第2話 決断

「あの、三塚くん、だよね?隣いい?」

 葵との出会いは大学二年の春、学部交流会での事だった。


 俺、三塚颯太は代々警察幹部を輩出している名門、三塚家の長男として生まれた。当然俺も警察官になることが生まれた時点で決定していて、幼い頃から父に厳しい教育を受けた。中学生くらいまでは「まあそういうものなんだろう」と警察官への道を受け入れていたが、高校生になると父との衝突が増え、卒業と同時に家出した。一年浪人して金を稼ぎ、警察官とは何ら関係ない東京の文系大学に進学した。でも頑張って入学したその大学は何だが肌に合わず、元々話し下手であったため友達もできなかった。

 そんなわけで、大学一年目は何もできないまま無為に終わり、二年目に「このままではいけない!」と勇気を出して同じ学部の人たちとの飲み会に参加したはいいものの、案の定俺は輪から外れて隅で一人飲んでいた。

 そんな俺に話しかけてくれたのが、今の俺の妻・葵だった。葵は言うなれば「月」みたいな人だと思う。物静かで、可憐で、品がある。太陽のように皆を明るく照らすわけではないが、優しく柔らかな光で見守ってくれているような、心地よい安心感があった。

 俺と彼女が仲良くなるのに時間はかからなかった。二人とも本が好きで、喧噪が苦手で、夜が好き。冷たいように見えて実は感情的で、幽霊の類いが大の苦手。どこまでも俺たちは気が合った。

 両親と和解して俺が警察官の道に戻ったのも彼女が切っ掛けだった。「このまま喧嘩別れしたままだと一生後悔する」「颯太君は何気に正義感に溢れてるから、人を助ける仕事が向いてると思うよ」。彼女はいつだって俺を思ってくれていた。

 なのに最近は、仕事に託けて彼女と向き合わないようになっていた。週のほとんどは職場で寝泊まりして、たまに着替えに帰るだけ。会話のほとんどがスマホを介していた。今思えば、これは罰だ。愛する妻をほったらかして異常者を追っかけ回してる俺に神が与えた試練なんだ。


「正直に申し上げますと、奥様が助かる見込みはほとんどありません」

 都立総合病院の集中治療室。包帯やら管やらで覆われた妻の変わり果てた姿をガラス越しに見ながら、そう告げられた。

「我々としましても、最善は尽くしたんですが・・・」

 気づけば俺は、神妙な面持ちで話す医師の胸ぐらをつかみ上げていた。この男の胸ぐらを掴んだところで、コイツに怒りをぶつけたところで何も変わらないし、そもそもお門違いだって事は分かってる。でも如何にも申し訳なさそうに話すその男が癪に障った。

「・・・・どうにか、ならないんですか」

 今にも消え入りそうな声で問う。

「どうして、妻が・・・、こんな・・・」

 胸ぐらを掴んでいた手がするりと解けて、力なく床に座り込んだ。その様子を見た医師は、深く考え込むような仕草を見せた後、意を決したように口を開いた。

「・・・・一つだけ、方法があります」

 俺はその言葉を聞いてすぐさま医師の顔に向き直った。医師の表情には少しの迷いが見て取れるものの、どこか吹っ切れたように目が据わっていた。

「ここで話すのも何ですので、医務室の方へどうぞ」

 俺は二度と立ち上がれまいと思った両足に力を込め、覚束ない足取りで医師に付いていった。


「奥様が事故によって欠損した部位を、他者から移植します」

 医務室に着いて開口一番、医師はそう口にした。

「奥様は本日午前九時頃、交差点を歩いていたところ飲酒運転の車に轢かれ近くのコンビニに車と共に突っ込みました。直後車が炎上し火傷も負ってしまっています。全身骨折、臓器損傷に大火傷、本来であれば即死ですが、奇跡的に奥様は生きてる。そしてこれも奇跡・・・と言っては不謹慎なんですが、が今回の事故で亡くなられているんです。幸いそちらの方は身体の損傷が軽微で、死因は脳挫傷ですので、奥様に必要な臓器・皮膚には何ら問題はありません」

 ですから・・・、と話を続けようとする医師を俺は遮った。

「・・・その、亡くなった女性のご家族とかから同意は取ったんですか?」

 医師は口を噤む。臓器移植・皮膚移植はそう簡単にできるものじゃない。血液型の一致、臓器・皮膚の相性は勿論、そもそも提供する側の同意が必要で、元々ドナー登録をして移植を待っている人だっている。同意も取っていない、登録もしていない俺の妻が手術なんて受けられるのか。

