晴と快晴

明月朱春

巡る季節

海、川、広く言えば青春。この世界には、青い物が溢れている。でも、私は青いものの中で、空が一番好きだ。

空には力がある。はっきりと、どんな力があるとは言えないが、空は魔法だ。大きくて、偉大で、みんなに平等にあり、快晴や曇り、雨、雪のように表情がある。空は毎日違って、同じ日は無い。

私の思い出には、いつも空があった。悪いことがあった時、空は何かを教えてくれる気がして、空に手を伸ばす。良いことがあった時は、明るい空を見上げて喜びを噛み締める。


快晴の夏の日。昼休み。私はいつものように学校の屋上へ行く。一年生の時からの日課。絶対に人の来ない、立ち入り禁止の屋上。中学生の時には入る勇気が無かったが、高校生になってからは、ここが私のお気に入りの場所だ。

「今日は、快晴か…」

「お、今日も来たね」

「え、」

いきなり声を掛けられて驚いた。というか、ここに私以外の人がいることに驚いた。

「ごめん、いきなり。びっくりさせちゃったよね」

「いえ、大丈夫です」

「僕は、三年二組 五十嵐 晴斗」

「私は、二年一組 青葉 星来です」

「よろしく」

ハルトさんは、手を差し出してきた。きっと、普通なら握手をする場面だ。でも、私はできなかった。少し怖かったのもあるし、何より私は人見知りだ。咄嗟に名前を言えただけでも十分だろう。

「握手してくれないの?」

「すいません」

「まぁ、そうか。初対面で怖いよね」

「いえ、」

「いつも、空を見に来ているね」

ついさっき謝ったばかりなのに、また怖いことを言う人だ。なんで、私のことを知っているの?

ここには、私以外の人は来ていないはず。少なくとも、私が屋上にいるときに人の気配を感じたことはない。いや、でも今、ハルトさんは「いつも」と言った。そして、さっきも「今日も」と言った。 

