異世界転生、しますか?

下東 良雄

異世界転生、しますか?

「さぁ、あなたを異世界へ転生してさしあげましょう」


 雲の上の輝く神殿。

 なぜかそんなところにいる僕。

 そして、目の前には純白の衣をまとった美しい女神様がいらっしゃる。

 四十年以上生きてきて、こんな綺麗な女性は初めて見た。

 いや、もう生きてないか。女神様も転生って言っているし。


 あの時、僕は死んだのだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 鈴木すずき隆則たかのり、四十三歳。中堅商社の課長。

 軽くビール腹で、髪の毛も心許こころもとなくなってきた。まぁ、いわゆるキモいオッサンだ。


 そんなだから僕は家族からもうとまれている。

 妻が僕に作ってくれる料理は味気ないものばかり。料理教室へ足繁く通っているのに、何でこんな料理が出てくるのか不思議だ。料理教室の先生がイケメンの男性らしいので、それが目的なのかもしれない。もう僕に何の魅力も感じていないのだろう。こんなキモいオッサンだもの、仕方ない。

 高校生の一人娘は目も合わせてくれない。最近アルバイトを始めたので、顔を合わせる機会も減ってしまった。年頃の女の子だし、僕も少し距離を置くようにしている。寂しいけれど、仕方ない。

 会社でも部下の便利屋だ。部下のフォローとプレゼン用の資料作りで忙殺される毎日。仕事ができるわけでもないし、仕方ない。


 今日も今日とて先程まで部下と一緒に残業だった。ヨレヨレのコートを羽織って、深夜のオフィス街をトボトボ歩きながら、ふと空を見上げれば、満月のお月様がとても綺麗だった。

 終電間近の電車に揺られながら、うつらうつらとうたた寝。乗り過ごしそうになったけど無事下車。ホームで、んーっと伸びをひとつ。

 駅前には、深夜にもかかわらず塾帰りの子どもたちがいた。中学受験の小学生だろうか。今の子どもたちは大変だ。


 横断歩道で子どもたちと青信号を待つ。ふざけ合っている姿が、子どもの頃の娘の姿と重なった。


 「あぶないっ!」


 ふざけ合っていた男の子のひとりが車道に出てしまう。車はすぐそこまで迫っていた。深夜の空気を切り裂くような急ブレーキの音が鳴り響く。

 間に合わない。考えるよりも先に身体が動いた。

 車道に飛び出して、男の子を先の歩道まで突き飛ばした。怪我はするかもしれないけど、車に跳ねられるよりいいだろう。

 僕もそのまま転がって迫りくる車を避けた。超ファインプレイ。危機一髪だった。

 顔を上げると、目の前の歩道にいる人たちが恐怖に怯えるような表情をして僕を見ている。はて?


 ドンッ


 右手方向に跳ね飛ばされる僕。

 反対車線の車に跳ねられたのだ。


 地面に横たわり、薄れゆく意識の中で妻や娘、部下たちの顔が次々浮かんだ。これが走馬灯ってやつか。


 妻は喜ぶだろうな。料理教室のイケメン先生と再婚するのかな。

 娘も喜ぶだろうな。キモいオッサンが家から消えるんだ。

 部下たちは苦笑いだろうな。便利屋がいなくなったって。


 夜空に浮かぶ美しい満月が霞んでいく。

 あぁ、僕はこれで死ぬんだな。

 僕が最後に思ったのは――


 ――仕方ない。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 で、僕は女神様の前にいる。


 女神様は僕を転生してくださるらしい。

 転生先は、エルフやゴブリン、ドラゴンなどが存在する剣と魔法の世界。男爵家の三男として記憶を維持したまま転生。五歳で勇者としての才覚が目覚めるとのこと。

 さらに、様々なチート能力を授けてくれるらしく、世界最強の存在として、信頼のおける仲間たちとパーティを組み、魔王を倒して世界を救う旅に出てほしいらしい。

 仲間は、僕に恋する幼馴染みの聖女、ストレートに好意を示すケモミミ娘、ツンデレでデレ寄りな女騎士、隠れ巨乳の地味目な女魔道士。彼女たちとのハーレム展開になる可能性が高い、とのこと。

 そういえば、昔はこんなライトノベルをよく読んでいたな。こんな風になりたいって。


「異世界転生、しますか?」


(もちろん!)


