第4話 愛ゆえに

 マリナが亡くなって2年。結論から言えば、世界は救われた。彼女の死を契機に自然災害や人口災害というものは根こそぎ収まり、世界は大きな損害を受けつつも人類は大災害に勝利したのだ。そう……彼女の命を代償として。彼女は世界への供物として生まれ、その生命を代償として世界を救うためだけに育てられた不運の象徴――それが神崎マリナだった。

 世界は救われ、中には英雄と呼ばれる者たちも現れ、人々は彼らを称賛し功績と名前を記した記念碑が世界各地に建てられた。その中のひとりに僕の名前がある。

 その記念碑を睨みながら、僕はタバコの煙を吐き出す。


 [功績:世界を蝕む忌むべき魔女の殺害――ここに英雄〝西条ナギト〟の名を記す]


「忌々しいことこの上ないな」


 今にも蹴り倒してしまいたいほどの罪過をまだその時ではないと鎮める。これは僕の罪であると同時に、僕自身への呪いだった。

 逃げてはいけない。忘れてはいけない。託してはいけない。これは僕が僕へ課した使命なのだから。

 だから、これを蹴り倒すのはまだ早い。僕はまだ復讐の1つをなのだから。


 古臭い文明ほどよく燃えるものはない。さらに言えば、英雄を疑う人ほど類稀たぐいまれなのだろう。

 燃え盛る町並みを背景に決意は大きく、そして確かなものへと変化していた。老若男女の叫び声――それはやがて絶叫へと変貌し、その中の1つが僕の足元へと辿り着く。

 その手はしっかりと足を掴み、おそらく顔であったろうものが僕を見上げて音を発する。


「ど……どう……して……こんなひどい……ことを……」

「愚かだなぁ。そんなこともわからないから死ぬんだよ」


 かつて人であった肉叢ししむらを文字通り一蹴し、自らに塗り直した大罪を眼前へと映す。2年の間に大きく成長した生まれ故郷が燃えている。そこに生きて人々の大半はすでに炎に焼かれて死んでいるだろう。そうでない人々もじきに全員いなくなる。マリナを否定し、排除しようとした者たちは誰一人逃さない。

 これは復讐の始まりだ。始まりに過ぎないのだ。街の人を殺し、街を殺し、文明を殺し、最後には世界をも殺してみせよう。その力が今の僕にはある。マリナが――彼女は僕にその力を与えてくれた。

 結局、マリナは普通の女の子ではなかった。幼少の身にて姉を殺害し、数多の災厄にさらされようとも強い心でそれを凌ぎ、最後の最後まで自分以外の誰かを思う優しさを持っていた。死後、彼女の遺灰は5つの部位に分断され、5つの装飾品へと変えられた。さらにはその装飾品には意志が宿り、持ち主を選定し始めたのだ。選ばれた者は皆一様に特異な能力を身に着けていった。


「もうやめようよ。あなたが愛した人は、きっとこんなことを望まない。そうでしょ?」

「彼女が望もうと、望むまいと関係はないさ。これは僕が始めた物語なんだから、結末はとうの昔に決めている」

「英雄が魔王に成り代わろうっていうの? 生きていてほしいと願ったあの人の思いを踏みにじってまで? そんなのって――」

「そので、そので、そので、お前がマリナを語るな。虫唾が走る」


 唯一――そう、たった1人だけが僕を止める権利を持っている。神崎マリナと同じ顔、同じ声、同じ容姿を持つ目の前の少女。彼女の名前は日和見ひよりみ恭子きょうこ。神崎マリナとその姉、神崎ミサキ――そして僕の遺伝子から作り出された新世代英雄計画の完成形。つまりは僕の娘に当たる少女だけが、僕を止める権利を持っている。

 今日この日から世界は災禍の炎に包まれるだろう。良い人も、悪い人も、そうでない人も関係ない。そびえ立つ街も、醜い村も、大自然でさえも見境なしに破壊していこう。これは復讐であり、長年溜め込んだ僕の癇癪かんしゃくだ。恨まれたっていい、憎まれたってしかたない。僕は罪のあるものも、ないものもすべてを殺害していくと決意したのだ。その結果が眼前の景色であり、必然として英雄が魔王に立ち向かう構図が出来上がった。

 役者は揃った。舞台も用意した。物語はすでに始まっている。ならば、あとは終わらせるだけだろう。台本通りに事を進め、万事滞り無く終幕を迎えさせる。僕は魔王で、少女が英雄。物語の終末など火を見るよりも明らかだ。


 この終わり方をマリナはどう思うだろうか。僕は彼女の命を有効に扱えたのか。……わからない。だが、立ち止まるわけないはいかない。途中で終わらせるには、もう遅すぎるのだから。

 思えば、こんな僕を肯定してくれたのはマリナだけだった。彼女だけがこんな僕のあり方を許してくれた。だから僕は君に惹かれたのだろう。たとえそれが運命とは違うものだったのだとしても。

 君を失って初めてそんな簡単なことに気がつくなんて。


「さあ、与太話はおしまいだ。僕が魔王、お前は英雄。それでいい。それがいい。そうでなくちゃならない。だって僕はこれから大切なものを搾取さくしゅしていくんだから」

「させない。そんなこと絶対にやらせない。たとえ殺してでも、私があなたを止める」

「逃げるなよ、英雄? 僕がもう止まることはないぞ」


 すべてを知って、すべてを見てきて、すべてを感じて、僕はこの決断しかできなかった。

 それが僕だからなのかを知りたくて、僕は英雄を作り出した。僕よりまともで、僕より勇敢で、僕より誠実で、僕よりも純粋なそんな英雄を。

 逃げ出さないために、逃げ出せないように、僕みたいにはなるなと祈りを込めて。


 ■□■ 


 逃げて。逃げて。逃げ続けて。

 気が付かないように。傷つかないように。己の感情に蓋をして。

 そうして出来上がった醜悪なものが――僕だった。



 もうすぐ夏がやってくる。彼女の居ない夏が。


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