第15話 本当の不安とは

今の僕はこれまでの貯金を取り崩して生活している。

だからお金は減っていく一方だ。


当然、不安になる。

それはいつかこの貯金が尽きてしまうのではないか?という不安だ。


ある日、その不安をジッと凝視してみたら、裏側には別の気持ちが隠れていることに気づいた。

それは次のようなものだった。


「やりたいことが見つからない」

「これから目指そうとする生き方で本当に大丈夫なのだろうか?」

「それが経済的に満足できる結果につながるのだろうか?」


これらは結局のところ「自分の生き方」に対する不安であり

「自分の未来への自信の欠如」を表している。


だから「お金の不安」というのは「生き方への不安」の裏返しなのだ。


その証拠に、サラリーマン時代の僕にはお金の不安はなかった。

毎月、お給料が入って来るからだ。だから生き方に不安など感じなかった。


いわば、当時の自分にはサラリーマンという生き方は「定年退職まで続く線路」だった。


ところがその線路から脱線した時、僕は不安になった。

それは表面的にはお金の不安だ。

「これからどうやって生計を立てていけば良いのだろうか?」と。


でも、裏側に隠れている本当の不安は「生き方への不安」だということに気づいた。

これからはサラリーマンではない別の生き方をしなくてはならないわけだから。


だから「お金の不安」は結局のところ「生き方への不安」なのだ。


僕はもう腹をくくるしかないと思っている。


もし僕が目の前のお金の不安を解消したいならば、もっとも近道なのは再びサラリーマンに戻ることだ。

でも、自分はもうそれをしたくないのだから。



違う生き方をしたいのだから。


だからお金の不安を解消するためには、これからの自分の生き方に対する不安を解消するしかない。


それは「自分の未来を信じること」であり、要するに「自分の人生を信じること」だ。


心細い話だが、ここには賢人の知恵などない。。

信じるか信じないかの二者択一。以上。


「自分の人生を信じること」

これは人間の人生における最大の難問なのではないかと思う。


結局、多くの人が(かつての自分も含めて)サラリーマンとして雇用される生き方を選ぶのは心のどこかに自分の人生を信じきれない不安があるからなのだ。


それは、

自力で生きていけるのは才能のある一部の人だけという固定観念であり、

失敗という惨めな思いをしたくないという恐れであり、

無難に生きていく方が手堅くて賢いのだという言い訳だ。


お金の不安という表札の裏には

自分の人生を信頼できないという、本人も自覚できていない人生最大の恐怖が潜んでいるのだ。


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人生の分かれ道に立った時

多くの人は今までの延長にある方角を選ぶ

だから人生が変わることはない


それなのに

その道の先に新しい光景が広がっていることを期待している



自分を信じるということは、

人生の分かれ道に立った時に

今までとは違う新たな方向に行く道を選ぶことだ


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