 ……と、女神様の問いに即答したいところだったけど、何かが心に引っ掛かった。これは何だろう。現世への未練? そんなわけない。現世で僕は愛されていないし、不要な存在だ。でも……


「女神様、お願いがございます」

「何ですか? 言ってごらんなさい」


 優しく微笑む女神様に、僕はお願いをしてみた。


「今、現世で僕がどうなっているかを教えてくれませんか?」

「それはなぜですか?」

「……現世での今の僕を見て、未練を断ち切るためです」


 僕を蔑む妻や娘、部下たちの姿を見れば、未練は断ち切れる。

 何とも情けないお願いだ。


 女神様は一瞬悩むような表情になったが、すっと右手を上げた。

 すると女神様の前に大きな鏡が現れた。


「これは『真実の鏡』。ここに今の現世でのあなたの姿が映し出されます。その映像と音は、あなたにしか見聞きできません。本当に映し出してよろしいですか? 後悔しませんか?」

「はい、お願いします」


 後悔なんかするわけがない。

 僕は未練を断ち切って、そして異世界に転生するんだ。


 そして、鏡の真ん中から波紋が広がっていく――


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――やがて鏡には、どこかの病院の病室が映し出された。

 ベッドには、酸素マスクらしきものや、色々な機械につながれた僕が横たわっている。死ぬ時はひとりっていうもんな。仕方ない。


 バンッ


 病室の扉が勢いよく開いたかと思うと、妻と娘が勢いよく入ってきた。


「あなた!」

「おとうさん!」


 ベッドで横たわる僕にすがりよるふたり。


「あなた、しっかりして!」

「おとうさん、死んじゃやだ! おとうさん!」


 号泣するふたりに、ベッドの上の僕は何の反応もしない。

 妻は僕の手を握って何度も僕に呼び掛け、娘は僕の身体にすがって泣き叫んでいる。


 バンッ


 ノックもせず、病室に飛び込んできたのは、部下の蒲田係長だった。


「すみません、失礼します! か、課長は、課長は大丈夫なんですか!?」

「……わかりません……意識不明で……今は心臓がかろうじて動いているだけだと先生が……」

「いやぁ! おとうさん、おとうさん!」


 ベッドの上の僕を呆然と見ている蒲田係長。


「オレが……オレが仕事の相談をしなければ、残業もしないで済んだんだ……オレのせいだ……」


 蒲田係長は、声を震わせながら涙をこぼしていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 えーと、なにコレ。どういうこと?


「未練は断ち切れましたか? さぁ、異世界へ転生しましょう」


 僕に微笑みかける女神様。

 未練を断ち切るどころか、未練マシマシだ。


「女神様、お願いがございます。妻と娘の過去を見ることはできませんか?」

「見てどうなるというのですか」

「未練を完全に断ち切らせてください!」


 きっと、妻と料理教室のイケメン先生はイイ関係だ。身体の関係だってあるかもしれない。娘も僕を嫌っている。仕方ない。

 妻とイケメン先生の情事が映し出されるかもしれない。娘が顔を歪めながら僕の悪口を言っている姿が映し出されるかもしれない。ふたりのそんな姿は見たくないけど……胸が痛いけど……でも、それで踏ん切りがつくはずだ。


 女神様は、やはり少し悩んだような表情を一瞬見せたが、優しい微笑みを僕に向けてくれた。


「わかりました。さぁ、鏡を覗いてごらんなさい」


 鏡の中央から波紋が広がっていく――


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――料理教室


 ショッピングセンターの一角を利用した料理教室。ガラス張りなので中は丸見えだ。受講者も多く、十人くらいの女性が料理を作っている。もちろん、その中には妻の姿があった。