ということは、私が気が付いていないだけで、この人もいつもここに来ているということだ。

「今、いつもって言いました?」

「うん。あれ、違った?」

「いや、私は、ほぼ毎日来てますけど…」

「だよね、だと思った」

「でも、どうして?」

「あ、君は、セイラは気が付いていないか」

「え、何にですか?」

「実は、僕もいつもここに来てるんだ。セイラは、空を見ることに夢中で、周りを気にしていないんじゃない?」

「そうかもしれないです。人の気配すら感じていなかったので」

 空を見に来ていることも、夢中で人の気配に気が付いていないことも知られていて、何だか恥ずかしくなって俯く。

「そっか。でも、ここ立ち入り禁止なのに、よく毎日来れるね。バレたことないの?」

「ないです。友達も少ないですし、こっそり来ているので」

「すごいね。僕は一回だけバレたことがあって、あの時は最悪だったよ。すっごく怒られた。だから、セイラも気を付けて」

と言うと、ハルトさんは微笑んだ。

「はい。」

本当は、もう少し気の利いたことを言いたかった。でも、まだ私にはその勇気が無かった。

聞き慣れたチャイムが響く。

「予鈴ですね」

「じゃあ、またね。あ、次会った時は敬語は禁止だからね」

私が返事をする前に、バイバイと笑顔で手を振って行ってしまった。

 ハルトさんは、何だか不思議な人だったけど、親しみやすくていい人で、私にしては珍しく自分から仲良くなりたいと思った。

この人なら、また私に希望をくれると思った。


あの日から、私たちは昼休みを一緒に過ごすようになった。

いつも、一人で見上げていた空が二人のものになる感覚。誰かと一緒に空を見たことが無かったから新鮮だ。

空はいつも、背中を押してくれて、元気づけてくれる存在だった。その空が、友達を作る手助けをしてくれるなんて、思っても見なかった。

でも、空が好きで良かったと思う。そんなことを思っていると、

「そういえば、何でセイラは屋上に毎日空を見に来ているの?」

「ヒミツです。ハルトさんに言ったら、絶対にバカにされるので言いません」

「なんで?そんなこと分かんないじゃん」

 疑うような目でハルトさんを見ると、ハルトさんはこう続けた。

「じゃあ、約束する。絶対にバカにしない」

「信じられません。笑われそうです」

「僕、そんなに信用無い?」

「そういうわけじゃ…」

 そこまで言われると、言うしかないような、言いたいような気持ちになる。もう、言ってしまおうと思ったその時、ハルトさんが小指を私の前に持ってきた。

「分かった。指切りしよ」

「そんなことしなくても言いますよ」

私のことはお構いなしに、気が付いたら私の小指はハルトさんの小指と結ばれていた。

子供だましみたいな約束の仕方だったけど、私はそれが嬉しかった。ハルトさんは、一つ年上なのに同い年みたいに感じる。

そして、他人から話を引き出すのが上手だ。

普段、人と仲良くなることが苦手な私でも、一週間で仲良くなることができた。新記録だ。

「ほら、早く。何で空を見るのが好きなのか教えてよ」

「分かりました。私にとって、空は魔法なんです」

 ハルトさんが小さく笑った。

「ちょっと、笑わないって言ったじゃないですか」

「ごめん、ちょっと予想外すぎて。でも、魔法ってどういうこと?」

微笑みながら、からかうようにハルトさんが尋ねてくる。

「年下だからって、あんまりバカにしないでください!」

「バカになんてしてないよ。単純な興味」

今度は、真剣な声色だった。

「空って、少し怖くなるぐらい大きくて、宇宙を感じませんか?」

「宇宙?」

「はい。自分がどれだけちっぽけで、空には届かないか思い知らされるんです」

「それって、空のこと悪く言ってる気がするの僕だけ?それが、空を好きな理由?」

「はい。自分には、空ほど大きな力があるとは思えないけど、勇気が貰える気がするんです。悪いことがあった時は、励ましてもらう。良いことがあった時は、もっと頑張ろうと背中を押してもらう」

私にとって、空はそんな存在。

だから、届かない方がいいんです。と付け加えた。

「へぇー。共感はできないけど、面白いね。その考え方」

「やっぱり、ハルトさんも共感してくれないですか。変ですよね」

恥ずかしくて、自嘲するような力の無い笑いが出た。

「そんなことない」

「え、」

「変じゃないよ。みんな、それぞれ自分を支えてくれる人やものがある。それが、セイラは空ってだけでしょ」

「あ、ありがとうございます」

 戸惑いと喜びが入り混じった、複雑な感情になる。

「どうした?」

「いや、初めて自分を認められたような気がして」

空の話を共感されたことが無く、今までは笑われて終わり。初めて、ちゃんと肯定された。

この話だけではなく、自分自身も肯定された気がして嬉しかった。


木々の葉が色を変える頃。空が好きな理由をハルトさんに話したあの日から、私は今までとは違う意味でハルトさんと話す時に緊張するようになった。

「今日は何の話する?」

「いつもそんなこと聞かないのにどうしたんですか?」

「毎回、僕の話したいことばかり話している気がするから」

「そうですか?私はそれでも十分楽しいですけど」

 私は、ハルトさんと過ごすこの時間が好き。だから、どんなことを話すかは問題外。

 まぁ、こんなことハルトさんには言えないけど。

「本当に?遠慮してない?」

「ハルトさんに遠慮なんてしません」

「それはそれで複雑だけど、それならいいや」

「じゃあ、聞きたいことがあります」

「いいよ。何でも聞いて」

一度、息を吐いてから尋ねる。

「ハルトさんは、人を信用してますか?」

「うーん。してるかな」

また、軽く返されるような気がしていたのに、意外と真剣に考えて答えてくれた。

「そうですか。ありがとうございます」

「いきなり、こんな質問してどうかしたの?」

「いや、何でもないです。少し気になったので」

本当は、ある。ハルトさんは、私が何の理由もなくこんなことを聞くような人じゃないことを知っている。

なのに、本心を必死に隠す。

「嘘ついてるでしょ」

「へっ、」

驚きで声が漏れる。嘘だとバレると薄々気が付いていたのに、いざ言われると驚いてしまった。

「流石。やっぱり、ハルトさんはハルトさんですね」

「本当に今日はどうしたの?」

「いや、たいしたことないんです。人間関係で少し悩んでて…」

 途切れ途切れに伝えた。言うつもりは無かったのに、言ってしまった。内心では、誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。

