エーゲ海

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エーゲ海

 昔、エーゲ海にとある島があった。人口およそ三百人、温暖な気候と海流に恵まれて山の幸、海の幸ともによく採れる小さな島だ。島の中央には小高い山があり、頂上にはちょっとした広場がある。

 島にはとあるお祭りがあった。それは一年の最後の日に神様を島に招待し、豪勢な料理でお持て成しをして感謝を示そうというものだ。一年を通して祭りの準備がおこなわれるため、自然と島民のほとんどは食料生産に携わる者か、料理人だった。


「ぐすっ……おっかあ……」

 厨房で泣いている少年がいる。この少年はこの島生まれのこの島育ち。父親は漁師をしていたが少年が赤子のとき波にさらわれて死んだ。母親は料理人で女手ひとつで少年を育て上げた。しかし、昨晩、足を滑らせて崖から落ちて死んだ。

 少年の前にはコトコトとやたら大きい鍋で煮込まれているシチューがある。祭りのために母親がしばらくずっと仕込んでいたものだ。少年も味見係として手伝っている。

「祭りの前日だというのに、お母さんのことは残念だった。でも安心してくれ、料理は俺が必ず完成させる。おまえのお母さんの感謝はきっと神様に届く」と母親の友人の料理人はシチューに手を加えながらそう言った。

「うん……」

「まあ、街に行って気晴らしでもしてくるといい」


 街はまるで戦場のような熱気に溢れていた。「仕込みはまだか!!」と部下に怒号を飛ばす料理人。「魚が足りないだと? しゃあない船を出すぞ!」と急いで船を出す漁師。

「西国からの品はすべて納品されたか?」と交易品が揃っているか確認する行商人。そして、それらを冷ややかな目で見る少年。

 正直、少年にとって祭りなんてどうでも良かった。母親はシチューに合いそうな食材を不意に思いつき、それを採りに山に登って死んだ。食材は無事母親の友人の手に渡ってシチューに加えられたが、母親は無事では済まなかった。もし祭りがなければ、もしシチューなんて作らなければ母親は死ななかったのではないか、という考えが少年の頭をぐるぐる回る。


 熱気から逃げるように離れる少年。その先にはもう使われなくなった井戸があった。そして、そこにはしわくちゃの顔をした老人がひとり。

「おお、シチュー屋のせがれよ、母親のことは残念だったな。お前の母親のシチューは絶品だった……」

 老人はすでに引退していたが元は凄腕の料理人。その腕と経験を買われ、祭りで出される料理の味見役兼相談役になっていた。それゆえ、料理の品目やレシピが決まり後は作るだけの段階になった今、老人は暇だった。


「なあ、せがれよ、そんなに母親のことが恋しいならひとつ神様に願ってみてはどうかな?」とニヤニヤした顔で老人。

「……願う? 何をです?」

「何をって言われてもなあ、思いつきだし。でもまあ、ひょっとしたら神様も気が良くなって何でも願いを聞いてくれるかもしれない。今年の料理はここ数十年で一番だからな。西国の長い戦争が終わったおかげで貴重な食材がバンバン手に入った」

「でも、祭りの最中は山に入るのは禁じられています」

 祭りは日が落ちた後に山の頂上の広場でおこなわれるが、島民は一切の立ち入りを禁じられている。警備もかなり厳重。噂によると、大昔に島民の一人が神様の食事風景を見ようと山を登ったが、ついぞ帰ることはなかったことが原因らしい。

「そこは上手く、な?」と無責任に老人。


 老人と別れた後、ぶらぶらと考えながら歩く少年。何を願うかは決まっていた。問題はどうやって祭りの最中、山に登るのかだ。

「皮むきまだ終わってねえのか! もうすぐ日が落ちるぞ!」「これで今年の漁もしまいかな」「西国からの荷が遅れてる? まったく勘弁してくれよ」街はまだまだ賑わっている。

