ガラスの仮面

相上おかき

ガラスの仮面

 メヌエット、ワルツ、様々な曲に合わせて女性の手を取って踊っていても、どこか心は空っぽで、こんなに多くの音で溢れているのに、どうして寂しいのだろう。

 目の前の女性も、他の参加者も、召使いも、皆、仮面を着けている。何年経っても、この不気味な光景には慣れそうもない。だが、憲法十三条第一項に『この国に暮らす十歳以上の者は、家族・親戚以外の者と関わる際に仮面を着けなければならない』と記されている。仮面を着けて暮らすのが普通で、慣れない私だけが異端なのだ。

 本来、私は王国の舞踏会に入り浸っていい身分ではない。見栄っ張りな母親に連れられて、中流階級ながらも参加している。上流階級の令嬢と懇意になり、婚約を結ぶことが私に課せられた使命だった。出来れば今すぐにでも逃げ出したい。気味の悪い空間、人間の感情が浮遊している国に、愛情なんてないのだから。

 一曲踊り終えると前方で、国王と王妃、そして王子が挨拶をし始めた。王族のガラス製の仮面はシャンデリアに照らされて宝石のように輝き、遠く離れたところからでも、はっきりと見えている。王族らしい美しい顔立ちが、仮面によって引き立てられていた。挨拶は全く聞こえなかったが、盛大な拍手が巻き起こったのだから、余程素晴らしいものだったのだろう。

 すぐに踊りが再開され、私は女性の手を取った。上流階級の中でも格の高い貴族が着ける、純金細工が施された仮面の令嬢。母親が求めるのは、このような相手だろうか。

 中流階級である私と婚約したがる上流階級の令嬢なんていない。だからこそ、話術や仕草を巧みに使い、令嬢を恋に落とすしかないのだ。親が望む婚約はしない、私はこの人と共に生きたい、そう思ってくれる、心から私を愛してくれる人がいるのなら、私は喜んでこの身を捧げよう。

 また一曲が終わり、ふと外を見ると、バルコニーで政治家と話す王子の姿が目に入った。王子の仮面は揺らめく水面に月の光を照らしたように美しく輝いている。

 じっと見ていると、王子はこちらを見て微笑んだ。見ていたことに気づかれたのかと恥ずかしくなったが、それよりも、この仮初の世界で彼だけが命を持っているようで羨ましかった。

 話を切り上げるような仕草をして、王子はホールの隅にいる私の方に向かって歩いて来た。驚いていると、人々が左右に分かれて瞬く間に王子の通る道がつくられ、世界は二人だけになった。私が胸に手を当てて深く礼をすると、王子は一言、「外で話さないか」と言った。もちろん私に断る権利など無く、ホールを出て行こうとする王子の背中を急いで追いかけた。舞踏会の主役とも言える王子がいなくなってしまったのだから、令嬢たちは盗人を見るように私が出ていくのを見届けた。

 ホールから出ても王子は何も話さずに歩き続ける。舞踏会の音が聞こえなくなるほど遠くまで来た時には、王宮の裏にある花畑にいた。そこは城壁のすぐそばで、生い茂った木々によって他の人からは見えない秘密の場所だった。

 王子は花を潰さないように地面に座り込んだ。純白の布に青や金の刺繍が施されたタキシードに、土で汚れた若葉の模様がつく。


「王子、お召し物が」


 立ち尽くす私を見て、王子は微笑んだ。


「いいんだ。もう舞踏会に戻るつもりはないから。それに、あの退屈な空間から逃げ出したかったんだ」


「貴方も?」


「あはは、やっぱり君に声をかけて正解だった。君、名前は?」


「セルトリーヴァ家の長男ネストと申します」


「ネスト、畏まらなくていいよ。僕のことはアモンと呼んでくれ」


 王子は自分の右の地面を叩き、私に隣に座るように促した。王子の隣に座っていいものかと迷っていると、地面に座りたくないのかと勘違いをされてハンカチを敷いてくれたが、なおさら座れなくなったので、ハンカチを拾ってから隣に座らせてもらった。


