魔境掃除冒険記

kou

魔境掃除冒険記

 部屋はまるで自然災害が襲ったかのような状態だった。

 ゴミが床に広がり、食べ終わったカップ麺の空き容器は山を築いている。

 部屋の一角には、使い古された衣服が塊をなして積み上げられ、風呂の水は黒く淀み瘴気さえ放っているようだ。

 洗濯物の山は高く、まるで洗濯機を見つけるのが難しいほどだ。洗濯物が広がるその周囲には、見当たらないはずの靴下やTシャツが異臭をさらに強めている。

 六畳一間にあるコタツ机の上には、ヤング向け漫画雑誌が山をなし、空になったペットボトルが森を作っている。

 部屋の中には微かな不快な匂いが漂っており、床には何かの液体のシミが広がっている。

 部屋の隅々までが、まるで忘れ去られた秘密の場所のような雰囲気だ。

 その部屋の中で、トランクスに肌着を着た一人の青年が目覚めた。

 髪型は短くまとまり、軽いウェーブがかかっていた。

 身なりは細いが、スポーティーで引き締まった体つきをしており、見る人に活発な印象を与える青年だ。

 彼の名前は山口やまぐち広明ひろあき

 今年の四月から大学生になった彼は、入学を機に一人暮らしを始めた。

 だが、入学早々インフルエンザに感染したことで講義を休み、休養生活に入らざるを得なかった。

 アパートに入居したての広明の部屋は、わずか一週間でゴミ屋敷と化していた。

 広明は寝ぼけた眼でスマホを探し、時間を確認した。

 現在の時刻は午前7時12分だ。

 外は静かで、聞こえるのは部屋に生息する魔物のうめき声だけだった。

 広明は昨晩、閉店前のスーパーで買った半額シールの貼られた牛丼をそのまま食べて朝食にした。

 窓の外から見える朝焼けは、清々しい陽気を演出している。

 広明は、講義に出席しようと決意した。

 ジーンズを履き、シャツを着る。

 ノートを教科書を詰めたリュックを背負うと、バットを手にし、工事現場で使われる安全第一のロゴが入ったヘルメットを被った。

「トイレに立ち寄る、寄り道はしねえぞ。引きずり込まれたら大変だからな。玄関までの距離は12m。今日は何匹現れるんだろうな……」

 独り言をつぶやくと、広明はベッドを降りた。。

 一歩出ると、そこはゴミ屋敷のままだったが、周囲の風景が一変する。

 部屋は薄汚い大学生男子の部屋ではあるが、玄関までの扉が瞬間的に遠くになり、ベッドの位置が見えない。

 広明は、障害物と化したゴミの間を抜けていると、腐臭が漂ってきた。

 そっと物陰から様子を伺うと、一匹のゾンビがヨーグルトのカップに頭を突っ込んで中身を喰らっていた。

「あれは、おれが2日前に食ったヤツだな。まさかゾンビのエサになってたとは、ラッキーなのかアンラッキーなのか」

 広明は背後から襲撃するチャンスと思い、足音を忍ばせた。

 バットを振りかぶり、ゾンビに一撃を加えた。

 鈍い音とともに、ゾンビの首が真後ろに曲がる。

 ゾンビはそのまま力を失い、ゴミの上に倒れた。

 広明は倒れ伏したゾンビを見下ろすと、笑みを浮かべた。

 だが、ゾンビは起き上がると折れた首のまま広明に襲いかかって来た。

「だよな。誰だ、ゾンビを殺すのに頭を狙えなんて言った奴は。元々、死んでるんだから頭とか関係ねえだろ」

 自分に納得する為につぶやくと、広明はバットをゾンビの脚に向かって振り下ろす。

 元々腐った死体だけに、ゾンビの脚は思いの外簡単に砕けた。

 それでもゾンビはそれでも広明に襲いかかろうと、腕を伸ばしてくる。

 広明はその腕をバットで打ち払い、逃げることにする。

 すでに死んでいる相手であるので、倒す方法を探すより逃げるが勝ちなのだ。

 広明はゾンビの腕をバットで打ち払いながら、部屋の奥に向かって逃げることに決めた。ゴミの山をかき分ける。

 普通なら、玄関まで5秒もあれば玄関まで行けるのだが、広明は自分の部屋を汚し過ぎた結果、魔界と繋がってしまい魔物が湧くようになってしまったのだ。

 部屋は六畳一間に、キッチン、トイレ、バス付きの狭い部屋でありながら、その実態は無限に広がる迷宮のようなのだ。

 ゴミの山をかき分け、ペットボトルの森を、つまずきそうになりながら進む。

 だが、魔物たちは待ってはくれなかった。

 ポリエチレンの白い買い物袋が2つも漂い始める。その表に、黒いシミが顔となって浮かび上がる。

「出たな、ポリエチレン・ファントム」

 広明は表情を険しくすると、手にしていたバットを振り回して買い物袋を打ち払った。

 広明の腕力によって、買い物袋は吹き飛ばされるが、すぐにまた漂い始める。

 ポリエチレン・ファントムとは、買い物袋が魔界との通路によって魔物に成り果てた存在だ。

 軽いだけに打撃がどれだけ通用しているのかわからず、広明は苦戦していた。

 ポリエチレン・ファントムは広明の真上から覆い被さるように襲いかかって来た。

 広明はとっさに横に飛び退くと、ポケットにしまっていたカッターナイフの刃を最大限まで伸ばさせた。

 広明の素早いカッターナイフの一撃で、ポリエチレン・ファントム2匹は引き裂かれて蒸発する。

 だが、その間にも白い買い物袋は漂い続けている。

 もたもたしていると、ポリエチレン・ファントムの数が増す可能性がる。

 広明は、その場を抜ける決断した。

 インターバルは欲しいが、今は少しでも出口に向かって進むべきだ。

