第16話 口に含む

 夜の森はひどく不気味だ。

 ランタンを片手に草木を踏み進む。どこからか聞こえる梟の鳴き声に怯え、どこからか聞こえる葉の騒めきに怯む。

 足取りは鈍重。意思を読み取り、まるで鉛でも纏っているかのように思ったように動かない。

 慌てるな、敵はたったの三人だ。対してこちらの分隊は計十人もいる。そう慌てることは無い、任務遂行は必至だ。と、先程から自分で自分に言い聞かせてはいるものの、自己暗示の効果は薄いようだ。

 ベイオフ率いる海賊隊は現在、島に入り込んだ鼠の捜索を行っている。総数はたったの三人。既に鼠と通じ合っていた裏切者は始末した。

 簡単な仕事だ。

 あとは素直に警告に従わない三人を殺すだけ。だというのに、何故か悪寒が迸る。

 まるで悪夢のように何度も過るのだ。このまま命令に従い三人を探した果てに、誰にも見つけられない無様な屍になった自分の姿を。


「ひっ」


 そしてそれは、正夢となる。

 左後方、隊の誰かが悲鳴を上げた。

 茂みの音が消える前に慌てて仲間がランタンを掲げど、何も無い。まるで最初から人そのものがいなかったかのように、足跡だけを残して消えている。

 悲鳴はまた一つ、一つと増えていく。

 足跡だけを残し、仲間が消えていく。まるで、人のいない世界に紛れ込んでしまっているかのように、人の存在だけが消えていく。

 そして、自身も。


「うっ!」


 首筋に触れる手が、まるで車にでも引っ張られているかのような膂力で茂みの中に引きずり込む。

 枝が打ち、身体中が痛い。土の冷たさが残り少ない理性を僅かに保たせる。

 眼と口を覆う手は大きく、何も見えない。何も分からない。ただ一つ分かるのは、この後自分は死ぬのだろう。と言う事だけ。

 首筋に一瞬、冷たい感覚が迸る。それが敵のナイフだと気付いた頃には、全身に痛みと灼熱が駆け巡っていた。




 ◆~~~~~◆




 薔薇とフォニーは次々と敵の孤立した部隊を叩き潰していた。

 夜目が利く薔薇の案内でランタンを持つ敵の集団に近付き、フォニーが一人一人攫いながら狩り尽くす。

 消耗の多い正面戦闘はしない。決して姿を現す事無く、決して場所を悟られること無いよう、気配を消しながら森を進む。


「増援無し。行くわよ」


 三人が立てたプランはこう。

 まず、薔薇とフォニー、そして巨像の二人と一人に分かれる。薔薇とフォニーの二人は隠密を徹底。散開して包囲網を形成しているだろう敵集団の虚を突き、包囲網を密かに突破する。

 目的地はこのまま山上の城塞跡まで向かう事。

 このような状況になってしまえば、私兵が皆起きる昼頃には更に大多数の警備が駆り出されるだろう。短期決着だ。そうなる前に、ベイオフを叩きこの島から離脱するのだ。

 残った巨像は一人陽動として大暴れしている。彼の巨体はどうにも、隠密行動には向かない。

 適度に隠密行動をしつつ、薔薇とフォニーが抜けていることを悟らせない。その上で圧倒的な実力差を見せつけ、敵の主力を全て集結させる。


「見事にもぬけの殻ですねぇえ……」

お陰よ」


 巨像の陽動の成果か、峡谷には人影一つ見えない。薔薇が一度訪れた際には無かった新しい足跡は、全て森の方へ続いている。これらが全て、ベイオフの命令で動いているのだろう。

