新年はあなたとリスタート

SEN

本編

 一年の計は元旦にあり。その言葉が真実ならば、今年は最悪な年になるだろう。


優香ゆうか、お雑煮できたよ」


 炬燵で項垂れる私に、友達の紀子のりこが赤い器によそわれた雑煮を差し出す。お出汁の優しい香りと温かさが伝わってきて、誘われるように顔を上げた。


「わぁ……おいしそー……」

「食欲はあるんだ。なら良かった」


 力無く言葉を吐き出し、温かいお雑煮の匂いを嗅ぐ私に紀子は優しく微笑みかけた。紀子は私の対面に座ると、お雑煮の餅を箸でつまんで一口食べた。彼女の所作はとても綺麗で、育ちの良さを感じさせる。


「紀子はモテるんだろうな……」

「どうしたの急に」


 私のぼやきに彼女は箸を止める。こんなめんどくさい奴相手でも、ちゃんと話を聞く体勢になってくれる優しさに、そういうところと言いたくなった。


「美人だし、高学歴だし、料理できるし、部屋も綺麗だし、優しいし、絵に描いたようなハイスペ女子大生じゃん」


 紀子は超ハイスペックだ。高校生の頃からの友達だけど、昔から隙がない。テストでは常にトップ、文化祭や体育祭ではクラスの中心になっていたし、生徒会長も務めた。そして大学受験の時も焦っている様子なんて全くなく、いつの間にか東大に合格していた。


 そんな彼女がモテないなんてことがあるはずがない。


「はは、私が紀子みたいな女の子だったら浮気なんてされなかったろうな……」


 そう、私の気分がこんなにも沈んでいるのは新年早々彼氏の浮気が発覚したからだ。


 初詣デートに彼氏を誘ったのだけど、家族と行くからと断られた。家族となら仕方ないかと納得して、代わりに紀子と初詣に行く事にした。初詣デートが不発となった私を元気付けるためか、紀子はせっかくだからと少し遠出をして有名な神社に行こうと提案してくれた。


 初詣デートは残念だったけど、紀子と一緒に遠出するのも久々だったので気分は上々だった。そこで知らない女と手を繋いでいる彼氏を見つけるまでは。


 彼氏を見つけた時、すぐに駆け寄って事情を問いただした。隣にいた彼女も私の存在を知らなかったようで、一緒になって事情を問いただす。まともな言い訳もできず慌てる彼を見て浮気を確信した私は、彼を思いっきりぶん殴って縁を切ることを宣言した。浮気相手も愛想を尽かして、彼を蹴飛ばしてどこかに消えて行った。


 少し遠くに行けば私とかち合わないとでも考えていたのだろう。満面の笑みで浮気相手にデレデレしていた顔を見れば、私が遠出するなんて想定していないのが嫌になるくらい理解できた。


 一発思いっきりぶん殴ってスッキリ、とはいかないのが恋愛だ。好きな人に浮気されたのは辛いし、平気で浮気をするような男を好きになった自分にも腹が立ってくる。


 感情がぐちゃぐちゃになった私は、腹が立ったのか悲しいのか分からないまま涙を流して神社を立ち去った。そして結局お参りもできないまま、紀子の家に転がり込んだのだ。


「浮気されるかどうかって、自分じゃなくて相手の問題だと思うよ。美人の奥さんがいる芸能人だって浮気するじゃない」

「そうかもしれないけど……」

「だから優香は何も悪くないよ」


 いじけてアゴをテーブルの上に乗せる私の頭を、紀子は優しく撫でて慰めてくれた。悩み苦しむ私を肯定してくれるところも、紀子のいいところだ。こんな事されたら男女関係なくころっと惚れてしまう。


「それに、私って全然モテないのよ。告白なんてされたことないし、合コンのお誘いもないの。優香がさっき言ってくれたことは、みんなにとっては可愛げがないって事になるみたいね」

「可愛げがないって……みんな見る目なさすぎ」

「そう? みんなの言う通りだと思うけど」

「そんなことないもん! 私は紀子の可愛いところいっぱい知ってるもん!」


 私を励ますためなのか、紀子が自分のことを卑下し始めた。それが許せなくてヤケクソ気味に紀子の言葉を遮った。


「ぬいぐるみと一緒に寝てるとか、実家の猫の前ではデレデレだとか、スイーツ食べてる時の笑顔が可愛いとか、みんなは知らないだけで紀子はめちゃくちゃ可愛いんだから!」


 さっきまで浮気のことを整理できていなかった私の心は、こんな私にも優しくしてくれる紀子を理解できない彼女の周囲の人間への苛立ちに塗りつぶされた。


 勢いで全部吐き出したけど、よくよく考えたら恥ずかしい事を言っているのと、今はそんな話してないというので紀子にドン引きされているのではと思い、すぐに弁解をしようと顔を上げた。すると、目の前には信じ難い光景が広がっていた。


「いや……その……ありがと」


 顔を真っ赤にして私から目を逸らしつつ、見られないように自分の顔を隠す愛らしい紀子がそこに居た。


 ドクン、彼女の顔を見て沸々と熱いものが込み上げてきた。高校時代に全く隙を見せなかった完璧な彼女が、私の言葉で生娘のように頬を赤く染めている。


「あ、いや、こちらこそ色々励ましてくれてありがと。えへへ」


 自分が今抱いた感情を誤魔化すようにヘラヘラと笑って見せる。あまりにも可愛い姿で一瞬気が触れてしまったが、私は紀子にそういった感情は抱いていない。彼氏と別れた後に優しくされたからそう思いかけてしまっただけだ。