 広明はゴミをかき分け、玄関に向かった。

 ゴミの山をかき分け、洗濯物の山にジャンプし、カップ麺の山をよけながら、広明は出口に向かって進んでいく。

 その間にも何個ものペットボトルのキャップが、転がりながら猟犬となって追って来る。

「キャップチェイサーか」

 キャップチェイサーは跳ね上がって襲いかかってくるが、広明はバットを振り回し、かっ飛ばす。

 だが、何匹かのキャップチェイサーは広明に嚙みつこうとしてよけるうちに、漫画雑誌の壁に激突した。

 広明はバットを振り回しながら、部屋の異次元的な風景の中を縦横無尽に移動する。

「これが俺の部屋じゃなかったら、なかなかのアクションシーンになってるはずなんだけどな…」

 広明は自分の窮地を冗談めかしてつぶやきつつ、何とか逃げることに成功した。彼はゴミの階段を上り、その先に玄関の扉を見た。

「よし、出口だ」

 広明は、ゆっくりと進んでいると、突然床が揺れ始める。

 まるで地震のように、部屋の中が大きく揺れた。

 同時に、黒い霧のようなものが漂い始めると、床から洗濯物の塊が立ち上がって来るところであった。

 広明の背丈の3倍もある洗濯物の塊は、黒い霧を吸い込みながら天井に向かって立ち上がった。

「ランドリーゴーレム。厄介なヤツが来やがった」

 広明はそうつぶやくと、ランドリーゴーレムの様子を見ながら距離を取り始める。

 洗濯物の塊でできた巨人の姿は、巨人のように大きく見えたが、動きはそれほど速くはない。

 とはいえ、ただの人間が走って逃げられるほど遅くもないようだった。

 ランドリーゴーレムは巨大な拳を振り回し、広明を攻撃してきた。

 間一髪で巨人の拳を避けることができた。

 ランドリーゴーレムの攻撃を避けながら、隙を見てはバットを繰り出していく。

 だが、その打撃の威力は半分も効いている様子はなく、ランドリーゴーレムは意に介していないようだった。

 ランドリーゴーレムは自分の体の一部を引きちぎると、それを広明に向かって投げつけた。

 とっさにバットでガードするが、その威力に吹き飛ばされた。

「臭。何だよこれ。俺の靴下じゃねえか」

 広明は立ち上がると、再びランドリーゴーレムの攻撃を避けた。

 もう一度、バットを振り回すが大した効果はないようだった。

 このままでは追い詰められるだけで、危機を脱出する手段がないことに気がついた。

 かといってこの部屋の中で逃げようとしても出口もなく逃げる場所もないため、すぐに捕まるのも時間の問題だと思われた。

 するとふと気づくことがあった、ランドリーゴーレムの背後に巨大なタンクがあることに。

 広明はニヤリと微笑むと、ランドリーゴーレムから繰り出されるパンチを待った。

 建築資材が落下したかのような一撃を、広明は身を引いて躱すと共に、その腕に乗るとランドリーゴーレムの頭に向かって走った。

 ランドリーゴーレムが腕を振るっても、広明は落ちることなく頭を目指す。

 そして、自分の背丈より大きいその頭に飛び乗ると、体をよじって、ランドリーゴーレムの背後にあるタンクにバットの一撃を加えていた。

「喰らえ。こいつは洗濯用洗剤だ。汚れと一緒に綺麗になるがいい」

 広明がそういうと、ランドリーゴーレムは大量の洗剤を浴びる。

 洗濯物の巨人は、怒りとも苦痛ともつかぬ大音声を上げる。シミや汚れが分解されるのが目に見えて分かる。

 洗濯用洗剤に含まれる界面活性剤の成分は、汚れ物でできた魔物にはよく効くのだ。

 洗剤を浴びながら悶えるランドリーゴーレムを尻目に、広明は再び玄関に走りついに玄関へと辿り着いた。

 ドアノブを掴みドアを開ける。

 清々しい朝日が、広明の目を刺激した。

 すると、隣の部屋のドアが開くのを見た。

 部屋から、ゴミ袋を手にした女性が姿を現す。

 セミロングの黒髪と、驚くほど白い肌が印象的な女性だった。

 彼女は隣の大学生で広明と同じ大学に通う先輩・鳥野美香だ。

「山口くん。おはよう」

 美香はゴミ袋を両手に持って広明に微笑みかける。

「お、おはようございます」

 広明は、美香に挨拶を返す。すると彼女は広明がヘルメットをし、バットを手にしていることに首を傾げた。

「どうしたの? ずいぶんな格好をしてるけど、ケンカでも行くの」

 美香は不思議そうな顔をして尋ねると、広明はヘルメットとバットを部屋の中に放り投げた。

「こ、これは。その朝から掃除をしてて寝ぼけちゃって。あはは」

 広明は照れ笑いを浮かべながら、言い訳をする。まさか、自分の部屋が部屋を汚し過ぎて大魔境化していることを伝えることはできなかった。

 すると美香は、クスッと微笑む。

「おっちょこちょいね」

 その微笑みに、広明はドキッとした。彼女の笑みには不思議な力があるらしい。

 こんな大学生活をスタートさせてしまったことに 少し後悔しつつも、この部屋を引き払えないのは、隣に綺麗なお姉さんが住んでいるからだ。

「先輩。俺がゴミを持ちます」

 広明はそう申し出る。

「そんな。悪いわ」

 美香は遠慮する。

 そして、目が合うとお互いに笑顔になる。

 これが幸せなのか不幸なのかはまだ分からないが、とりあえず自分的に満足な生活だと思うことにしようと思うのだった。

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