「先生、お塩の量は小さじ半分で大丈夫ですか?」


 妻の質問に、笑顔ですすっと近づくイケメンの先生。


「はい、その量で十分ですよ」

「ところで先生、とは仲直りしたんですか?」


 苦笑いする先生。


「中々減塩料理を理解してもらえなくてね。そちらはいかがですか?」


 妻は寂しげに微笑んだ。


「ウチも中々……ウチのひと、優しいから何も言わないけど、味が薄くて美味しくないって思ってるみたいで……健康診断で血圧高めだったから心配なんですけど……」

「そうですか……じゃあ、次回はもっと出汁を味わえる料理のレシピを考えてきますね!」

「楽しみにしています! 先生もと仲直りできるといいですね」


 先生は恥ずかしげに、頬を赤らめながら頷いた。


 ――場面が変わり、自宅のキッチン


「ただいまー」


 娘が帰ってきた。


「おかえり、バイトはどう?」

「本屋なんて楽だと思ったら大間違い! 意外と肉体労働が多くて、結構たいへん!」

「あらあら」


 渋い顔をする娘に笑いかける妻。


「でも、がんばるんでしょ?」

「うん!」

「お父さんにクリスマスプレゼント、買ってあげるんだもんね」


 娘は頬を赤らめて焦った様子だ。


「お、お母さん! お父さんに言ってないよね!?」

「ふふふっ、言うわけないでしょ、サプライズなんだから」

「いつまでもヨレヨレのコートじゃ可哀想だからね」

「もっと普段から優しくしてあげればいいじゃない」


 うなだれる娘。


「……だって……なんか……照れくさいし……それに、お父さん……私を避けてるみたいだし……」


 そんな娘に、妻は微笑みかけた。


「お父さんも我慢してると思うよ。年頃の娘にベタベタできないでしょ? あなたが嫌がると思って、少し距離を取ってるだけだと思う」

「……そうなのかな」

「お父さんも、お母さんも、あなたを愛してる。本当よ」


 満面の笑みを浮かべる娘。


「うん! じゃあ、コート代稼ぐために、明日もバイト頑張っちゃう!」

「じゃあ、しっかりご飯食べなきゃね!」

「お出汁のいい匂い! 今日の晩ごはん何?」

「今夜はねぇ――――」


 映像は消え、普通の鏡に戻っていく――


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――鏡に映った僕は、涙を流していた。


「未練は断ち切れましたか? さぁ、異世界へ転生しましょう」


 僕に微笑みかけた女神様。

 女神様の目を見つめ、僕は訴える。


「女神様、僕は現世でまだ死んでいません」

「もう死ぬ寸前ですよ?」

「まだ死んでいません!」


 僕の力強い言葉に、女神様は驚いた様子だ。

 そして、僕は女神様に最後のお願いをした。


「女神様、最後のお願いです。僕を現世に戻してください」


 女神様も少し困った表情を浮かべたが、やがて微笑みを浮かべながら僕に優しく語り始める。


「いいですか、よく考えなさい。異世界へ転生すれば、力も、名誉も、お金も、そして女さえもすべてがあなたのものになるのです。現世に戻って何になるというのですか? また『仕方ない』毎日を送るのですか? あなたは異世界で主人公となる運命なのです。すべては運命に導かれるままに――」

「『仕方ない』ことなんてあるものか!」


 女神様の言葉を遮り、僕は叫んだ。


「ずっと『仕方ない』って思ってた! 妻のことも、娘のことも、部下たちのことも、みんな信用していなかった! でも、それは間違っていたんだ!」

「間違っていた?」

「僕たち人間は、家族であっても、友だちであっても、他のひとの心の中は分からない。でも、分からないからといって、『仕方ない』と他のひととの心や気持ちのつながりを断ち切ったり、他のひとがこう考えていると決めつけてはいけなかったんだ! ……きちんと話をして、理解しようとする姿勢と、理解してもらうための姿勢が必要だったんだ……僕は愚かだったんだ……」


