体育館の舞台の上で、俺は子供を卒業した

生出合里主人

体育館の舞台の上で、俺は子供を卒業した

 俺は近所に好きな子がいる。


 町の有力者の娘で、完全無欠のお嬢様。

 由緒正しい家柄だけあって、なにをしても品がある。

 顔も上品できれいなんだけど、声や仕草はやけに子供っぽい。

 そんなところがまた、かわいくてたまらないんだ。


 彼女が歩けば道端に花が咲き、空気が爽やかに香ってくる。

 まあ、俺のイメージだけど。


 そんな彼女だから、小学生の頃から高嶺の花だった。

 だけど幼稚園の頃は、よく一緒に遊んでいたんだ。

 後からついてくる姿がいとおしくて、守ってあげたいと子供心に思っていた。


「大人になったら結婚しよう」

 なんて話をしてたんだけどな。


 崖の上にある城のような家の前を通ると、窓際に彼女が現れないかと期待で胸が高鳴った。

 地下室からピアノの演奏が聞こえてくれば、その軽快な音色に聞きほれた。


 その豪邸のとなり、崖の下には、けったら壊れそうなボロいアパートがある。

 そこにはがらの悪いヤンキー夫婦が住んでいて、その娘がまた、典型的なヤンキー女だ。


 目つきは悪いし髪はボサボサ。

 声はドスがきいていて、肩で風を切りながらガニ股で歩く。


 俺はそいつがいると、下を向いて避けるようにしていた。

 視線が合ったり肩がぶつかったりしたら、なにをされるかわかったもんじゃない。



 高校に入ると、俺は運悪くヤンキーと同じクラスになった。

 ヤンキーは「組長」と呼ばれ、みんなから恐れられている。

 ヤンキーが歩けば、誰もが道をあけていく。


「テメエ、なに見てんだよ」


 ヤンキーはすぐにからんでくるから、俺はいつもビクビクしていた。


 けれど人生、不運なことばかりじゃない。

 隣のクラスには、あのお嬢様がいたんだ。


 お嬢様は神童と呼ばれるくらい優秀だった。

 そんなお嬢様がなんでこんな平凡な高校に、って思ったら、彼女の親と学園の理事長が知り合いだったらしい。

 親のコネ、ナイスっ。


 お嬢様の役に立ちたいと願った俺は、とりあえず体をきたえた。

 男たるもの、か弱き女性を守れなくてどうする。

 きつくてつまらない筋トレも、彼女のためだと思えば苦にならない。


 日々の努力によって、筋肉は順調に増えていった。

 するとどうだろう、周囲の俺に対する見方が変ってくる。

 男子は尊敬してくれるし、女子の視線も感じるようになった。


 俺はお嬢様から見えるところで、おもむろにトレーニングしてみたりする。

 でもさすがはお嬢様、そのぐらいのことでは興味を示してくれない。


 そこで俺は校内でも町中でも、困っている人を見れば声をかけるように心がけた。

 道を教えたり、重い物を運んだり。

 できることならなんでもやった。


 俺が目指すのは、男の中の男。

 べつに下心があるわけじゃないけど、お嬢様が俺を紳士だと思ってくれればラッキーだ。



 お嬢様とお近づきになれないまま、翌年の三月になった。

 その日は黒い雲が次々と現れて、嵐を予感させるような空模様。

 朝高校の玄関に入った俺は、下駄箱に手紙が入っていることに気づく。


「夕方五時、体育館で待つ」

 それしか書いてない。

 名前はない。


 まるで果たし状だけど、一応ラブレターなんだろう。

 でもこんな書き方じゃ、少なくともお嬢様ではないな。

 すっかり男らしくなった俺に、とうとうファンがついたということか。


 俺は、お嬢様以外の女子と付き合う気はない。

 けれど俺がモテていれば、その噂はいずれお嬢様の耳にも届くだろう。

 ついに俺の時代がやってきたということか。



 放課後、空には雷が鳴り響いていた。

 雨が激しく降り注ぐ中、俺は屋根付きの渡り廊下を通って体育館へ向かった。


 俺は女の子に告ったことも、告られたこともない。

 緊張はいやおうなしに高まっていった。


 部活も終わり、薄暗く静まり返った体育館。

 大きくて重たい扉を開いて、俺は驚愕する。

 目の前に立っていたのは、憧れのお嬢様だったからだ。


「あ」

 お嬢様は俺の顔を見たとたん、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 恋をしている女の子の顔だ。


