーな女 一帆 @kazuho21

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