咲楽巡査部長の「危機一髪」

やまのでん ようふひと

第1話 二度目の交番勤務

「前高署地域課勤務を命ずる」

「本町交番勤務を命ずる」


山下咲楽やましたさくら 30歳 独身 階級は巡査部長 

警察官になって8年目、昨年度の進級試験で巡査部長に昇進


 咲楽は定期人事異動で久しぶりの交番勤務を拝命した。

「喜んで!」

 上司から辞令の交付を受けた咲楽が返答した。

「お前な、いくら異動希望が叶ったからと言って『喜んで』は無いだろ。まあ山下らしいけど。」

「交番、好きなんです。」

 警察学校を卒業すると、初めての勤務はほぼ交番に配属される。

 咲楽の初勤務は田園風景が広がるのどかな地域であった。これまでこれといった凶悪な犯罪が起こったことのない地域である。

 巡回に出れば高齢の夫婦宅に上がり込んでは、かしたての芋を食べたり、お茶を飲んだり、時にご飯をご馳走になることもあった。

 巡回はバイクに乗って一人で出ることが多かった。

 そんなある日、田んぼが一面に広がる処で迷子になってしまったことがある。周りをキョロキョロしていると小学生低学年の女の子が近づいてきてこう言った。

「お巡りさん、何してるの。」

「見回りしてるんだよ。」

 まさか警察官なのに迷子になって帰り路が分からないとは言えない。そう見栄を張った。

「あそこの大きな木の所を右に曲がって暫く行けばきっと交番への帰り道が分かるよ。気を付けてね。お巡りさん、頑張れ!」

 小学生は咲楽を迷子だと見破っていた。

「分かってるわよ。お嬢ちゃんもこの辺は物騒だから気を付けてね。」

 そうは言ったものの、内心ありがたいアドバイスだったと思った。 思わず舌を出し自分のおでこを叩いた。

「励まされちゃった。」


 毎日が楽しかった。

 交番所長も物わかりのいい人で理解があるし、先輩の主任も優しく接してくれた。

 恵まれていると思った。

「この仕事、一日やったらやめられないわ。」

 咲楽は年中そんなことを思っていた。


 しかし警察官に異動はつきものである。

 異動の内示が出た。この地域での勤務は2年間だった。

 それを老夫婦に伝えに行くと老夫婦は咲楽の手を取って、

「咲楽さん。必ずまた遊びに来てくださいね。絶対ですよ。」

 そう言って老夫婦は涙目になった。


 こんな悠長な警察官生活を送っていて、ほかの部署での勤務などできるのだろうか。それが異動に考慮されたのかもしれない。

 異動先は所轄だったが激務とされるまさかの刑事1課だった。

 勤務内容は一変した。

 深夜の張り込み。一斉検挙。逮捕に取り調べ。

 先の2年間は手錠など掛けたことは一度もなかった。それが1課では頻繁だった。拳銃を抜いたことも何度かあった。男性の同僚に助けられながらもそれなりに奮闘したのだった。