 微笑む女神様。


「人間は不完全な生き物なのです。しかし、異世界に転生すれば、すべてが完璧な人間になれるのです。あなたには完璧な人間になる資格が――」

「チートってヤツですか? インチキな完璧さに何の価値があるんですか?」

「イ、インチキ……?」


 言葉を遮る僕に、女神様の口の端が引きつる。


「完璧になったら、自分ひとりですべてが完結してしまう。きっと、愛も、罪悪感も、ひととの絆も感じることができなくなる」

「大丈夫です。あなたを愛する美しい仲間たちとのハーレムが――」

「それは愛じゃない。作られた愛情……いや、はっきり言えば単なる性欲だ!」


 女神様の顔から微笑みが消える。


「僕は、自分の人生で自分が主役になれなくたっていい! 僕はただ、妻を愛し、娘の幸せを願い、部下たちに信頼される人生を送りたい。そこにチートは不要です!」


 真顔の女神様。


「お願いです、女神様! もう一度、もう一度僕に現世で生きるチャンスをください! お願いします!」


 僕の必死の訴えに、女神様は残念そうな表情を浮かべ、両手を上げた。

 その手から無数の光の粒がこぼれ落ち、僕を包んでいく。


「お別れです。希望通り、現世で生きると良いでしょう……」


 女神様が僕に笑顔を向けることは、もうなかった。

 そして、僕の意識は薄れて――


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――闇が晴れていく。

 病室の天井が見えた。

 ベッドに寝かされている僕。

 身体はまだ動かず。

 左手が暖かい。

 ゆっくりと顔を左に向ける。

 妻と娘が祈るようにして僕の左手を握ってくれていた。

 僕はそっと左手に力を込める。

 妻と娘がバッと顔を上げて、僕を見た。

 ふたりとも泣いている。

 僕は愚かだった。

 ふたりに謝らなきゃ。

 でも、少しでも早くふたりへ伝えたい気持ちを口にした。


「愛してるよ」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 雲の上の輝く神殿。

 純白の衣をまとった女神がひとり佇んでいる。


 女神は真顔のまま、周りを払うようにして右腕を振るった。

 すると、たちまちそこは朽ちた廃城のような様相へと変わる。

 そして女神の姿は、黒い体躯と翼をもった醜悪な怪物へと変化していった。いわゆる悪魔だ。

 苛立ちを隠さない悪魔。


「ちっ……魂を奪い損ねたぜ。運のいい野郎だ……死にかけのヤツをだまくらかして、現世に生きる気力を失わせ、虚無の闇に突き落とす……異世界なんて無いことを知った瞬間のあの絶望感……」


 醜い顔付きながら、明らかに恍惚とした表情を浮かべたことがわかる。


「あの絶望した魂を奪うのがたまんねぇんだよなぁ〜」


 悪魔がふと目を向けた先には、たくさんの書籍が無造作に山積みされていた。どれもがライトノベルと呼ばれる小説やそのコミックだ。

 ニヤリと笑う悪魔。


「今は『異世界』やら『転生』やら『チート』やらと言葉を並べると、『ついにオレにも来たか!』なんてヤツが多いから、かんたんにだまくらかせる。そういうヤツは魂を奪われて、永遠に虚無の世界を彷徨さまようことになるんだけどな。クククッ」


 ふっと淡く光る火の玉のようなものが現れた。


「さぁて、またお仕事だ。しっかり現世への思いを断ち切らせないと、魂は奪えないからな、ヒヒッ」


 悪魔が周りを払うように右腕を振るうと、そこは雲の上の輝く神殿に変わり、その姿も美しい女神に変わっていった。

 火の玉がゆっくりと人の形に変わっていく。

 女神はその前に進み出て、優しく微笑みかけた。


「異世界転生、しますか?」



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