039譚 失敗したやり直し(下)


 それからは、覚えていない。


 気が付けば、駆け付けた衛兵たちを皆殺しにしていた。夜の塔の下。真っ白な雪の上に、鉄錆の臭いのする無数の赤い花が咲き乱れていて、その中をひとり佇んでいた。


 喪った。自分のせいで。

 あの男は、自分に「やり直し」の話を持ち掛けていた。無論、そんなもの嘘に決まっている。

 失敗したんだ。

 すべて、自分が誤ったから、こうやって皆死んだ。

 自分がそもそも、聖騎士なんかにならなければ、ラウロス傭兵団の皆も、ギャラガーやビルギットも死なずに済んだ。

 

 ――違う。

 

 あいつが、殺したんだ。奪ったんだ。滅茶苦茶にしたんだ。赦さない、赦さない、赦さない。

 

 ――違う。

 

 そもそも、ギャラガーの申し出を、弟子になれという申し出を断っておけばよかったんだ。そうすれば、自分は聖騎士にならなかったし、ビルギットもこんな自分へ好意なんて向けなかった。

 

 ――違う。

 あいつだ!あいつが、あの男が全部悪いんだ。赦さない、赦さない、赦さない、赦さない、赦さない。

 

 ――違う。

 そもそも、オーヴラやラウロスに見つけられなければ。自分なんか、生まれてこなければ。生まれてきちゃ、いけなかったんだ。

 巻き込んだんじゃない。殺した。自分が、殺したんだ。


 違う、違う、違う、違う、違う――……!

 

「殺す……」

 

 これ以上、誰も殺さないように。奪わないように――いや、違う。あのすべてを奪った奴に、殺させないように、奪われないように。

 俺が、この手で。

 必ず、この自分の手で。

 

「殺さなければならないんだ」


 ケルバンはふらふらと、氷と雪の中を歩いた。

 血塗れの囚人服は薄く、足も剥き出しで素足だったので、ひどく凍えて、指先の感覚はない。唇も青く、顔も紙みたいに真っ白。

 どれくらいそうして彷徨っていたのかは分からない。数分だったかもしれないし、数時間、数日だったのかもしれない。極寒のドレクはいつまでも厚い雲に覆われて暗く、いつまでも吹雪いていた。

 

『君、大丈夫か!?』


 その声は唐突に降って来た。何を言っているのかは解らない。知らない言葉だ。

 我知らず、ケルバンは雪の上に倒れ込んでいた。その雪をかき分けるようにして、赤銅色の肌に黒い髪をした若い娘がケルバンを抱き起こす。その透き通った翡翠はまるで本物の宝石。

 ケルバンは薄れる意識の中、その翡翠が揺れ動くのを見つめ――また、ふつりと意識が途絶えた。





  


『ぼくは、夜の塔に黄金の聖騎士と呼ばれている元聖騎士の少年が幽閉されていることを聞いていた。ぼくは、己の目的のため――祖国を守るという望みのために、夜の塔のあるドレクへ訪れていた』

 

 しんとした、ネヴァンティの海の言葉を話す声が室内に響かれた。ゆっくりと、噛み砕くように語る姉の声は、どこか張り詰めたものがある。

 その目的とは、白夜はくや常闇とこやみの神官に対抗し得る戦力を獲得することだろう。その神官により囚えられた、しかも聖騎士ならこれ以上のものはないと思われるほどに適任だ。

  

 アラニスは小さく頷き、静かに言葉を返す。

 

『そこで、ふたりは出会ったのね』

『そうだ。だがすでに夜の塔は屍以外は何もなく、囚人の姿はなかった。だから、探した』

 

 そして、見付けた。

 血に塗れ、体をひどく冷やした、小柄で幼く見える少年を。

 まるで造り物のような少年だな、と感じた。青褪めてはいるものの、その整った目鼻立ち、きめ細かな肌、柔らかな髪。むしろ、血の気の失せたことでその人間味のなさはいっそう増しているようにも思われた。

 そしてその胸には大きな切り傷と抉り傷があった。きっと、中途半端に中身を取りだそうとして、諦めたのだろう。この傷で暴れ、そして彷徨くなど、さすが神々に愛されし者と言ったところが。どちらにせよ、ひどいだった。

