【危機一髪】シンデレラはお掃除をためらう

ながる

魔法使いは禁煙を諦める

 荒れた部屋の中、息をひそめて身を縮める。

 入口から中を窺って、次の部屋へと向かう気配。確信がないからか、まだ相手も踏み込んでこようとはしない。部屋数だけはある廃ビルでよかった。

 足音は三つ。うちの一つは階下へと向かった。残り二つが、このフロアをゆっくりと見回っているのだ。

 背嚢から小型の閃光弾を慎重に取り出す。相手の動きに合わせて、なるべく気配を殺しつつ。


 いつものようにはあっさりと終えたのだ。撤収準備をしている間に、お客さんがやってきた。明日まで人払いは済ませていたはずなのに……

 先日『魔法使い上司』から裏世界の秩序が乱れそうな話を聞いたばかり。偶然ではないんだろう。

 自慢じゃないが、これまで『王子様ターゲット』以外に怪我を負わせたこともない。それはささやかなシンデレラのプライドであり、縛りでもある。まだ開幕のブザーを聴いていないのだから、たとえあちらが私を狙うのだとしても、その縛りは外せない。


 唇を湿らせて、慎重に息を整える。

 足音は隣の部屋くらい。耳栓と特殊ゴーグルを装着して、手の中のネズミ型閃光弾に口づけた。タイマーは七秒にセットして、そっと入り口脇に移動する。

 手だけを出して、ネズミの頭をお客さんたちの方に向けた。


 走り出した閃光弾に、素早く反応するお客さんたち。威嚇の弾は当たらなかったようだ。「チチッ」と閃光弾が鳴く。舌打ちが聴こえて、私のカウントより早くそれは炸裂した。

 同時に駆け出す。相手もプロだ。目と耳がダメになっても、気配で撃ってくる。ひるまず全力疾走!

 彼らを追い越した先の階段を上っていく。階下の人もすぐ追いかけてくるだろう。

 屋上に飛び出せば、正面に銃を構えた男が待ち構えていた。反射的に横へと転がる。着弾の音を二発聞きながら一回転で起き上がり、階段室の裏側へ回り込んで距離を取る。


 敵もさるものね。たまにはこういうのも楽しいかも?

 追いついてくる足音を聞きながら、足を緩めずそのまま縁に登って宙へ舞う。

 あとは運を天に任せるのみ、と、二階分ほど低い隣のビルの屋上の着地点を見下ろせば、黒スーツの男がこちらに銃口を向けているのに気付いて、息をのんだ。


 ちょっと、想定外。


 ♡ ♡ ♡


 銃声は二つ、だったのだろう。耳栓をしたままだったので、定かではない。

 正面の銃口に火花がちらついたのは見えた。

 一発が腕を掠り、少しだけ体勢が崩れる。

 綺麗な着地は諦めて、受身を取ろうと目測で距離を測った。

 その視線の先に、黒スーツが入り込んできた。着地直後に傾いだ身体を彼はしっかりと受け止める。


「間に合ってよかった」


 私はちらとだけ彼を見上げて、それから飛び降りたビルを振り返った。屋上で待ち構えていた男の姿はもうない。


「……意外」

「……君は俺をなんだと思ってるんだ?」


 呆れ声の『魔法使い』は、おざなりに私の肩についてた砂礫を払ってから、深い溜息をこぼして踵を返した。


「他は知らないが、うちの組織では事務職に就くにもが必要だ。まあ、『シンデレラ』はそんなことに興味はないんだろうが」

「それもだけど、ここに居たことが」


 彼は眉間に指を当てて、もう一度深く息を吐く。


「だから、君は俺をなんだと……」


 もしかして、今までも仕事の時は近くで待機していたのかしら。

 気付いていなかったのはなんだか悔しいから、訊いてやらないけど。

 ポケットから煙草を取り出して吸い始める『魔法使い』に眉を顰める。煙が流れてこないよう距離を空け、ついでにもう一度廃ビルの屋上を仰ぎ見た。


 ――やったのは私じゃないから、ノーカンよね?


「……ああ、そうだ。ついでに。『赤ずきん』の結婚相手のいた組織な。仕事の邪魔になるようなら排除していいそうだ」

「あら。じゃあ、『赤ずきん』も?」

「どうかな。ふたりで姿をくらましたらしい。それで、あちらさん、手がかりを求めてるってとこだ」


 けばけばしい、切れそうに瞬くネオンの明かりが、煙を吐き出す彼の口元を浮かび上がらせた。わずかに緩んでいる。

 相変わらず、お優しいことね。

 平和とは程遠いところに身を置いて、平和を愛でているなんて、ちょっと滑稽。

 私はとりあえず上がった幕に拍手を送ることにするわ。

 余計な手加減は、しなくてよくなるのだから。




 おわり

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