「ん?」

 少年は何かに気がついた。

「どうせ神様が飲むんだから、時化くらいなんとかして欲しいぜ」と行商人。

 そうか! とアイデアを思いつく少年。そのまま食器類が保管されている倉庫へ急ぐ。


 そこは何もかもが巨大だった。布団と同じくらいの大きさのお皿に、バスタブほどの深さのスープ皿、箸やスプーン、フォークなんかはちょっとした武器に見える。神様に出す食事に使われる食器はとにかく大きかった。

 そんな食器を横目に目的のものを探す少年。それはグラスやカップが置いてある場所にあった。

 「よし、これなら隠れられそうだ」

 少年と同じくらいの大きさの酒壺がいくつも並んでいる。今は空だが、西国から酒が届けばこの酒壺に注がれ、そのまま広場に運ばれる手筈になっている。少年はそこに目をつけた。

 酒壺のひとつを一旦外に出し、ほかの酒壺に酒が注がれたら密かに戻す。そしてその中に潜む。そうすれば、山頂の広場まで勝手に運ばれていくはずだ。荷が遅れているのも追い風だ。ギリギリでの搬入になれば、酒壺の中なんていちいち確認しないだろう。

 少年は計画を実行した。


 そろそろ日が暮れそうだった。少年はガタガタと荷車に揺られていた。バレないか気が気でない少年。

 やがて、ガタンと音を立てて荷車が止まる。一瞬ふわっとした感覚を感じるが、すぐに収まる。そして荷車が出発したのか、だんだんと車輪の音が遠ざかる。

 少年は酒壺の蓋を開けて辺りを伺う。いい香りが少年の鼻孔をくすぐった。山頂の広場にはこれはこれは美味しそうな料理が並べられ、提灯に淡く照らされていた。

「上手くいった!」少年は壺の中でガッツポーズ。そのまま蓋を閉めて神様を待った。


 やがてしばらくうとうとしていると、酒壺ごしにぽつぽつと声が聞こえてくる。

「……おつかれさまです~」

「……今年も大変でしたわね」

「……西国の戦争が終わって、事後処理が多かった」

「……仕事の話は止めにしようぜ!」

「……!」

 そろりと少年は壺の蓋をずらして、外の様子を伺う。


「デカい!」と思わず少年。

 十二体の神様一行は大変見目麗しく、まるで御伽話に出てくるような容貌をしていた。そして、何よりもデカかった。体長は成人男性の三倍をゆうに越えているだろうか。これならば、大量の料理に巨大な食器が必要なのも頷ける。

「それじゃあ皆さん揃いましたか?」

「早く飲もう食おう!」

「……!」


 山頂の広場に並んだ料理を思い思い取り、自分の席まで運ぶ神様たち。「まあ、見て下さいこの砂糖菓子。まるで宝石のようですわ」と上品な神様。「こっちの茶色いお菓子も美味しい」とクールな神様。「女どもはもう菓子か? ここに来たらコレを食わなくちゃ始まらねえ」とステーキにかじりつく豪快な神様。「相変わらずここのぶどう酒はとても美味しい」と爽やかな神様。「……!」と何を言っているのかわからない牛頭の神様。

 飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが始まった。ひたすた飯を食う神様、同じく酒を飲む神様、ほかの神様と談笑する神様、食事はそこそこに音楽を奏でたり踊ったりする神様、急に相撲を取り始める神様、牛頭で牛の丸焼きにかじりつく神様、山頂の広場はまさにカオス。


 そんな中、一体の神様が少年の隠れる酒壺の近くまで来る。

「こっちは西国の火酒か、楽しみだ。どれにしようかな」

 神様は酒壺をひとつ選んでそのまま開けた。

「あっ」

「あっ」

 少年と神様の目線が交差する。


「おーい、こんなところに人の子がいるぞ」と少年をつまみ上げながら神様。なんだなんだと神様たちが少年のところへやって来る。少年はつまみ降ろされ囲まれた。

「人の子なんていつぶりだ? 十年くらい?」

「いえ、正確には百五十二年ぶりです」

 月明かりや提灯の光が神様の巨体に遮られ、影に飲み込まれる少年。十二対の目が値踏みするように視線を飛ばす。少年の心臓はバクバクと高鳴っていた。正直、心臓が口から出そうだ。しかし意を決する少年。神様たちに頭を垂れる。