 

『それから一年間、ケルバンは動けなかった。体を酷使したというのもあるが、とにかく精神的なショックが大きくてな。自分をとにかく、責めていた。そして、あの神官を憎み、恨んでいた』

 

『だから、自分が殺した。そして、殺さねばならない、ということね』

 アラニスはじっと姉の翡翠を見つめる。ケルバンは言っていた。すべては自分が失敗したために死んだと。自分が殺してしまったのだと。

 だから、殺す。すべてを奪ったものを必ず殺す。あれは、誰かに対して向けられた、激しい怒りだ。

 ネヴァンティは苦々しげに眉を寄せ、続ける。

 

『憎悪と自責が入り混じって、神官への憎悪だけが残ったんだ。でも、その憎悪だけが今の彼を生かしている』

 

 そうでなければ、彼は今ごろ、自分を責めて責めて、自らの死を望み、そして実行したであろう。

 不意に、海の国の言葉で会話する双子の姉妹へ聖騎士エイルビーが声を差し込んだ。

 

「何を言っているのか、私には解らんが。どうせケルバンのことだろう」

 

 エイルビーは海の国の言葉は解らない。だから、さっきからこの姉妹にふたりっきりの世界の浸られて、エイルビーを置き去りにされていたのである。

 アラニスはハッと我に返り、しゅんと項垂れる。

「す、すみません」

 深々と嘆息して、エイルビーは言葉を継ぐ。

「構わん――私は大人げないな。少し、八つ当たりが過ぎた」

 アラニスもネヴァンティも、この聖騎士の死んだ婚約者の、揺れる恋心のことなんて知らない。だから、なぜエイルビーがその「つい八つ当たりをしてしまった」のかは解らない。

 ようは、ヤキモチみたいなものだ。二十も年齢としの離れた弟弟子に、聖騎士の地位を奪われるだけでなく、婚約者の心まで掴むとは、と。どちらも本人には非が無いので、なおさら責めるに責められない。

 エイルビーは己を落ち着かせようと眉間を抑え、数回深い息を吐く。

 アラニスはぎゅっと己の手を強く握りしめる。

 

「わたし、追いかけます」

 

「止めておけ。興奮しているあいつは手に付けられんぞ。普段、無感情に近いくせに、頭に血が上ると手負いの獣みたくなる。極端なんだ」

 

 呆れ混じりのエイルビーの言葉に、アラニスはきょとんとする。聖騎士は、正確に神々へ「呼び掛ける」ために、感情を抑える訓練をする。ケルバンのあの淡々として感情をさとらせない話し方はその産物だと思っていた。

「ヨビカケのために、抑えているわけじゃないんですか?」

「違う。あいつは出会った頃からだった。その理由はよく知らんが、そのせいで感情に関してはとにかく不器用で、とにかく溜め込んで、爆発する。爆発するとどうにも手を付けられなくなる。」

 それは何となく、アラニスにも覚えがあった。グルネの街でも、ティスカールの街をでも、ケルバンは突発的に感情が昂ぶっているように見えた。それまで平坦ですらあったのに、突然に怒りや哀しみを露わにする。


 エイルビーはその青い目に少し哀しげな昏さを灯し、言葉を続ける。

「だから、私はあれには聖騎士は向いていないと思ったのだ。聖騎士はとにかく、心的負荷のある役職だから。元平民となると、それは計り知れない」

 もしかすれば、その重責が無意識に彼を責め立てたのかもしれない。自分のせいで死なせた、自分が殺したのだと――。

 その声には、弟弟子を思う、兄弟子の思い遣りがある。なぜ、それを本人に伝えてやらないのか。

 

(ひとりで勝手に動く姉さんもそうだけど……この人たち、不器用が過ぎるわ)

 

 きっとみな、それぞれに守りたいものがあって。それを自分の中に仕舞い込んでしまっているのだ。

 アラニスはきっと翡翠を扉に向け、再び声を鳴らす。

  

「――わたし、やっぱり追い掛けます。不器用だからこそ、放っておいちゃいけないと思います」

 

 今度は、エイルビーは何も言わなかった。姉のネヴァンティへ「行ってきます」と伝えると、アラニスは部屋の外へ飛び出して行った。

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