「・・・・正直に申し上げます。同意は取れていません。移植元の女性の身元が分からず、現在確認中です。ですから、今回の移植は違法行為に当たるでしょう」

 言葉を失う。刑事として違法な手段を執るのは御法度。しかし、妻を救うためには・・・。

「・・・私は医者です。人を生かすために仕事をしています。奇跡的に命を繋ぎ止めた奥様を救うために例え同意が取れずとも移植をする覚悟が私にはあります。しかし私はただの医者であってあなた方とは赤の他人です。最終的な判断は夫である貴方に委ねるしか有りません。ただ、一つ言えることは今手術をしなければ奥様は助からないということです」

 医師の目はまっすぐに俺を見据えていた。夫である俺よりも、彼は妻を救おうとしてくれている。対して俺は、未だに覚悟を決めきれずに大きく息を吐いた。

「・・・・すみません。少し、時間をください」

「確かに、そう簡単に決めることのできない決断ですよね。でも早く決めなければならない決断でもある。早めに、答えを出してください」

 私は一応手術の準備をしておきます、と医師は俺の迷いを察してか足早に部屋を出て行った。俺も、ただ座っているだけでは落ち着かないので部屋を出た。


「んで、どうした?いきなり電話なんて」

 小さな広場のようになっている病院の屋上、そこのベンチに座りながら俺は電話をかけていた。相手はこれまでなんども相談に乗ってくれたケンさんである。

「えっと、なんていうか、聞きたいことがあって・・・」

 ストレートに妻のこと、移植のこと、そしてそれが違法であることは言えない。俺はできるだけ言葉を濁しつつ遠回しに聞いた。

「例えばケンさんは、大切な人を救うために法を犯せますか?」

「随分抽象的な質問だな。何かあったのか?」

「・・・例えばの話です。ケンさんならどうするのか聞きたくて」

「うーん、そうだな・・・・」

 ケンさんはひとしきり唸った後、いつもの豪快な口調で答えた。

「俺ならもうゴリゴリ法を破る。んで、大切な人を必ず救うかな」

 警察案としては0点の答え、でもそれは、俺が心の中で望んでいた100点の答えだった。

「警察官として、法を破るなんてのは絶対にしちゃいかん。でも長年警察官をやってるとな、法は人を律するが、救ってはくれないって事実に気づくんだ。あくまで法は社会と人を正すルールで、正した結果には無関心だ。悲惨な結果を迎えようとも顔色一つ変えない。だから、もしどうしても救いたい人がいて、救うには法を破らないといけないってなったら、もう破るしかないんだ。だって法は助けちゃくれないんだから、自分で動くしかないだろ?」

「・・・そんな選択をして、良いんですか?」

「ああ、たまにはイイと思うぞ?まあ、殺しやらは絶対にしちゃならんがな」

 ハハハッ、と電話越しに豪快な笑い声が響く。俺はスマホをぎゅっと握りしめた。

「ありがとう、ございます」

「いやいや、力になれたならよかったよ。それで?一体何が――」

 ぷつりと電話を切って、俺は走り出していた。向かうは先程の医務室。恐らくあの医師が待っている場所へ。


「先生、妻のことをよろしくお願いします」

 俺はそう言って、医師に頭を下げた。それに対して医師はただ頷いて、足早に医務室を出て行った。早速手術の準備に取りかかるのだろう。

 ・・・とうとう俺は、法を破ってしまった。否、破っているのは医師の方だが、それを警察官の俺が承認してしまった。妻の手術が成功しようがしまいが俺は後に罪に問われることになる。

「葵に、怒られるかな・・・」

 カンカンに怒る葵の顔を想像しながら一人苦笑する。

 でも、それでもいい。カンカンに怒れるくらい元気な葵をもう一度見れるのなら、俺は法でさえ破って見せよう。


 葵が集中治療室から手術室に運ばれていく。俺はそれをただ黙ってみていた。

 続けて医師が、俺の元に駆け寄っている。

「最善を尽くします」

「・・・・よろしくお願いします」

 俺は深々と頭を下げた。

 直後、葵に続いて白いシートに覆われた一台のベッドが手術室へと向かっていく。

「先生、あれが?」

「ええ。奥様と同じく事故に遭い、不運にも亡くなってしまった身元不明の方です」

 俺は葵を救ってくれる女性の遺体に黙って頭を下げる。葵を救ってくれる感謝と、同意を取らず移植してしまう非礼を詫びるためである。

 頭を上げたときふと、白いシートからはみ出してだらりと垂れる右手が見えた。

 白く華奢な腕、指。それよりも俺の目に付いたのは、手の甲に彫られた『杖に絡みつく蛇』の入れ墨だった――――。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

テセウスの矛盾 吉太郎 @kititarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