「き、君だったんだね」

 俺の心臓は破裂しそうになっていた。


「は?」

 お嬢様は胸元を押さえて、首をかしげている。

 なんてかわいらしいんだ。


「俺に、て、手紙くれたでしょ?」

「なんのこと?」


 なに照れてるんだよ。

 どこまでかわいくなる気だー。


「俺も前から、君のこと……」

「よくわかんない」


 そう言ってお嬢様は、俺の横を通りすぎてしまった。


「おーい。ちゃんと告白してくれよぉ」


 そうつぶやいた時、俺は恐るべき握力で耳をつままれる。


「テメエの相手はアタシだよっ」


 振り返ると、そこにいたのはあのヤンキーだった。


「は?」

「は、じゃねえよ。テメエこっちにこいっ」

「く、組長……いたたたたっ」


 俺は首根っこをつかまれ、体育館の舞台の上まで連れていかれた。

 普段校長とかが使う演台の前で、俺はようやく解放される。



「さぁて。覚悟はいいか」

「あの組長、お金なら持ってません」

「カツアゲじゃねえよ」

「俺、フルボッコっすか?」

「テメエなに勘違いしてんだ。この流れでなんでわかんねえんだよ。告白に決まってんだろうが、あ~ん」


 俺は自分の耳を疑った。

 腹筋が割れているとはいえ、こんな不良がカタギの俺を選ぶはずがない。

 ヤンキーの相手はヤンキー。それが常識だ。


「ウソでしょ?」

「なんでウソなんだよ」

「だって俺、ヤンキーじゃないし」

「アタシだってヤンキーじゃねえ。よくそう言われるけど」

「どう見てもヤンキーじゃん」

「あ? 今なんつった」


 猛獣のような目でにらみつけられ、俺は小動物のように縮こまる。

 これ告白じゃなくて、脅迫だよね。


「なんでもないです……。でも組長、なんで俺なの?」

「テメエはいいヤツだ。お年寄りをおぶってやったりしてさ。アタシはテメエが他人に親切にするのを見るたびに、感動しちまってたのさ」


 しまったーっ。

 裏目ったーっ。


「いやあの……俺はべつに、いい人ってわけじゃなくて……」

「いーや、テメエは昔から優しかった。アタシが生理痛でうずくまっていた時も、心配してくれたし」


 それは顔が見えなかったからだよー。

 ヤンキーだってわかってたら声なんかかけるかよー。


「そんなことぐらいで……」

「そんなことじゃねえよ。テメエは昔から弱虫だったくせによぉ、ムリして男らしくなろうとしやがってさぁ。そんな姿がかわいくてな」


 かわいい?

 男らしくなったつもりなのに。


「あの組長、正直に言うよ。俺好きな子がいて、その子にどうしても好かれたくって、いい人のふりをしてたんだ。すいませんでしたっ」


 そう言って俺は目を閉じた。

 殴られるだろうと思ったからだ。


「なんだテメエ、キスしてほしいのか?」

「違うし……いえ、違います」

「どこのどいつだ、テメエが好きだっていう女は。アタシがソイツをしめてやる」

「いやいやいや、いたいけなお嬢様にそんなことしないでよ」

「お嬢様だ? もしかして、さっきここにいた女のことか?」

「うっ……」


 か弱いお嬢様が、悪魔のようなヤンキーにボコられてしまう。

 ここは俺が、あの子を守ってあげないと。


「男ってよぉ、なんであーいうのにだまされるかなあ」

「だまされる?」

「テメエ知らねえのかよ。あの女がとんでもないビッチだってこと」

「ビッチ? まさかぁ」

「マジだよ。あの女、男をとっかえひっかえしてやりまくってるんだぜ。この学校の生徒も、教師も、町の男たちも、片っ端から千人斬りだ」


 なに言ってんだ、このクソヤンキー。

 そんなこと、あのお嬢様に限ってあるはずがない。


「ウソだ。そんな話、俺は信じない」

「だけどさっきだって、ここでよろしくやってたんだぜ。アタシはとっさに隠れたけど、あの女があんまり激しくてビビったよ。あれはたぶんセックス依存症だな」


 俺は金づちで頭をたたかれたような気分だった。

 お嬢様が胸元を押さえていた姿が思い出される。

 彼女の制服は乱れていて、きれいなストレートヘアがグシャグシャになっていた。


「だけど、あの子は一人だったし」

「人に見られてもいいように、時間差で出ていったんだよ」


 俺とバッタリ鉢合わせして、お嬢様は明らかに動揺していた。

 あの動揺は告白の緊張じゃなくて、見られてマズいと思ったからだったのか?


「そんなバカな。そんなこと絶対にありえない」

「ほらそこ、ゴムが落ちてるだろ」


 演台のうしろに、使用後のコンドームが落ちている。

 しかも中身入り。

 生々しくてグロい。


「それは組長のでしょ」

「そんなわけねえだろ。アタシはバージンだっつうの」

「ウソでしょ?」

「なんでウソなんだよっ。アタシは中学の時から、テメエにバージンを捧げるって決めてたんだよ!」


 ヤンキーが照れてる?