 強いて言うなら、例の見張り塔の上に何人かいるのが見える程度か。


「見つからないように行くわよ」

「私ぃ、実のところ気ぇ配を消すのは不得手でしてぇ」

「……それ、ジャラジャラ着けてるからじゃなくて?」


 呆れた様子で薔薇がネックレスを指差した。

 薔薇は小さく「仕方ない」と零すと、マントの内側からナイフを取り出す。

 普段近接戦闘に用いているものと比べると全体的に一回り小さい。持ち手に至っては、薔薇の小さな手でも五本の指で握れない程だ。形状は綺麗なシンメトリー。刃は良く研がれており、毀れの一つもない。

 より遠くに飛ぶように設計された、投擲専用のナイフだ。

 大きく振りかぶりナイフを投げる。

 流麗な放物線を描き、ナイフは進行方向とは反対側の森へと。ガサガサと枝に打たれながら落ちていく音が、遠くからでも聞こえる。無論、塔にて警戒する者たちにもだ。

 塔の面々が音を訝しみ、目を凝らす仕草をしている様子がよく見える。薔薇はそれを確認し、フォニーに合図を送った。

 峡谷を抜け、顔を見せるのは島民たちの住処。

 簡素な煉瓦造りで、量産しやすいようにかシンプルな形状に収まっている。夜警はおらず、灯りが付いている家はごく僅かで殆どが寝静まっているようだ。


「警戒した甲斐無し。まぁ一番いいんだけど」

「みぃなさんぐっすりですねぇえ。願わくば私もぉ、仕事を終わらせてぐっすり寝たいものですぅっ」

「アンタってぐっすり寝るのね。兎みたいに片目は開けてるのかと思ったわ」

「人間業じゃありませんよぉそれは」


 軽口を叩き合いながらも山道を上る。

 山とは言えど登ってみればその規模は丘のようなものだ。緩い坂道が続いている、程度である。

 時折来る増援を茂みに隠れながらやり過ごす。

 ここで敵を殺しては、ここまで薔薇たちが来ていることが判明してしまう。そうなれば巨像の陽動も全て徒労に終わってしまうだろう。


「そぉう言えば」

「何?」

「おぉ二人はどういった関係性なのでぇ?? 私実はものすごぉぉおく気になっていましてぇ」


 その質問を受けた薔薇の表情は浮かない。先導する薔薇に追行するフォニーは、その様子に気付きながらも質問を取り消すことはしなかった。

 賞金稼ぎには様々な者たちがいる。

 フォニーのように個人で活動するものが元も多い。賞金稼ぎはもとより、腕自慢の延長線上のようなものだ。腕を誇示する為には、一人が最適なのだろう。勿論フォニーのように、別の目的で他とつるまない人間もいるが。

 次に多いのが徒党を組んでいる者たちだ。

 個人の実力には限界がある。ならば、同じ志を持つ仲間を募るのみ。大陸北西で活動するビブリオ自警団は、このカテゴリの中で最も有名な賞金稼ぎだろう。リーダーのビブリオは、悪を絶対に許さぬ正義漢と有名だ。

 だが、こうしてペアで活動する者は稀。

 元々独立した賞金稼ぎたちが、同じ仕事をする内にペアになったという話は多いが、この二人は賞金稼ぎとして名を挙げる前からたった二人で活動してきた。

 二人はどのような関係性で、どのような目的があるのか。

 薔薇は何故その幼い容姿で並ぶ者がいない実力を持っている。何故あそこまで幼い子供が、手足のように銃を扱える。

 巨像は何故自身を酷く扱き使う薔薇に付き従う。何故、彼女に対して揺るがない忠誠心を持っている。

 その謎に、フォニーは迫りたくて仕方が無い。


「別に、何でもないわ。たまたま会っただけ」


 見え切った嘘。薔薇本人も、フォニーも分かっている。しかし、これ以上の詮索は無意味だということが分からない程、フォニーは愚鈍ではない。

 彼女の冷たい、まるで夜の海のように冷たく感情の感じない返答にフォニーは「そうですか」と引き下がる他無かった。

 城塞まであと少しの道程。二人は音が死んだと紛う程一言も交わすことなく、冷たい空気のまま登っていく。

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