「良かったら、聞かせてくれる?」

 そして、この言葉を言って欲しかったんだ。他の誰でもない、ハルトさんに。ハルトさんの優しさを利用しているような感じがするけど、今はそれでいい。

少し間をおいて、私はクラスでの私をハルトさんに話始めた。

「私は、きっとハルトさんの思っているような性格そのままだと思います。ネガティブで内気、人見知り。でも、仲良くなったらバカみたいにはしゃぐ。それで、不便に感じたことはありません。だけど、はしゃいでいたのは、はしゃげていたのは私だけでした。」

 そこまで言って、言葉が詰まる。初めて自分の口から伝えた現状が、より現実になって私をさらに追いつめた。

「つらかったら言わなくてもいいよ。無理しないで」

「大丈夫です。これぐらい。私、そんなに弱くないですよ」

 精一杯の笑顔を見せる。でも、ハルトさんの優しさが嬉しくて、やっぱりつらくて涙が頬を伝う。

 それでも、最後まで聞いて欲しくて言葉を詰まらせながら話した。ずっと親友だと思っていた人が離れて行ったこと。信じていた人

がみんな離れて行ったこと。それが、全部自分のせいだったこと。

私が今、辛いと思っていることを全部話した。ハルトさんは、静かに聞いてくれた。


あれから、あっという間に時は過ぎ、冬の日。放課後。今日は、昼休みに屋上に来る時間が無く、放課後に来ることにした。ハルトには会えるはずないのに、少し期待してしまう。

屋上のドアを開けるとすぐ、ハルトの姿が目に入る。私たちは、屋上以外で会ったことが無ければ、連絡先も知らない。それでも、ほぼ毎日会えている。それが、どれだけ幸せなことかを噛み締める。

一人なのに空を見ているハルトにそっと近づき、

「やっと、空の魅力に気が付いた?」

と茶化すように言った。すると、

「まぁ、そんなところかな」

微笑みながら応えてくれた。

その後、少しの間二人で空を見上げながら、他愛もない会話をした。

どれぐらいたっただろう。沈黙が流れる屋上は特別な空間のようだった。その、特別な沈黙を破る。

「夕日、綺麗だね。特に、冬は空が澄んでいて綺麗」

「あぁ、綺麗だな。でも、この時期の屋上は流石に寒すぎ」

「うん。そろそろ、帰ろうか」

「そうだな。一緒に帰る?」

「いいの?」

「当たり前だよ」

ハルトは、私の頭を小突くと、行くぞと言って歩き出した。

「あ、待って!」

二人で並んで見た夕日は、最高に綺麗だった。

私はこの日、初めて敬語を一度も使わなかった。


昼休みが始まってすぐ、屋上に向かう。今日、ハルトに気持ちを伝えると決めていた。

今日は、三月一日。卒業式が、すぐそこまで迫っているのだ。ここで、怖気づいてどうする。後悔しないために、行動するんだ。

あともう少しでハルトさんが来るはず。大丈夫だと自分に言い聞かせ、心の準備をする。

「久しぶり」

「はい」

「はい。って冷たくない?」

「ごめん」

やっと、最近敬語から抜け出せたのに、緊張して敬語を使いそうになる。言葉が出てこなくなる。

何かを察したのか、ハルトが座ろうと言ってくれて、二人でベンチに並んで座った。

言いたいことをずっと言い出せず、いつものように雑談をする。でも、私の頭は違うことで一杯になっていて、話が入ってこない。いつも楽しいと思う時間が、今日は楽しめない。

