第44話 エピローグ

 城の裏手にある丘には、草原の海が広がっていた。

 抜けるような青い空の下、風が吹き抜けると静かにさざ波が立った。

 陽の光を浴びた草花は透けるような輝きを放っている。

 女王によって立ち入りを固く禁じられていたその場所は、まるで時間の流れが止まったかのような静けさを保ち続けていた。


 歴代の王族の墓が建ち並ぶ区画。

 その中の一つ、最も日当たりの良い場所にある墓標に、彼女の名も刻まれていた。

 セラフィナ=エルスワース。

 草木が生い茂り、苔がむし、石が欠け、年月の果てに荒れ果てた墓が建ち並ぶ中、彼女の墓は手入れがよく行き届いていた。


 墓標の前には、花冠が供えられていた。

 丘に咲いた花を摘んで編み上げられた、可愛らしい冠。


 レグルスが供えたものではなかった。

 ここに立ち入ることが出来たのは、この国で一人だけだ。

 彼女は毎日のようにこの丘に通っていたのだと言う。

 この墓標の前で、いったい何を語りかけていたのか。

 怨嗟の声なのか、それとも後悔の念なのか。今となってはもう分からない。それら全てを胸のうちに抱えたまま、彼女は永遠の眠りについた。

 セラフィナの墓標の隣には、真新しい墓標が並んでいた。


「良かったの? 彼女はあなたにとって、積年の仇なのでしょう?」


 レグルスの隣に立っていたセレナがそう尋ねてきた。

 真新しい墓標には、先日崩御した女王の名が刻まれていた。

 レグルスにとっては近衛の元同僚であり、好敵手であり、主君を殺した仇敵であり、千年前から続く因縁の相手だった。


「……奴は俺と同じだった。セラフィナ様に救われ、生きる理由を見出した。何かが違えば互いの立場は変わっていたかもしれない」


 ウルスラがビキニアーマーを身に付けたのは、国や世界のためではなく、極めて個人的な感情に依るものだった。

 彼女もまた、セラフィナの存在を自らの剣を執る理由としていた。

 しかし、それは突如として奪われることになった。

 レグルスがセラフィナの剣に任命されたことによって。

 自らが生きる希望を他者によって剥奪される。もし彼女と同じ立場に置かれたら、正気を保っていられる自信はなかった。

 ウルスラはレグルスにとって、有り得たかもしれない自分の姿だった。


「王都の様子はどうだ」

「上層の市民たちはまだ女王が崩御したことに気づいていない。けれど、じきにそれが広まれば王都は大混乱に陥るでしょう。

 この国の男性は皆、自らを抑圧してきた女性たちに憎しみを抱いている。長年積もりに積もった恨みは、そう簡単には雪解けしない。

 女騎士たちのビキニアーマーが武装解除されたと知った今、男女の間で大規模な争いに発展するかもしれない」


 セレナはそう言うと、


「いずれにせよ、これからこの国は大きく変わっていくことになる。それが最終的に良い結末を迎えるかは分からないけれど」


 でも、と続けた。


「皆に血を流させないよう、出来る限りのことはするつもり。私は私の正しいと思うことを貫くと決めたから」

「……そうか。お前たちならきっと、大丈夫だ」


 レグルスはそう言うと、視線をセレナの隣に向ける。そこには全身に包帯を巻いた若い男の姿があった。

 松葉杖をついた栗色の髪の中性的な青年――ホルスはレグルスを見やった。申し訳なさそうな表情を浮かべながら言う。


「……診療所の方に聞きました。レグルスさんが瀕死の僕を背負って、闘技場から診療所まで運んでくださったと」

『レグルスはあなたに魔力も分け与えたのよ。それがなかったら、今頃とっくにくたばっていたでしょうね』とアウローラが告げた。

『私は何度も止めたのよ? ウルスラとの戦いを前に、力を残しておくべきだと。でも彼は聞く耳を持たなかった』

「どうして僕を助けてくれたんですか」

「……単なる気まぐれだ」


 レグルスは答えた。


「お前は憎しみに支配されない強い心を持っていた。ウルスラを討ち取った後、この国を纏めるために必要だと思った」


 ホルスは倒した女騎士たちを嬲ろうとする組織の男たちを制止した。

 憎しみに対する報復は、また更なる憎しみを生むだけだと。どこかで負の連鎖は止めないといけないのだと。

 ホルスとセレナがいれば、この国は良い方向に向かっていける。いずれは男女が共に手を取り合って生きていくこともできるかもしれない。


 それに、とレグルスは言った。


「お前がいたから、フレイアに勝てた。それを直接伝えたかった」

「レグルスさん……」


 ホルスの目には涙がにじんでいた。目尻を指先で拭うと、誓うように言った。


「必ず僕はこの国を良い方向に導いてみせます。レオパルドや下層街の仲間たち、セレナさんや他の民たちと共に」

「ああ」

「レグルス。あなたはこれからどうするの?」セレナが尋ねてくる。

「……残りの鎧姫たちを討ち、ビキニアーマーをこの世界から一騎残らず消し去る。それが俺のやるべきことだ」


 セラフィナは最期の瞬間に言った。


 ――私の剣として、自分の役目を果たし続けなさい。

 ――そうすれば私は生き続けることができる。お前の中でずっと。いつかきっと――夢見た理想の世界にも辿り着ける。


 誰もが皆、生まれや身分に関係なく、自分の意のままに生きられる世界。

 ビキニアーマーの女騎士たちが大陸の各地で力による支配を続けているのなら、奴らを討つことがその実現に繋がるはずだ。


「じゃあ、それが終わった後は?」

「終わった後?」

「ええ。役目を全て果たし終えた後。あなたはどうするの?」


 七人の鎧姫たちを倒し、ビキニアーマーをこの世界から消し去る。それが自分にとっての生きる理由で、全てだった。


「……何も考えていない」

「じゃあ、考えておいて」


 セレナは優しい微笑みを浮かべると、レグルスに言った。


「これまでずっと、戦い続けてきたんだもの。全てが終わった後は、あなたのしたいことをたくさんしましょう」


 自分のしたいこと。そんなものは考えたことがなかった。

 貧困街にいた頃はただ日々を生きることに精一杯で、近衛兵になってからはセラフィナの剣として強くなることだけを考えて生きてきたから。


 しばらく考えたあと、ふと思い浮かぶものがあった。


 詩を。

 詩を書きたいと思った。

 彼女が――セラフィナが好きだと言ってくれた詩を。

 剣としてではなく、一人の人間として自分を愛してくれた彼女に贈るための詩を、全ての役目を終えた後に書いてみようと思った。


 その日が来るまではまだ、剣を執り続ける。

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女騎士狩り 友橋かめつ @asakurayuugi

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