さえもままならない

かなぶん

さえもままならない

 これで何度目だろう。

 瞬き一つ。ただそれだけで直前まであった景色は一変し、明るい日差しの下、玄関先に立っている。見下ろせば胸元に付けられていた桃色の造花はなく、代わりにくたびれていたはずの高校の制服が、新品然でそこにある。

 いや、紛うことなき新品そのものであった。

 なにせ今のアキラは、新入生から脱却したての、今日から通常の高校生活を歩む、ピカピカの高校一年生なのだから。

 高校の卒業式を迎えた三年生の制服であるはずがない。

 それでもくたびれ具合は相当のもので、朝の暖かな日差しに纏う暗いうなだれは、高校三年生どころか、さながら人生の終焉に絶望しか残らなかった者のよう。もしもアキラの家族の誰かがこの姿を見たなら、「若いのに」と笑うことすらなく、本気で心配してくるのは間違いないだろう。

 だが、仕方がない。

 外見上、普通の高校生にしか見えないアキラは、その実、すでに何度も、幾度となく、永劫と思える時間を繰り返し繰り返し過ごしてきたのだ。

 それも、この日から始まって、最長で高校三年間を。最短では――。

「また今回も変なところでここに戻ってきたなぁ」

 不意に蘇りかけた、精神的に追い詰められた過去――あるいは未来の景色の再生を、のんびりとした声が遮った。

 顔を上げれば、「よっ」と手を上げた親友のユウキが労うように笑う。


* * *


 いつ、何がきっかけで始まったかわからない時間の繰り返し。

 それと同じように、いつ、何がきっかけでそうなったのかはわからないが、その時のことは今でもはっきりと思い出せる。

 ただ闇雲に、時間に翻弄されるだけだったアキラが、追い込まれた精神でさえ何も変わらない、変えられない”日常”に壊れかけた時。

「……やっぱり、アキラも、もしかして?」

 そう声をかけてきたのがユウキだった。

 これがもし、同じクラスの友人たちだったら、はぐらかしていたかもしれない。

 続く言葉に期待を抱く一方で、違う話題の可能性もあり、またうっかり漏らした時間の繰り返しを「なんだ、寝ぼけてんのか?」とからかわれてしまったなら……。

 しかし、ユウキは中学の三年間、違うクラスだったことから疎遠になっていた級友の一人であり、繰り返す時間の中では初めての接触。

 否応なく高まる心音に次の言葉を待てば、何も返さないアキラに戸惑ったのか、ユウキは頬を掻いて言った。

「あー……もしかして、久しぶりだから憶えてない? ほら、小学校の時、よく遊んでたじゃん。一応、同じクラスメイトだったんだけど」

 尻すぼみになる言葉に、慌てて首を縦に振ったなら、ユウキはほっとしたように笑い、アキラにしかわからないことを口にした。

「良かった。それで、さ。話は戻るんだけど……。いや、間違ってたらもの凄く恥ずかしいから、すぐに忘れて欲しいんだけど……アキラは、何回目の今日なのかなって――っいってぇ!!?」

