033譚 復讐の徒(下)


 さわさわ、ざわざわと木々の葉が擦れるような、無数の鳥たちが遠くで歌っているような音が鼓膜を揺らす。

 

 ケルバンは眼を閉じ、その音を聞く。

 

 それは傭兵だったころから聞こえる音。それらはどこにでも鳴らされる。けれど、場所によって鳴らされる音は異なる。かつてはその言葉を知らず、音だけで判別していた。高い音、低い音。太い音、細い音。それぞれの音の質を聞き分けて、「選び取って」いた。

 だが今は違う。神詞かむことばを知った今、じっくりと耳を傾ければそれらはすべて言葉を話し、笑い、歌っていることが判る。どの声が、今何をしているのかが手に取るように判ずれる。これらはすべて、神々の声だ。

〈やあケルバン。僕の力は必要かい?〉〈今日も綺麗ね、ケルバン。今度はわたしを呼んでちょうだい〉〈いや、あたしが先だよ〉

 次々と、様々な神々がケルバンへ声を掛ける。だがケルバンは短く、

 

「〈水、貸してくれ〉」

 

 何とも適当で粗雑な文句だ。だが既に意思疎通の取れている神々に対してならば有効で、

〈やった!僕だね!〉

 とひとりの「物質〈水〉」を司る小さな神が明るい声を上げた。この神は、ブライアンを囚える鎖を作るのにも手を貸した友好的な神だ。

 ケルバンの血に塗れた手に、水の玉が現れる。さすがにこの極寒の中で頭から被るわけに行かず、見えるところだけ拭う。血を浴びたダークグレイの外套マントは脱ぎ、

 

「〈燃やし尽くす炎を〉」

 神々の火で焼いて隠滅した。

 

 すると、ヒュウッと強い風がケルバンの頬を撫でる。鳥のような形をした風だ。

〈ケル。いよいよ不味いわよ〉

 その風が鳴らしたのは、ティララの声だ。

〈かなりきているから、うまく誘導できないわ〉

 その言葉にケルバンは深々と息を落とす。

「解かった」

 そして、おもむろに足元へ視線を下ろす。赤黒い血の染みを雪の上へ広げた、ブライアンの骸。マカヴォン傭兵団の食い扶持を奪って大変申し訳無いが――否。そんなこと、ケルバンは感じていない。他人の事情など知ったことではない。

 

 ケルバンは黄金に輝く瞳でその男を見下ろし、低く言い放つ。

「〈その死体、燃やしといてくれ〉」

 

 ぼうっとブライアンの体から炎が上がった。血は、短剣で貫いた時に付着させたのだ。メラメラと燃えて、瞬く間に塵となり、骨ひとつ残らない。恐るべき威力だ。

「さて、か」

 ケルバンはそう言って、腰元の革鞘シースに短剣を仕舞う。そしてそのまま雪に埋もれた森林を走り抜け、王城へと戻って行く。

 鈍色の雲はまたしんしんと雪を落とし初め、血の痕の残された血を覆い隠して行った。






 その頃、アラニスは小さな物置部屋で息を殺していた。廊下にはバタバタと走り回る衛兵たちの足音と、そっちは見なかったか?と言葉を掛け合う声が鳴り響かれている。

 

(どうしよう)

 

 逃げ場を失った。

(これじゃあ、会いに行けない)

 どころか、不法侵入者としてお縄だ。アラニスは青褪める。それだけは避けたい。扉の隙間から外を見るが、やはり必ず衛兵の誰かが通り過ぎる。

(精霊さまに呼び掛けてみる?)

 だがもし、まだ「上書き」が有効だったら。その判断ができないのは何とも歯痒い。

 

「おい、この部屋は確認したか?」

 その声に、ドキリとする。

 この部屋とは、アラニスのいるこの部屋である。隠れる場所を探すが、今は使われていないのだろう衣服や装飾品が積み上げられているのみで、その陰に潜んだところですぐに見付かるのが関の山。つまり、詰みである。

 キイイッと音を立てて扉が開かれる。アラニスは半ば祈るように、両手を握った。

 

「お嬢さん、何やってるの。早くこっち来なさい」

 

 鳴らされた声に、アラニスは思考を止める。それはどこかで聞いた声だ。鈴のようにころころしていて、それでいて澄んでいる。

「あなた、確か……ティララさま?」

 扉の前には、淡い柔らかな緑髪に、橄欖石ペリドットように光り輝く緑の目の美女の姿がある。ティスカールで酒場の給仕をしていた、風を司る女神だ。

「なぜこんなところに、いらっしゃるんですか?」

「そういうお話はあと。さあ、ついていらっしゃい」

 

 アラニスは風の女神ティララに手を引かれて、部屋を出た。

 

 ティララは風を送って周囲の様子を探り、人の少ない道を選ぶ。だがティララでも道を探すのに一苦労するらしい。終いには、

「この隙間通れたりしない?」

「無茶言わないでください」

 それは野ネズミ一匹がようやく通れそうな小さな穴だ。無理に決まっている。ティララは形のよい眉を寄せて、

「人間って面倒くさいわね」

「ウサギでも無理です」

 アラニスはきっぱりと否定する。神々は肉体を簡単に乗り換えられるらしい。というより、本当の肉体を持っていないので、小さな神々にそれらしい肉体を作らせて、飽きたら捨てるらしい。まさかの使い捨てボディ。

「ああ……ここも無理ね」

 ティララは廊下の向こうを見て言う。堂々と廊下に出ているのでドキリとするが、どうやら他の人たちには見えていないらしい。

(そう言えば、ティララさん透けているような)

 ティスカールの酒場で見たときにはしっかり人間だったたのに、向こうが透けて見える。まるで幽霊だ。何となく尋ねてみれば、

「そうやって作らせればいいのよ」

 だ。神々は何んとも変幻自在だ。

 

 ガタンッ。

 アラニスははっとした。誤って、廊下に飾られていた花瓶に触れてしまった。細い飾り棚の上に飾られていた白い花瓶だ。この季節柄花は手に入らないのか、何も生けられていない。無論、この物音を兵士が聞き逃すはずのない。

「おい、こっちで音がしたぞ!」

 やってしまった。ティララも若干諦め気味で、「とりあえず捕まっておく?」等と言う。そういうわけにはいかない。

 数人の足音がこちらへ近寄ってきて、アラニスは焦る。今度こそ本当に詰みか?

 

「こちらは何もなかった」

 

 その言葉に、その声に、アラニスはぽかんとした。自分を隠すように何者かが立ち、兵士たちへ報告をしている。

「え?ああ、そうなのか」

 兵士はやや呆気に取られた様子で答える。アラニスの前に立った者はさらに言葉を加えて、

「こっちには誰も怪しい者は見かけていない」

 その言葉を信用したのか兵士は振り返って、後方にいる同僚たちへ声を張る。

「別の場所を探せ!」

「お前はあっちだ!」

 兵士たちは散り散りに分かれてまた捜索へ戻っていく。その足音が遠くへ消えていくと、アラニスは茫然としながらも、己の前に立つ者を見上げた。

 

「ケルバン?」

 そこには、眼を包帯で覆い隠した、赤茶の髪で長身の男――元聖騎士の傭兵ケルバンの姿があった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る