るつぺる

サーシャ

 白で纏められた衣を着た子供達は蝋燭を乗せた皿を両手で持って峠道を登った。この地方では年に一度、その年に六つを迎える齢の子供をこうして峠にやる。子供達の人数は毎年疎らであるが一人を下回ったことはない。今年は四人だった。六に満たない子、或いは彼らよりも年上の民はその日峠に踏み入ってはならない。これは神聖な儀式であり、彼らは峠への供物だった。

 一人の年はその一人、二人以上ならばそのうちの一人が選ばれて峠の奥へと連れられた。その行き先は共に歩いてきた子供達はおろか、その地に暮らす人々の誰もが知らない。ただその日を境に連れられた一人は二度と町には戻らなかった。町は沈鬱に染まる。とはいえずっと繰り返されてきた因習。嘆きはあっても止めようとする者はいなかった。全ては安寧の為。かつて供物を欠いた為に町は滅びかけたという言い伝えが残っていた。とはいえこの町で最も老いた者でさえこの儀式を執り行わなかった年を知らないのであり、一体どのような厄災が町に降りかかったのかを目の当たりにした者は誰一人いないのである。それでも彼らは一人の犠牲で町が滅びを免れるならと、見たこともない厄災を恐れて儀式を今日まで欠かさずに行ってきた。


「ケビン、震えてる」

 ケビンと呼ばれた少年は今にも泣きそうな顔で手に持った皿の上の火が揺れていた。ケビンに声をかけた少女はその火が消えないように風上に立って彼を守った。峠の頂上に着くまで火を絶やすことは許されなかった。仮に火を持たぬ子供があった場合はそれが必然として供物に選ばれた。四人の子供達はお互いだけが仲間だった。大人には見捨てられたようなもの。町のためと言い聞かされても怖いものは怖い。自分の親でさえ祈り以上のものは与えてくれなかった。そのような中で仲間と呼べるものはまさにこの境遇を共にする四人だけだったのだ。少女はケビンを慰めた。きっとお前は選ばれたりしない。その強さにケビンはまた泣きそうな顔を浮かべた。

「ありがとう、サーシャ」

 しかし誰かが選ばれるのである。峠とはなんなのか、その正体不明の悪魔的な何かが自分達から一人を連れ去るのだ。サーシャの言葉には根拠などなかったが四人は四人ともが無事選ばれぬといったあり得べからざる未来を信じるしかなかった。サーシャは四人の中で最も強く彼らにとっての光だった。


 子供達が出た後の町は静かだった。ただ一人納得出来ない若者を除いて。若者は酒場にいて、同じくそこに居合わせたある男に掴み掛かった。両者ともに些か酒が回っていた。飲まずにはいられない心情は誰もが察する。掴み掛かられたほうはサーシャの父親だった。若者はサーシャ達の通う学校の教師だった。名をセシルという。父親ならなぜ止めなかったと責めたてたのは酒のせいか、止められなかったのは自らも同じであったはずだがそれでも口が先に出ていた。周りにいた人間が誰よりも子供達の親が辛いに決まっているとセシルを父親から引き剥がして諫めた。父親のほうは言葉を返すことなくまた席につくと口に酒を運んだ。

「サーシャはあんたを誇りに思ってた。誰よりも強くてみんなを分け隔てなく愛することが出来る人だと。あんたみたいになりたいと言ってたんだ」

「お前に何がわかる」

「自分の娘だろ」

「お前の娘じゃない」

「僕は今からでもあの子たちを連れ戻す」

 周囲は止せとセシルを羽交締めにした。事態をを重く見た町長が彼を牢へと閉ざすように命じた。引き摺られながら絶叫するセシルを父親は静かに見据え「あの子は選ばれない。俺も免れたんだ」と小さく呟いた。


 まもなく峠の奥地だった。ベンジャミンがここだと言い他の三人は固唾を呑んだ。火を守り切った四人はそれぞれの灯火を祭壇に据えた。すると煙が立ち込め彼らの周囲を取り囲む。先程まであったはずの地面が揺らいでおよそ現実とは思えない暗闇が沸き起こった。四人は四人以外の何をも認識できず肩を寄せて抱き合った。恐怖を少しでも和らげようとサーシャは大丈夫と連呼した。ケビンは泣き喚きベンジャミンは震えている。マイアは気を失いかけていた。そこで四人は声を聞く。しわがれた悍ましい声。声は四人の名前をそれぞれ呼んだ。サーシャだけがあなたは誰だと返す。声は知る由もないと云い、誰が今宵の贄かと問う。四人は押し黙ってしまった。皆仲間である。ここで自分達に選ばせるというのは六歳の子にとってあまりに残酷だった。声は彼らを急かした。皆でも構わぬのだと。ベンジャミンは勇気を振り絞ってそれなら皆を連れて行けと叫んだ。ところがサーシャはそれは駄目だとベンジャミンを遮り、連れて行くなら自分をと名乗り出た。声はサーシャを勇ましいと褒め称えつつもその口調は嘲り笑う様子だった。声はケビンを連れて行くと告げる。ケビンは精一杯喚いた。嫌だ、なぜ、どうして。他の三人はケビンを連れ去られまいと彼の体にしがみついた。決まりごとは変えられぬと凄まじい力でケビンの体は闇に吸い込まれる。もう駄目かと思われ時、サーシャは父親が持たせてくれた御守りを思い出した。子兎の前脚を誂えたそれには破邪の祈りが込められていた。サーシャは御守りを闇の先に投げ捨てるとケビンを引く力が一瞬緩んだ。ベンジャミンとマイアがその隙に引き戻したことでケビンは皆の元に帰り彼らに抱きついて感謝で泣き叫んだ。知らぬ間に闇は振り払われ元の峠の景色が三人に戻った。「サーシャは、サーシャがいない」ベンジャミンは唇を噛み締めマイアは親友の名を呼び続ける。ケビンは謝ることしかできなかった。


 サーシャは深い闇の向こうに光を見た。その光を辿って行くと町があった。しかし見覚えのない町である。町の中央には大きなテントが張られ、サーカスと書かれた看板が掲げられていた。テントの中に入ってみると虎や道化師が休憩していた。サーシャは道化師に声をかけた。ここは何。返事はなかったが道化師は指をさした。指の先にはたくさんの子供がいる。サーシャは彼らがこれまでに連れ去られた子達ではないかと察した。皆に逃げるように声をかけた。力を合わせれば敵うのだと。ところが彼らは魂が抜けてしまったかのようにぴくりとも動かない。サーシャがどれだけ叫んでやがて喉がちぎれそうになっても彼らは答えなかった。サーシャは悲しくて寂しかった。道化師が立ち上がりポケットから取り出したハンカチを差し出した。サーシャは涙を拭うと道化師がこれを取り上げて湿ったハンカチで顔を拭った。落ちた化粧からは父親の顔が覗く。サーシャはどうしてと思ったがそれはもう彼女にとって大した問題でなくなっていた。自分は見捨てられてもう誰も迎えに来ない。それでもここには同じ年の友達と賑やかなサーカスがあって、何より大好きな父親がそばにいるのだと思えば存外悪くない心地がしたのだった。


 町はまた新たな日の出を迎えた。牢に差し込んだ陽の光はセシルの目を焼こうとする。つまり誰かが捧げられたのだと思えば悔しさや自らの不甲斐なさを呪ってその拳は骨が折れても叩きつけるのをやめなかった。

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るつぺる @pefnk

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