 次の異動先も刑事部。しかも県警本部だった。

 激務は想像を超えた。

 体重もかなり減った。

 そして今回、交番への異動だ。

 希望が叶った。

 咲楽は素直に嬉しかった。

 刑事の仕事も遣り甲斐はあったが、過激で自分には似合わないと感じていた。

「なにヘラヘラしてるんだ。今度の交番は前の時とは違うぞ。繁華街の交番は大変だぞ。覚悟しとけよ。」

 上司が言った。

「課長、分かってます。」

 姿勢を正してそう答えたものの、内心は軽さを感じていた。


 咲楽は交番に赴任した。交番所長は警察学校時代の教官だった。

「山下部長。よろしく頼むよ。お前は学校時代成績が良かったんだから頼りにしてるぞ。」

 咲楽は警察学校時代に戻ったように背筋を伸ばし、大きな声で返事をし、敬礼した。

「早速巡回に出てくれ。」

 交番所長の命令が出た。咲楽のバディーはこの交番2年目の若手だがバリバリのイケメンだった。

「部長、よろしくお願いします。」

「こちらこそ。川田巡査。では行きますか。」

 二人はパトカーに乗り込んだ。

 咲楽は前高市本町の地理を概ね知ってはいたが、路地までは知らなかった。

 川田は狭いところにどんどん入っていく。

「この辺は多発地域です。警戒が必要です。」

 川田が丁寧に周りを確認しながら咲楽に言った。

「承知してるよ。何度かこの辺に強制捜査に入ったことがあるからね。」

 川田が咲楽の方を見て、

「山下部長は、武術の方はどうなんですか。」

 そう質問してきた。

「得意じゃないよ。」

 剣道は二段だったが、逮捕術や柔剣道など余り自信はなかった。

「でも所長から結構逮捕してるって聞きましたよ。」

「たまたまだよ。」

 咲楽は謙遜して言った。

 川田がパトカーを止めた。

「あの男性、職質してみましょう。ちょっと気になる。」

 初めての巡回だから道案内程度かと思っていたが、川田にはそんな気持ちはなかった。見た目には一般人のようだが、川田は何かを感じたのだろうと思った。

「分かった。行こう。」

 二人はパトカーを下りた。

「一寸、お話よろしいでしょうか。」

 川田が切り出した。

「何ですか。」

 当然のように嫌な顔をされた。

「持ち物、確認させてもらっていいですか。」

 いきなり切り出した。

「不審なものは何にも持っていませんよ。」

 大方はこんな反応をして両手を広げて見せたりする。しかしこの男は左手を上着のポケットに入れたまま、右手だけを見せた。

「左のポケットの中を見せてください。」

 川田がそう言った途端、その男が逃げ出した。

「まてー!」

 川田が後を追った。咲楽は直ぐ無線連絡を入れた。

「前高市本町二丁目市役所通り、不審者発見、追跡中、応援願います。」

 咲楽も川田の後を追った。でも川田の姿が見えない。

「どこへ行っちゃったんだろう。」

 咲楽はあたりを見渡したが気配はない。

 耳を澄ませてみた。僅かに半長靴で走っているカツカツとの音が聞こえた。

「あっちだ!」

 咲楽は音のする方向へ急いだ。警棒を手にした。

 川田が男をねじ伏せている。

「公務執行妨害で逮捕する。」

 川田が手錠を出した。咲楽は不審者確保の連絡を入れた。

 男は最近はやりの風邪薬をポケットに大量に忍ばせていた。

 二人は署から駆け付けた係に男を引き渡した。


「初日からお手柄だったね。」

 交番所長が二人をねぎらった。

「川田巡査のお手柄ですよ。」

 咲楽は川田を持ち上げた。

「それにしてもこのイケメン結構やるな。」

 内心そう思った。


 今日はいきなりとまりの勤務だ。

「部長、夕飯、どうします。近くにうどん屋があるんですが、結構美味いですよ。」

 川田が咲楽に勧めた。

「お薦めはあるの。」

「うどん定食が早くて安くて美味くてボリュームも満点ですよ。」 

 咲楽は川田のお薦めのうどん定食を頼んだ。

 交番所長は用事があるからと定時で帰って行った。


 30分もするとうどん屋が配達に来た。

「毎度ー。うどん定食2人前で~す。」

 咲楽は何だか聞き覚えのある声だと思った。ふと顔を上げると配達に来たうどん屋は以前咲楽が逮捕したことのある20代の男だった。

「あれー。うどん屋さんに就職したんだ。知らなかった。」

 咲楽はうどん屋に声をかけた。

「あっ。山下さん。あの時はお世話になりました。今は反省してうどん屋で雇ってもらって、真面目にやってますよ。」

「そりゃ、良かった。」

 咲楽はニコッと笑ってうどん代を手渡した。するとうどん屋は咲楽の手首をいきなりつかみ、自分の方に引き寄せた。

「あの時のことは一日たりとも忘れたことがない。あんたのこと、今でも恨んでるんだ。それにあんたは俺がうどん屋に勤めたことを知らなかったとこきやがった。頭に来た。まさかここで出会えるとは。俺はラッキーだ。」

 暴力団の一斉摘発で格闘した挙句、この男に手錠をかけたのは咲楽だった。容疑は麻薬の密売だった。

「こんなことは止めろ。手を放せ。」

 川田が男に言い寄った。警棒に手をかけている。

 男は咲楽を羽交い絞めにして、後ずさりした。

「俺はな、こいつの所為で散々な目に遭ったんだ。組からも見放されて。全部こいつの所為なんだ。」

 咲楽は逆手を取られ、首には腕が絡みついている。

「やめなさい。折角更生しようとしてるのに。これじゃ元の木阿弥だよ。」

 咲楽は喉を絞められていて声が出しずらかったが、必死に訴えた。

「うるせー、大きなお世話だ。俺はお前を道連れに車に飛び込んで死んでやる。」

 男はそう言って咲楽を外に引きずり出した。

「落ち着け!そんなことして何になるんだ。とにかく落ち着け!」

 川田が必死に説得しようと試みている。しかし男は言うことを聞かない。


「あのトラックが来たらそれに飛び込む。」


 男が叫んだ。

 トラックはどんどん近づいて来る。

 もうなす術はないのか。

 突然のことで咲楽も川田もどう対応したらよいものかと苦慮した。

 もうトラックはすぐそばまで迫ってきている。


「もうだめだ!」


 咲楽が観念したその時だった。

 川田は男がトラックの方を見たその瞬間を見逃さず、男にめがけて警棒を投げつけた。

 警棒は男の顔面を見事に捕らえた。

 男はその場に倒れ込んだ。

 すかさず咲楽は体を翻して男の腕を逆手に取った。

「殺人未遂の現行犯で逮捕する。」

 咲楽が男に手錠をかけた。


 一件落着。


「普通、警棒を投げたりはしないよね。」

 交番に戻った咲楽がお茶を入れながら川田に言った。

「背に腹は代えられませんからね。それにしてもひるんだ星にたいをかわして手錠をかけるまでの一連の動きは自然体で様になってましたよ。」

 川田は笑いながらそう言ってふやけたうどんをすすった。

 咲楽はあの時は必死だったと言って照れ笑いした。

「でもありがとう。川田巡査のお陰で助かったわ。あの時はもうだめかと思った。」

 咲楽は素直に川田にお礼を言った。

 川田に危機一髪のところで助けられたことに深く感謝している咲楽だった。


 2度目の交番勤務。希望してのものだったが、当たり前と言えば当たり前のこと、やはり以前のようなノンビリという訳にはいかないと、気を引き締めた。


 それにしても、これからこの二人の関係は・・・


 さて、どうなって行くのだろう。


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