少しの沈黙が流れる。その間、私たちを出会わせてくれた空を見上げて、背中を押してもらう。もう一度、深呼吸をして覚悟を決める。

「ハルトさん」

「うん」

「私、好きなんですよね」

「空のこと?知ってるけど…」

「えっと、そうじゃなくて。空じゃなくて、ハルトさんのことが好きなんです」

 やっと、言えた。

「分かってるよ。からかいたくなっただけ」

「もう、なんなの。分かってたなら、聞き返さなくて良かったじゃん」

「そうだね。ごめん」

言ってしまった後悔と、見透かされていた恥ずかしさに襲われた。どうせ、振られる未来が待っているのに、言ってしまった。今まで、

経験したことないことに戸惑う。

二人だけの屋上に沈黙が訪れる。居心地が悪い。まだ、顔が熱くて、心臓がうるさい。

落ち着くために、空に手をかざす。

「へぇー、これから悪いことが起こると思ってるんだ」

と言いながら、ハルトは私の手に自分の手を重ねる。初めて感じるハルトのぬくもりに胸が高鳴った。

「そりゃ、振られるって分かってるから」

「本当に、セイラは自分に自信無さすぎ」

また、ハルトが笑った。そんなに、笑わなくてもいいのにと思い、拗ねたような態度を取ってみる。

「ごめんって」

謝って欲しい訳じゃない。ハルトは、私の緊張を解くために、茶化しているだけだと思う。これは、きっとハルトの優しさだ。

だけど、茶化してないで、そろそろ返事をして欲しい。

「ハルト、そろそろ返事してもらいたい」

「返事?僕、何か聞かれたっけ?」

「いや…。好きって言ったじゃないですか」

緊張して、また敬語になる。

「それは、分かった。だけど、それを知って僕はどうしたらいい?」

そろそろ、怒りが湧いてくる。ハルトにも自分にも。ハルトは、鈍感でそれをやっているのか、また私を茶化しているのか分からない。  

でも、自分から言わないといけないのは確かだ。

「だから、」

「はい、ストップ」

私は、またからかわれていた。この人は、本当に策士だ。

「その続きは、僕から言わせて」

「私の告白を遮りたかっただけ?」

私の言葉を無視して続ける。

「冬のあの日、初めて一緒に帰った日。僕が放課後に空を見上げてた理由知りたい?」

そう、突拍子も無く聞かれて戸惑う。そんなこと聞いて何になる。

「あの日、空を見上げてセイラのことを分かろうとしてた。僕は、初めて話した日からセイラのことが気になってた。毎日話すようになって、好きになった。でも、セイラはきっとそうじゃない」

「ハルトも意外と自信無いんだね」

「うるさい。最後まで聞きなさい」

「ごめん」

「でも、その通り。自信が無かった。だから、空を見て勇気を貰おうとした。でも、無理だった。そのまま引きずって、卒業間近。その上、セイラに先を越される。情けないよ」

私は、ずっと前から両想いだったことに驚いた。同時に、嬉しかった。でも、このままだとハルトは逃げる気がした。だから、それで?と続きを促す。

「こんな僕だけど、星来、付き合って欲しい」

「はい。お願いします!」

この時、丁度予鈴が鳴った。無言で、二人並んで屋上を出る。


今日は、快晴だ。快晴には良い思い出が多い。だけど、落ち込んだ時に見た快晴が、楽しい時期を思い出させるから嫌いだった。捻くれているかもしれないが、空に笑われている気がして、楽しい時期の思い出が追いつめられた。

でも、違う楽しい思い出で上書きしていけば良いと気が付いた。

「晴斗、快晴を好きにさせてくれてありがとう」

「え?」

「何でもない!」

こんな、波長の合わないような相手でも、上手くいく。合わないこと、嫌いなことも、気が付いたら好きに上書きされる。

それが、どんな形にかは分からないけど、私が快晴を好きになったように、いい方向に進むこともある。

私は、その日の空を記憶に刻んだ。

今までで一番の快晴の空を。

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晴と快晴 明月朱春 @Subaru0129

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