「神様、お願いします! おれのおっかあを生き返らせてくれ! おれの命はどうなってもいいから!」


「あらあら」と顔を見合わせる神様たち。

「まあ、坊主とりあえず落ち着けや」と食い止しの串焼きを少年に渡そうとする神様。

「調べたところ、こちらの少年の母親は昨晩亡くなっているようですわ」

「どうします?」

「どうしますって、流石に難しいだろ……豊穣神の方でなんとかできないか?」

「稟議が通ればこの子のお母様が亡くなる寸前の身体を再現することはできますけど……魂魄の方はどうにもなりません」

「魂魄か……じゃあ冥界神の管轄だな」

「え!? ムリムリムリ! 一日に何千何万人と死んでいるんだよ? その中からこの子のお母さんの魂魄を見つけるなんて何年かかるかわからないよ! 魂魄の転生も止めるわけにはいかないし……」

「……!」

 しばらく議論が続いたが結論は出なかった。

 はぁ、と一斉にため息をつく神様たち。巨体なだけあってそのため息も大きく、少年は吹き飛ばされそうになった。

「悪いな坊主、おまえの願いはちと難しいわ」

 号泣する少年。


 夜のエーゲ海は深く、暗い。時折月明かりに照らされる白波がまるで宝石のように思えた。少年は神様たちと夜の海を見ながら麺料理をズルズルとすすっていた。もうじき年が明ける。

「なあ坊主、母ちゃんのことは悲しいかもしれねえけど、別にそれが終わりってわけじゃあない」

「死は始まりですわ」

「大切なのは忘れないことだよ」

「あなたのお母さんのシチュー美味しかったです」

「このソバって料理も美味しい」

「あら、お菓子も美味しいですわよ」

「お前はホントそればっかだな」

「……!」

 くすくすと笑う神様たち。


「まあ、ともかく坊主、今日の料理だって最初に作り方を考えたやつはもう死んじまっている」

「でもその意思を継いだ者がいた」

「料理はもっと美味しくなった」

「それが継承、それが人の世の理」

「でも少年にはちょっと難しいかもしれないね、この世の理は」

「今はまだ分からなくてもいいと思います」

「大切なのは歩みを止めないこと」

「……!」牛頭の神様がシチューが入っている大きなスプーンを少年の前に出す。

 少年はシチューを一口食べる。つい頬が緩むくらい暖かくて美味しい。しかし、自分が味見したものとはちょっと違う。

「今年は急遽アレンジしたんだろうね。去年のものより遥かに美味しい」

「今年も頑張って良かったって思えるし、これで来年も頑張れる」

 シチューにもう一度口を付ける少年。「ありがとう」と小さく言った。


「お気をつけて、夜の山道は暗いですから」

 神様たちが少年を見送る。一体の神様が広場の提灯をひとつ手に取り、息を吹き込む。

「これを持っていけば安全に下りられるでしょう」提灯を少年に渡す神様。

「じゃあな!」

「お元気で」

「それでは」

「……!」

 思い思いの別れの挨拶をする神様たち。少年の背中はどんどん小さくなっていく。


 そしてしばらくして、時刻は明け方。新年はすっかりと明け、初日の出が昇ろうとしていた。

「そろそろお開きにしますか?」

「そうですわね」

「あー食った食った」

「今回の下界はとても良かった」

「やっぱりそう思います?」

 神様たちは不思議な充足感を味わっていた。例年よりも料理が美味しかったこともあるが、なによりあの少年だ。管理すべき、庇護すべき人間のひとりをちゃんと導けたという実感に、神様たちは得も言えない喜びを感じた。

「あ、日が昇りますよ!」

 エーゲ海の暗黒が照らされ、空に赤色のグラデーションが走る。

「本当に良い下界でした」

「ああ、まったくいい下界だ」


 神様たちにとってエーゲ海は、ええ下界だった。

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エーゲ海 yuraha @yuraha1154

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