「ア、アモン様、どうして私を誘ってくださったのですか」


「僕とネストは同じだと思ったんだ」


「同じ……」


「舞踏会にいる大勢の人の中で君だけが寂しそうに見えた」


「仮面を着けているのに?」


「毎日仮面に囲まれて生活していたら、嫌でも分かるよ」


 その時の表情は悲しいものだった。私の想像していた王宮暮らしから遠く離れた、華やかさに隠れる気の休まらない生活が酷く退屈であると嘆く顔。


「なーんて、暗い話は無し! そうだ、せっかくだから仮面外そうよ」


 王子はガラスの仮面を外し、膝の上に置いた。それに合わせて、私も仮面を外した。外すことに躊躇いはあったが、規則を破ることに対する好奇心を抑えずにはいられなかった。

 仮面の縁が視界に入ることなく、外の景色がはっきりと見えた。もちろん、王子の顔も。

 貴方は今、私の仮面が外れたのを喜んでいますね。そうでしょう? だって笑っている。

 頬の上を涙が伝う。


「どうして泣いているの?」


「勝手に、溢れてくるんです」


「……ネスト、悪く思わないでくれ。君が涙を流しているのを内心嬉しく思うんだ。父上と母上以外の人が仮面を外しているのを見たことがなかったんだ。誰もが持っている感情を忘れてしまっていた。僕も涙を流しても良いかい? 初めて世界が綺麗に見えたんだ」


 私たちは二人で涙を流した。泣き顔を笑いながら、本当は美しかった世界に喜びながら。

 舞踏会の終わりを告げる鐘が鳴り響くと、再び仮面を着け、ホールに戻っていった。王子は別れを告げるときに、「君に出逢えて僕は幸せだったよ」と微笑んだ。

 もう二度と話すことは無いだろうと思ったが、王子は私が舞踏会に参加するたびに話しかけに来た。そして、その度に抜け出して、鐘が鳴るまで仮面を外す。

 気がつけば半年もそうしていた。

 今夜もまた舞踏会に行く支度をしていると、母親から、婚約の申し込みが届いた、と知らされた。だから明日、相手の屋敷を訪ねるとも。

 相手は上流階級のユリモナス家のルミーネ嬢だ。上流階級の令嬢がどうして?


「ネスト、ユリモナス家は大貴族よ! 素晴らしい息子を持って、私は幸せものだわ」


 その言葉の後も、私を褒めるようなことを言っていたが、私の耳には何も届かなかった。

 ああ、そうか。王子に、アモンに会えなくなるのが寂しくて仕方ないんだ。

 今日で終わりにしよう。そう心に決めて、私は仮面を着けた。

 


 王子はいつものようにバルコニーで上流階級の人々と話していた。いつ見ても王子は美しく、寂しさを隠し持っている。

 目を合わせると話を切り上げる仕草をし、私のところに来てくれた。王子はホールの出入り口を指差したが、私が「ここで大丈夫だ」と答えると、王子はバルコニーの扉を閉めて、舞踏会に参加する人々に話が聞こえないようにしてくれた。


「今日は報告があって来たんだ」


「ユリモナス家の令嬢との婚約だろう? 良かったじゃないか」


「なぜ知って……」


 王子は微笑んでから、白く輝く月を静かに眺めた。


「アモン、謀ったな!」


「謀ったなんて人聞きの悪い。ルミーネ嬢は以前からネストに好意を抱いていたんだ。それを少し手伝っただけさ。それに、僕も婚約をした報告をしようと思っていたところだったんだ。ネストに先に言われるとは思ってもいなかったけど」


「……」


「明日正式な発表がある。政略結婚のようなものだけれど、僕はそれでもいい。僕一人だけが寂しさを紛らわそうなんて許されるはずもない。ネストの婚約に手を貸したのも、自分にとっての贖罪だったからだ」


「もう、会えなくなってしまうのか?」


「大貴族と婚約するんだろう? 案外すぐにでも話せる機会はあるさ」


「そうだな、そうだよな」


「……狭くて暗い、この国で僕にはやらないといけないことがある。ネスト、君を幸せにするために。そして、この国の人々の自由を手に入れるために」


 そして私たちは抱擁を交わした。首筋に触れるガラスの仮面は冷たくて、微かに震えていた。

 仮面があって良かったと初めて思う。こうして貴方と会える最後に、泣き顔なんて見せたくない。

 抱き寄せた肩にもう一度力を込めた。

 


 数年後、アモン国王による憲法の改正が行われ、約二百年もの間続いていた仮面を着ける規則は撤廃された、という旨の掲示板が出された。『この国の人々には、仮面に縛られない自由な暮らしをしてほしい』、その言葉は昔聞いた彼の夢に偽りなく、実現してしまったのだから、一国民として喜ぶべきだ。そう分かっていても、まだ……。

 外した仮面を胸に抱き、昂らない心臓の音を聞いた。

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