 自分と同じように繰り返しを体験していると知り、一挙に押し寄せる感情に胸を詰まらせたアキラは、恥も外聞もなく、体当たりするようにユウキへ飛びつき、抱きついた。


 ユウキとの出会いは、ただ仲間ができただけではなく、惰性に繰り返すだけだったアキラの考え方をも変えていく。


 アキラと同様に高校三年間を繰り返していたというユウキだが、その始まりはアキラとは少し違っていたらしい。

 連続する既視感。

 それに気づいた時、一度目の繰り返しを経験して、ユウキは一つ仮定したという。

 自分の記憶では初めてだが、あのあり得ないほどの既視感を鑑みるに、その実、この繰り返しは自分が意識しないだけで、すでに行われていたのではないか、と。

 ――何度も何度も、数え切れないほど。

 そうして始まる繰り返しの中、ユウキは試行錯誤に没頭していく。

 まず得られたのは、自分の繰り返しには何の脈絡もないということ。

 物思いに耽っている最中に戻され、笑いかけた瞬間に戻され、と思えば驚いてほっと息をつき、気を取り直して五歩歩いては戻され――とにかく、決め手がない。

 どれだけ繰り返しても自分からは何も得られないと結論づけたユウキは、次に自分以外を観察することにした。

 家族、友人、級友、先生、近所の知人――。

 近場から、徐々に範囲を広げ、一人一人を観察し続けること、何年、何十年……。

 人物を絞り、膨大な時間を使って見続けたという話に、アキラは自分だったらと青ざめたものだが、ユウキはあっけらかんとしたもの。

「でもやっぱり、誰の行動にも繰り返しとの関係は見つけられなかった。……ただ一人を除いては」

 ゾクリと肌が粟立ったのは、気のせいではない。

 向けられた瞳を無機質と感じたのも、きっと。

 そしてアキラは気づくのだ。

 やはりユウキもこの時間の繰り返しの中で、疲弊し摩耗していたことに。

 ユウキが指し示す、アキラをきっかけとした繰り返し、前回のその要因。

 それは傍観されていたと知って、はいそうですか、で済まされる話ではなかった。

 もしも今のアキラが、この繰り返しを体験した最初の頃であったのなら、我を忘れて怒り狂い、ユウキにあらゆる暴言と暴力を浴びせ振るっていただろう。

 何も知らない、何も経ていない、普通の高校生であったなら。

 しかし、ユウキの疲労が誰よりも身に染みてわかるアキラは、ただ一言。

「そっか。つまり、この繰り返しの原因、いや、始まりは――」


* * *


「まーた今回も駄目だった」

「卒業式までこぎ着けたのにねぇ」

 二人は互いを労いながら、また始まった今日を進めるために登校する。

 新しい友人もまだそこまで親しくない時期だからこそできる話を、誰ともすれ違わないと知っている道を選んで、真新しくもないこれからの出来事を反芻する。

「というか、ユウキもさ、せっかく恋人ができたのに悪い」

「いやいや。実はこれでクラスメイト制覇だったりする」

「マジ!?」

「うん。次は隣のクラスを攻めてみようかと」

「……虚しくなるから本当は言いたくないけど」

「うん?」

「頼むから、繰り返さなくなった後、自分が困るような相手は選ばないように」

「それなら大丈夫。みんな中身は良いから。伊達にじっくり見てきてないさ!」

「うわ……まさかストーカー歴自慢してくるヤツが友だちだなんて」

「誰がストーカーだ! それに、ここまで来たら親友!」

 わーきゃー言いながら走り出す姿は、どこからどう見ても年相応の二人。

 人通りのある通学路に出てもはしゃぐ様子に、「朝っぱらから元気だね」「若いねぇ」とすれ違う散歩中の老夫婦が笑う。


 ――そんな光景の陰で、ユウキはまた一つ仮定していた。


 追いかけ追いつき、「ごめん」と笑うアキラへ、「許さん!」と笑いながら。

(……アキラの繰り返しには理由がある。それはたぶん、いや間違いなく、アキラがこの繰り返しの引き金だから。アキラが卒業式の終わりに門を通った時、留年しかけた時、手を抜いた時、人の道を踏み外しかけた時、自分を諦めた時、必ず時間は戻り、今日が始まる。……それと、もう一つ)

 より一層暗さを増した瞳は、頭を振ることで明るさを取り戻す。

(だとしても、今は仮定でしかないし、どの道コレはアキラが気づいて、決めることだ。その時どうするかは、その時決めよう。今は、新しいスタート地点から始めることだけを考えよう)

 ――ユウキに恋人ができたと、アキラが見、聞き、応援した時。

 始まりの今日で反芻し続けた未来から導き出された可能性。

 意味するところを考えまいと、仮定から遠ざけるようにアキラの肩を叩く。

 自分がアキラと同じく繰り返しに気づいたのは、そんなことのためではない。

 全てはアキラ親友の自由のために。

 ユウキのそんな想い知る者は、ユウキの他は誰もなく。


* * *


「だああああああああぁっ!! もう! ちっがーう!!」

 急に叫びだした上司に、部下は驚き、目を丸くした。

 そちらを向けば、モニターを前に、座る椅子の上で両足両手を投げ出し、バタバタもがく姿を目撃する。

 滅多に見ないどころか、初めて目にする光景に戸惑っていれば、ふと思い出すのは先日決まった上司の長期休暇。上司の業務内容を思えば、名ばかりの長期ではあるが、やっと申請が通ったと喜ぶ様子は、普段の冷静沈着さからは想像できないほどだった。

(そういえば、本当に久しぶりの長期休暇だからって、ただでさえ忙しい仕事の合間に、長期休暇のシミュレーションゲームを作ったんでしたっけ)

 以前、夢中で作成している上司に話しかけた時を思い出す。

 ちらっと見せて貰ったシミュレーションゲームの原案には、どことなく上司に似た主人公と思しきキャラクターが描かれていた。

(あと、確かあのゲームの主人公には相手が設定されていて……ということは、あれって恋愛シミュレーション? しまった、相手もちゃんと見ておけば良かった)

 そう後悔した部下だが、続けて思い出したのは、しっかり見せて貰えた原案は主人公だけで、他は我に返った上司から見せて貰えなかったこと。もっと言えば、そもそも主人公どころかシミュレーションゲームという情報も、たまたま見れただけで、上司には見せる気がなかったらしい。

 証拠に、作業から顔を上げた時にこちらを見た上司の狼狽えようと言ったら。

(……笑うのは失礼に当たるので、堪えましょうか、自分。それにしても、この方が恋愛シミュレーションなんて)

 結局呆れ半分の笑い顔になってしまった部下は、そっとため息をつく。

 そんなことをせずとも、ただ想いを伝えたなら、それだけで相手は応えてくれるだろうに。少なくとも、自分なら――。

 不毛な想いを吐息とともに払い、「くっ、もう一度だ!」と再びゲームに取りかかる上司の邪魔をしないよう、静かにその場を後にする。

 全ては上司『  』の束の間の自由のために。

 部下のそんな気遣いを、部下の他は誰も知らず。

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さえもままならない かなぶん @kana_bunbun

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