「……ホント、優香はズルい」

「え」


 紀子はボソリと何かを呟くと、私の手を両手で包み込んだ。彼女の美しく柔らかい手から優しい温度が伝わってくる。ドクリ、また私の心臓が跳ねる。急な事で呆気に取られていた私が彼女と目を合わせると、溢れてしまいそうな熱気を帯びた瞳が彼女から向けられていた。


「ごめん」

「え、なんで謝るの?」


 急な彼女からの謝罪に困惑する。むしろ謝るのは私のほうだ。折角の元旦を私のせいで不意にさせてしまった。そればかりか彼女は私を優しく励ましてくれた。何を謝ることがあるのだろうか。


「私、優香が彼氏に浮気されてラッキーって思っちゃった」

「……え?」


 急な彼女のカミングアウトに脳が理解を拒んでフリーズする。私が浮気されてなんで紀子が喜ぶの? 紀子は他人の不幸を喜ぶような人じゃない。だとしたら私の彼氏のことを好きだった? いや、紀子はあいつに今日初めて会った。見たのはあいつが浮気していた光景のみ。そんな奴にあの紀子が惚れるわけない。


 だとした、なんてもう一つの可能性がよぎるけど、そんな筈ないと心の中で勢いよく首を横に振る。そうやって混乱しているうちに、紀子はこたつから乗り出して私との距離を縮めた。


「好きなの、優香のことが。愛してる」


 自分の頭の中で否定した可能性が、本人によって肯定される。まさかの展開についていけない。あの紀子が私の事が好き? なんで? あんなにハイスペックな彼女が、彼氏に浮気される程度の女の私の事が好きだなんて。理由が全く分からない。


「な、なんで私なの……?」

「え、あ、い、言わなきゃだめ?」

「うん。聞きたい」


 告白してきた相手に自分のどこが好きか言わせるなんて鬼畜だとは思う。でも、私は彼女が私の事が好きである事にまず納得したかった。紀子は体を左右に揺らしてモジモジしながら、ゆっくりと口を開いた。


「優香だけなの。私の事をちゃんと見てくれるのは。私の可愛いところをたくさん言ってくれたけど、ああ言ってくれるのは優香だけ。だから、私は優香のことが好きなの」


 赤裸々に想いを語る紀子を見ているうちに、段々と私の心臓がうるさくなってきた。あの紀子が私のことなんかが好きだという事実も、こんなにも真っ直ぐ私を想ってくれることも、彼女の熱い瞳も、全てが私の中の固定観念を壊していく。


「そ、そうなんだ……すごく、嬉しい」

「じゃ、じゃあ……!」


 頬が紅潮していることを自分の体から感じる熱で理解する。そして、止まる気配がない胸のトキメキ。紀子と恋人になるとか、そんなの全く考えたことなかった。


 でも、今の私の状態がその可能性がある事を示していて、その選択は間違いなんかじゃないと直感する。


「今日から恋人としてよろしくお願いします」

「やっ、やったー!」


 覚悟を決めて紀子の想いを受け取る。すると彼女は無邪気に飛び跳ねて喜びを表現した。こんな無邪気な姿は普段の彼女からすれば意外だけど、彼女の可愛いところを知っているからか妙な納得感があった。


「紀子」

「ん?」


 飛び跳ねる彼女に声をかけてから抱き締める。紀子は私より一回り背が高いから、私が彼女の胸に顔を埋めるかたちになった。


「わっ、ど、どうしたの?」

「ありがとう。私の事を好きでいてくれて」

「そんな! お礼を言うなら私だよ。私の好きって気持ちを受け入れてくれて……本当に嬉しかった」

「うん。紀子からしたらそうかもしれないけどさ、紀子の想いは私からしたら浮気されてぐちゃぐちゃになってた私の心を癒してくれたの。優しくて真っ直ぐな想いがあまりにも眩しくて、浮気された傷なんてあっという間に消えちゃった」


 ついさっきまで彼氏に浮気されたショックでウジウジしてたのに、今は幸せで胸がいっぱいだ。これも全部、紀子が私の事を好きでいてくれたおかげだ。


「最悪な年初めだなって思ってたらけど、紀子のおかげで最高の年初めになったよ!」

「それは私もだよ。優香と恋人になれて、きっと今年は最高の一年になるよ!」


 まさにハッピーニューイヤー。幸福に包まれたまま私と紀子は抱き合った。


 私の腕の中で幸福に浸る彼女は本当に愛らしい。こんな子を完璧過ぎるからって可愛げがないなんて言う奴がいるなんて。もっと彼女のことを見てあげればいいのに。でも、こういう可愛いところは私にだけ見せて欲しい。そんな矛盾する気持ちが湧いてきた。


 そんな独占欲が私の気持ちを一時の迷いではなく、本当の愛であると証明する。あぁ、私はこんなにも紀子が好きだったんだな。


 あんな最低な彼氏と縁を切れて、こんなにも愛おしい恋人と結ばれた。思い返してみれば要らないものを捨てて、最高の愛を手に入れるという最高の元旦になった。


 一年の計は元旦にあり。この言葉が真実ならば、紀子の言うとおり、きっと今年は最高の一年になる。


「ねぇ、明日初詣行こうよ。今度は可愛い着物着てさ」

「いいね。優香の可愛い着物姿見てみたい」

「それはこっちのセリフだよ。みんなが思わず振り返っちゃうような着物美人……いや、私以外の奴が可愛い紀子を見るのなんかイラつくな」

「心配しなくても、私は優香一筋だよ」

「もー! 本当に紀子は可愛いんだから!」


 こうやって最高の恋人と共に正月の予定を立てていく。こうして新しいスタートを切った私は、これから始まる最高の一年に胸を躍らせ、その隣にいてくれる愛しい恋人の手を握った。

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