 ありえるのか? ヤンキーが恥じらうなんてことが。


「でも俺、組長のことはなんとも……」

「テメエ照れてんじゃねえよ。アタシがおもちゃのピアノを弾いてる時、うちの前で聞きほれてたじゃねえか」


 えっ、あれってお嬢様じゃなかったの?

 豪邸の地下室じゃなくて、隣のアパートの一階だったってこと?

 そう言えば曲もクラシックじゃなくて、ヘビメタだったような気もする。


「幼稚園の時なんか、よく二人でお医者さんごっこをしたよな」

「ええっ、俺と組長が?」

「テメエ、アタシと結婚するって約束したじゃねえか」


 俺のセピア色のヒロインは、あのお嬢様じゃなくてこのヤンキーだったっていうのか?

 記憶の中の女の子が、こびるような表情からりりしい顔つきへと変わっていく。


「テメエの記憶があいまいなのはしかたねえ。アタシとあのビッチは生まれた時病院で間違えられて、幼稚園出るまで逆の家で育てられたんだからな」

「まさか、そんなことあるわけ……」

「金持ちは血にこだわった。貧乏人には借金があった。アタシたちは金で交換されたのさ」

「なんてことだぁ」

「でもな、ガキの頃英才教育を受けたおかげで、成績はやたらよかったし、IQテストなんか130超えてたんだぜ。もっとも、勉強サボってたらテメエらと同レベルまで落ちちまったがな。アッハッハッハッ」


 この町始まって以来の神童と言われたのが、このヤンキーだったなんて。

 でも、それがどうした。

 記憶が違っていたからって、気持ちが変わるわけじゃない。


「仮にその話が全部本当だったとしても、組長のことを好きになるわけじゃ……」

「安心しな。必ずホレさせてやるから」

「男らしい……」


 その自信にあふれた口ぶりに、俺は思わずキュンとしてしまった。

 だけどそういう問題じゃないと思い直し、首を何度も横に振る。


「あのさぁ、テメエは男らしさってやつを追求してるみたいだけど、男らしいとか、女らしいとか、そんなもんはどうでもいいんだよ」

「そんなことないよ。やっぱり男は男らしくないと」

「いいじゃねえか、男がヘタレでも。優しいっていうのも、ある意味強さだ。肝心なのは、人としてどうなのかってことだろ。アタシはテメエに、人としての強さを見た。だから、ホレた」


 俺は混乱していた。

 男が女々しくて、女が男らしくても、いいんだろうか。



「ってわけで、今からここで一発やろうぜ」

「あの、なにを言っているのか……」

「経済的な事情で、アタシは明日この学校をやめる。二年後卒業証書をもらうはずだったこの場所で、女になると決めたんだ」


 そう言いながら、ヤンキーは制服のリボンを外した。

 赤いリボンが弧を描いて宙を舞う。


「そんなのメチャクチャだ」

「あの女だって卒業生とヤッてたし」

「いや、だからって」

「つべこべ言ってんじゃねえよ。テメエとヤリてえって言ってんだよっ」


 ヤンキーが俺の上にまたがり、強引に服を脱がし始める。

 彼女のすさまじい腕力のせいか、俺が感じている恐怖のせいか、うまく抵抗することができない。


「やめてよぉ」

「うるせえ! とっととやらせろ!」

「でもぉ」

「でもじゃねえ。脱げっ。アレを出せ!」


 俺は強烈なビンタを何度も食らい、真っ赤な鼻血が飛び散っていった。


「うっ」

「テメエ、鼻血が出るほど興奮してんのかっ」

「違うでしょう。これじゃ犯罪でしょう」

「涙が出るほど喜んでるじゃねえかよっ」

「だから違うって~っ、やめて~っ、キャーッ」

「テメエどっから声出してんだよ!」

「イヤ~ン、ダメ~ン、ア~ン」

「イヤとか言ってテメエ、スゲエ立ってんじゃねえかよ!」


 俺は男らしくもなんともなかった。

 情けないことに女に押し倒され、むりやり男にされてしまった。

 だけど正直、気持ちよかった。



 ヤンキーが服を直している間、俺は舞台の上で大の字になっていた。

 明日卒業証書が授与される場所に、中身入りのコンドームが二つ転がっている。


「卒業……か」


 おのれを知る。

 たとえ自分の思い描いていた理想とは違っていても。

 それが子供から大人になるっていうことなのかな。


「アタシは働いて金を貯めて、大検を受けて医学部に入る。産婦人科医になって、この国の医療を根本から改善するためにな。だからなかなか会えないかもしれないが、がまんしろ」

「はぁ」

「でも会えた時は、昔みたいにお医者さんごっこをしようぜ。女医になって、全裸に白衣で、あんなことも、そんなこともしてやるからなっ」

「いやん……」


 それは、魅力!


「たっぷり愛し合おうぜっ」

「もう……」



 男らしさなんか、もうどうでもいいや。

 かっことか、人目とか、そんなものは気にしないで愛し合おう。


 愛し合うって、最高!

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