9 中二冬-3

 てっきりクレームを付けられると思っていたので、ひとまずホッとしたものの、頼み事をされるというのは想定外だった。


「ポ、ポスター?」

 僕が彼女にそう尋ねると、

「う、うん」

 と、ほほを赤らめながらうなずいた。


 気のせいだとは思うが、それがとても恥ずかしそうな仕草に見えたので、僕は思わず目をそらしてしまった。


「僕、絵は全然けないよ?」

「でも、字は上手いよね、字をお願いしたい!」


  ***


 中学一年の六月頃。美術の課題で、「明るい選挙」というテーマで絵を描くというものがあった。絵を描くのは苦手だったので、何とか上手くごまかして、適当に課題をクリア出来ないものかと思案していた。


 その直前の美術の課題が、レタリングという、デザイン的な文字を書くという授業だったので、それを利用することを僕は思いついた。


 ポスター用紙いっぱいに大きく「明るい選挙」という文字を、定規やコンパスを利用して、それこそ印刷物のように書き、それを提出したのだ。


 クラス全員の作品が教室の後ろに張り出され、美術教師が全ての作品について感想を言う、という流れだった。


 皆、思い思いに描き上げた作品は、色とりどりであったが、文字だけという作品は、僕一人だった。インパクトは絶大だった。自分で言うのもなんだが、一番目立っていたと思う。


 美術教師が順番に感想を述べていく。僕の番が来た。

「あの文字だけのは誰かな?」

「はい」

 僕は、そっと手を上げた。教室の皆が、僕の方を見た。

 お調子者のクラスメートが

「マジか!」

 と大きな声を上げた。


 教室中にクスクスとした笑い声が広がっていく。


 美術教師は腕を組むと、右手であごの辺りをさすりながら、思案しあんするように感想を語りだす。

「文字は良いね。完璧に近い。ただ、ちょっとだけサボったな?」

 そう言って、ニヤっと僕の顔を見る。

「……はい」


 その瞬間、教室中に大きな笑いが巻き起こった。


 絵を考える手間を省いて、文字だけに集中した。そのことを美術教師は見抜いていた。

 作品を見るために、全員が教室の後ろを向いている。いつもとは逆で、彼女の後ろ姿越しに、皆の作品を僕は見ていた。


 ふと、彼女が僕の方を振り返り、あのイタズラっぽい小悪魔的な笑みを浮かべている。


 僕はそれに対して、

(何か問題でもある?)

 といった、とぼけたような表情を返すと、彼女も

(別に?)

 と、口角をほんの少し上げて、また教室の後ろに向き直った。


  ***


 彼女は覚えていてくれたのだ。入学して間もない、一年半近く前のあの出来事を。


 選挙演説会では、候補者が座る席の前に、候補者名を大きく掲示するのが通例となっている。それを僕に書いて欲しいというのである。


 生徒会選挙など、僕にとっては全くどうでもいいイベントで、適当な人に投票すればいいだけの無関係な出来事だと思っていたのに、いつの間にかそのイベントに、少なからず関わることになってしまった。


 僕は依頼を引き受けることにした。当日まではまだ時間もあったし、上手に書く自信もそれなりにあった。


 運動会の時の思いとかもあって、少しでも彼女の役に立つことができるのであれば、それは願ってもないことだった。


 なにより、あの美術の課題のことを、今でも覚えていてくれたことが、本当にうれしかったのだ。

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