給湯温度を 変更します

kayako

お風呂が わきました



 とある冬の夜。

 私が仕事から帰ってくると、お風呂場から音声が聞こえてきた。


「給湯温度を 変更します」


 私は一人暮らしのOL。勿論、自宅で待ってくれる人間はいない。

 だからその声は当然、お風呂場の給湯器から鳴る自動音声だ。


「給湯温度を 変更します」


 しかし何故今、その音声が流れてくるのか分からない。

 今帰ってきたばかりの私が給湯温度を弄ったはずはないし、予約機能を使った覚えもない。

 そもそも出社前に、給湯器の電源自体を切っていたはずだ。


「給湯温度を 変更します」


 ――なのに何故、勝手に電源がついて音声が流れている?

 しかもどういうわけか、水音まで聞こえてくる。


 私は慌てて風呂場を確認してみた。

 すると――


「給湯温度を 変更します」


 なんと、給湯器の電源が勝手について、しかも浴槽の給湯口から湯がジョボジョボと噴出しているではないか!

 しかも触ってみるとお湯じゃなかった。滅茶苦茶冷たい水。もう、冬場にこれはキツイ!

 さらに言うと、若干茶色く濁っている……

 一体いつからこうなっていたんだろう? 栓もしていなかったから水は流れっぱなしだし、無駄な水をどれほど使ってしまったのか。


「給湯温度を 変更」ピッ


 慌てて給湯器の電源を入れ直すと、その音声はようやく消えた。

 流れ出していた水も止まり、少しほっとした――

 給湯器が壊れかけているのか。酷くなるようなら、修理業者呼ばないとな。

 考えるだけで面倒だけど。


 お風呂を洗い、「自動」のボタンを押し、改めてお湯を入れ直す。

 仕事帰りで、しかも寒風に晒されて冷え切った身体。早くお風呂に浸かって暖まりたいのに、余計な作業をさせられるのはたまらない――




 それでも数分後、特に何事もなくお風呂が沸いて、軽快なメロディーと共にいつもの音声が流れた。


「お風呂が わきました」


 良かった、普通に沸いてくれて。

 少しほっとしながら服を脱ぎ、シャワーを浴び、そして浴槽に浸かる。

 冷えて凝り固まった身体に、暖かいお湯が染み込んでくる。

 真冬の寒い時期のこんなお風呂は、とてもほっとする時間――


 しかし、そんな時。



「給湯温度を 変更します」



 再び流れだす、あの音声。

 同時に何故か、爪先あたりにある給湯口から、冷たい感覚が走り抜ける。


「ひっ……!?」


 足の指から這い上がってきた冷たさに、思わず悲鳴をあげてしまった。

 給湯口から、何故かは分からないが冷水が出始めている!


「給湯温度を 給湯温度を 変更 変更します」


 何故か二重になって流れてくる音声。

 あまりにもワケが分からない。本来ならほっと出来ていたはずのバスタイムも、これじゃ台無しだ。

 慌てて給湯器のデジタル表示を見るが、表示されている温度はいつも通り

「42℃」。

 しかしひっきりなしに出続ける冷水のせいで、実際の温度は一気に冷えてしまっている。


「給湯温度を 給湯温度を 変更 変更し 

 給湯温度を 変変更給湯 ます」


 なおも流れ続ける音声。今やその声は幾重にも重なり、ほぼバグってしまっていた。

 ……嫌。嫌!

 ほぼ無防備になったお風呂場で、こんな目に遭わされちゃたまらない。

 私は半分パニックになりながら、給湯器の電源スイッチを押した。


「給湯 給湯温度を 変更変更変更 お風呂が わきました

 給湯温度を 給給変更変更しまします 変更されました 変更します」


 しかし音声がいっそうバグるばかりで、何故か電源を切ることが出来ない。

 何度も繰り返し押してみたが、電源が切れない。

 そうしているうち、お風呂はどんどん冷たくなっていく――



 さらに給湯口から出てくる冷水は、黒く濁った汚水へと変化していた。

 それはよく見ると、赤黒い塊がいくつも混じった水。

 そう、毎月見るアレの、一番酷い時のものを凝縮しきったような――



 紅の混じった黒い水はやがて私の周りで渦を巻き、きれいに洗ったばかりの私の身体を汚していく。

 ――逃げなければ。一刻も早く逃げて、業者を呼ばなきゃ。

 そう思ったが、手足が凍りついたように動かない。

 赤黒い水に覆われた下半身も一気に重くなり、氷のように冷えていく。

 その水はどんどんかさを増していき、やがて私の頭あたりまで覆い尽くした挙句、浴槽から溢れ出した。


 ただひたすらに、バグった音声を流し続ける給湯器。


「給湯温度が 給湯 変更されまされました 変更変変変変更されました

 給湯温度を 変更しましましまします変更 お風呂がわき わきまし変更されますました

 わきました お風呂が 変更されま給湯温度が」



 動くことすら出来ない私。唇に流れ込んでくる黒い水。

 最後に見えたものは、給湯器のデジタル表示。

 こんなに冷たいはずなのに、何故かその表示は「99℃」となり、ひっきりなしに点滅し続けていた。









「――ちょっと、キミぃ!

 大丈夫かね?」


 そんな上司の声に、はっとして私は目を覚ました。

 慌てて顔を上げると、そこはいつものオフィス。目の前にはいつもの上司。

 良かった――まさに危機一髪で助かった。

 危機一髪というか、今のは夢だったんだ。


 それにしても、何という悪夢だったろう。

 給湯器が壊れると、あんな風になることもあるのか。いや、さすがにありえないよね。

 案の定、上司は呆れ顔。


「キミキミ……さすがに仕事中に居眠りはイカンねぇ」


 ごめんなさい。私はそう謝ろうとしたが



「……きゅ」

「ん?」



 不審げに私を見る上司。

 そして、私の口から飛び出した言葉は



「給湯温度を 変更します」

「へ?」



 上司だけでなく、周囲も一斉に私を振り返った。

 でも、止まらない。

 同時に喉から一気にせりあがってくる、大量の異物――

 気持ち悪さのあまり、私はそれを思い切り吐き出した。


「ひぃ」


 オフィスをつんざく悲鳴。

 白い書類の真上にべちゃっとぶちまけられたそれは――どこまでも赤黒く。



「給湯温度を 変更 変更し 変更 変更しました します 

 給湯温度を 変更しました 給湯温温温度を 変更します 

 お風呂がわきわきました 給湯 給湯温度が 変更され変更します

 給湯温度を 変更しましましましまし変更温度温度されました変更変更変変給湯給湯変変変変変変変」





 完





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