祈りの館の仕事始め

天西 照実

祈りの館の仕事始め



 新年のスタートは、レンガの屋根を燃やすことから!

 もちろん、普通の火じゃないから火事にはならないよっ。



 薄緑色の巫女装束をまとった若い娘だ。

 祈りの館と呼ばれる、洋館の屋根を指差して決めポーズをとる。

『今年は、そのノリでいくのか?』

 相棒の白狐しろぎつねが、冷めた目で見上げている。

「……」

 巫女は長い黒髪を片耳に掛けながら、足元の白狐を見下ろした。

 ふぅ。と、溜め息をつき、

「ヤンキー座りで煙草ふかしていたいわよ」

 と、落ち着いた口調で巫女は答えた。

 白狐も溜め息だ。

『そんな巫女に祈りを届けられてたまるか』

「はいはい。じゃあ、始めましょ」

 巫女は、相棒のふさふさな尻尾をするりと撫でた。

 ポンポンっと巫女が手を打つと、白狐の尾に深緑色の火が灯る。

 足音もなく走り出し、白狐は石造りの洋館の壁を駆け上がった。

 急傾斜のレンガ屋根に、燃える尻尾でポンポンと炎を移していく。

 油やアルコールが燃え広がるかのように、深緑の炎がレンガ屋根を包み込んでいく。


 葉の落ちたツタが絡まり、ひび割れも目立つ古い洋館だ。

「去年も、届かない願いは多かったから。きっと、よく燃えるわね」

 洋館のレンガ屋根だけが、深緑色の炎に包まれた。



 風はなく、空気はひんやりとしている。

 巫女は、周囲の荒野に目を向けた。

 枯草に覆われた丘の上に洋館が建ち、正面には馬車用の一本道が伸びる。

 洋館の後ろには鬱蒼とした森が広がり、明るい朝でも重苦しい暗さを放つ。

 新年の早朝。辺りは静まり返り、人の気配もない。

「今年も、誰も見に来ないわねぇ」

 巫女の足元に戻ってきた白狐は、燃えカスひとつない白い尾をゆすりながら、枯草の中でお座りをした。

 メラメラと燃え盛る深緑の炎が、やさしく辺りを緑色に照らしている。

 厚地の巫女装束も白狐のやわらかな毛も、緑色に染まった。

『毎年、思うんだが』

 洋館の屋根を見上げながら、白狐が言った。

「なぁに?」

『届かなかった願いの焼却は、去年の内に済ませておくべきじゃないのか』

煤払すすばらいじゃないんだから」

 と、言って巫女は笑った。

『似たようなもんじゃないのか』

「あら、違うわよ。この炎は目印なの」

『目印?』

 聞かれて巫女は、仁王立ちで頷いた。

「ここは、祈りの館。願いをもつ人が来て、巫女である私が、それを叶えてくれそうな精霊たちにその願いを届けるの。私は精霊たちへの中継役ってところね」

『重要な役割だ』

「本当よぉ。願いを叶えるのは精霊だって言ってるのに。私が未熟だから願いを叶えられないだの文句ばっかり言って。こちとら300年も修行してきてるっつうの。まだ100年も生きてねぇ皺だらけのガキ共がよぉ」

 などと、眉を寄せる巫女は口が悪い。

『わかった、わかった。精霊に愛されて長命でお肌ぴちぴちの巫女様よ。それで、この炎が目印というのは?』

 と、白狐が話を戻した。

「精霊たちは別次元に居るうえ、あっちこっち移動しているからね。どこに願いを叶えてほしい人が居るのか、わからなくなっちゃうのよ。だから、目印として年に一度、魔法の炎を館に灯して、願いはここからですよーって伝えているの」

『……そういう意図があったのか』

 ふむふむと頷いてから、白狐は首を傾げ、

『それなら、なぜ去年叶えられなかった願いの溜まった屋根を燃やすのだ?』

「エコよ」

『えこ?』

「別に、魔法の炎なら燃やすものは何でもいいの。館に溜まったままの、叶えられなかった願いも時間がたてば自然に消えていくし。でも、それを燃やして目印にすれば、去年届かなかった願いも、今年は叶いそうな気がするじゃない? そう思った昔の巫女が始めたことなのよ」

 やさしい声で話す巫女の頬を、深緑の炎が照らし続ける。

『なるほど』

 頷く白狐に巫女も頷きながら、小さく息を吐き出した。

「でもあの炎、熱くないのよね。お芋でも焼けたら良いのに」

『人の願いで芋を焼くな』

 白狐の真面目な突っ込みに、巫女はふふふっと笑った。

「はいはい。じゃあ、願いを叶えたい人が来る前に、朝ご飯にしましょ」

『今年も忙しくなりそうだな』

「そうね」

 巫女と白狐は、屋根の燃え続ける祈りの館の中へ入って行った。


 精霊たちに人々の願いを届ける祈りの館の仕事は、毎年こうして始まっている。

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