第11話 異端の女騎士

 レグルスは彼女の粘度のある湿った視線に違和感を覚えた。

 他の――街の男たちを見る時とは明らかに性質が違っていた。


「……正体がバレたのか?」


 今のレグルスは他の男たちと同じ布の服を着ている。それに魔剣は布に覆い隠している。

 ホルスはこの街の住民は武器を取り上げられていると言っていた。この距離から中身が剣だとは見抜けないはずだ。


『きっと、気に入られたんじゃないかしら』とアウローラが言った。

「気に入られた?」

『さっきホルスが言っていたでしょう。女性たちに気に入られた男は、種馬として身請けされることがあるって』


 アウローラは冗談めかしながら言った。


『いっそ彼女に身請けされるのはどうかしら? 彼女が上層に住んでいるなら、ウルスラの元に辿り着けるかもしれない』

「希望的観測のために奴を間合いに入れるわけにはいかない」


 女騎士がこちらにゆっくりと近づいてくる。

 レグルスはすぐに剣を取り出せるように備える。少しでも剣を抜く動作を見せたら、応援を呼ばれる前にすぐさま仕留める。


 間合いの距離に入ろうとしたその瞬間だった。


 どん、と。


 路地から飛び出してきた少年が女騎士の足にぶつかった。


「――っ! このクソガキっ!」


 顔を歪めた女騎士は、反射的に足下の少年を蹴り飛ばしていた。か細い悲鳴と共に、水切り石のように路地を転がっていく。


 彼はすぐさま顔を上げると、鼻血を出しながらもすぐに地面に膝をついた。そして深々と頭を下げる。


「ご、ごめんなさい!」

「よくもあたいの足を汚してくれたね。ガキが舐めた真似してくれるじゃないの。謝ったくらいじゃ済まされないよ」


 女騎士はなおも怒りの収まらない様子だった。

 感情に支配されたまま剣を振りかぶると、少年に向かって叩きつけようとする。


「――ちっ」


 レグルスは布袋から魔剣を取り出す。女騎士に踏み込もうとした瞬間だった。


 突如として割り込んできた人影が、女騎士の剣を止めた。


 編み込んだ艶やかな髪に、整った目鼻立ち。すらりとした手足に伸びた背筋。

 凜とした風格を纏ったその女性は、夜空に冴え冴えと輝く月を連想させる。


「あんたは――セレナ……!」


 セレナと呼ばれたその剣の使い手は、少年を手に掛けようとした女騎士に対し、冷えきった鋭い眼差しを向ける。


「あなた――いったい何をしているのかしら? 私たちが命じられたのは、叛意を持った者たちの取り締まりだったはずだけど」

「こ、このガキがあたいにぶつかってきたんだよ! こいつら男は大罪人だろ? だから制裁を加えてやろうと思って――」

「それで殺そうとしたというわけ。こんな年端もいかない子供を」


「…………」

「確かに彼らは大罪人かもしれない。だけど、あなたの憂さ晴らしのためにいるわけじゃない。彼らもまたれっきとした人間なのだから」


 彼女――セレナはそう言うと、諭すように告げた。


「あなたは騎士団の一員なのでしょう? ならそれに相応しい振る舞いをしなさい。一時の激情に支配されて我を忘れるなんて、美しくないわ」 

「……ちっ」


 叱責された女騎士はばつが悪そうな面持ちを浮かべていた。

 セレナと呼ばれていたあの女性は、恐らくは女騎士の同僚なのだろう。

 だが、妙だった。

 彼女は騎士なのにも拘わらず、ビキニアーマーを着ていない。普通の鎧を身につけている。


「あなた、立てるかしら」


 女騎士が去った後、セレナは地面に倒れていた少年に向かって手を差し出した。おずおずと少年は差し出されたその手を取る。


「ごめんなさい」


 恐る恐る立ち上がった少年は、深々と頭を下げた。


「謝罪は必要ないわ」

「え」

「だって、あなたは私に対して何も悪いことはしていないでしょう?」


 少年がぶつかった女騎士に謝るのは筋が通っている。けれど、彼女――セレナに対しては何も謝るべきことなどない。そういうことなのだろう。


「自分が悪くないのにむやみに頭を下げてはいけないわ。それは癖になる。こびり付いた卑屈はその人間の魂を曇らせる」

「でも……」

「言葉は相手の機嫌を伺うためじゃない。自分の気持ちを伝えるためにあるの。あなたの本当に言いたいことはそれ?」


 セレナはやんわりと諭すように言う。

 その眼差しに敵意がないことが分かったのだろう。少年の身からはやがて警戒心が抜けた。


「えっと、その……」


 しばし考え込んだ後、少年はおもむろに呟いた。相手の機嫌を伺うためじゃない、自分の素直な気持ちを伝える言葉を。


「助けてくれてありがとう。お姉さん」


 セレナはふっと微笑みを浮かべると、しゃがみこんで少年と視線を合わせ、その小さな頭を優しく撫でながら言った。


「ええ。どういたしまして」


 セレナの微笑みにあてられ、強ばっていた少年の頬も僅かに緩んだ。


「また今みたいなことがあったら、すぐに言ってきなさい。お姉さんが助けてあげるわ」

「うんっ」


 レグルスはその光景を離れた場所から眺めていた。


 ――変わった奴だ。


『ここにいるとまた見つかるかもしれないわよ』

「ああ」


 アウローラを布袋で覆い隠すと、レグルスはその場から立ち去った。

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