オニノコ

武江成緒

オニノコ




 スタートを切った。


 居心地は悪くなかったけれど、狭くて、暗くて、閉じ込められた、そんな場所からめりめりと出る。


 冷たくて乾いてて、だけど、明るくさわやかな、外の空気。

 それをいっぱいに吸い込んで、はじめての息を、声いっしょに一気に吐き出す。

 その産声にあわせたみたいに、周りにいた人たちが、いっせいに声をあげた。


 悲鳴だった。




 どうしたんだろ。

 わたし、なにかまちがえた?


 お医者さんらしいおじいさんも、ナースらしいおばさんたちも、目を見ひらいて顔こわばらせて、マスクぐしょぐしょになるくらい、おっきな悲鳴をリピートしてる。


 すぐ横の床のうえには、おじさんがひとり転がってて。

 悲鳴どころか泣き声と涙だだもれにして、あーあ、オシッコももらしてる。イヤだなぁ。

 マスクもキャップも似合ってないから、たぶん、この人がお父さんなのかなぁ。


 わたしが産まれる場面トコにまでちゃんと立ち会ってくれたんだ。

 えらいなあ。

 でもごめん。思いっきりあだで返しちゃったみたい。親不孝な子でごめんね。




 あ、そうだ。

 お父さんがいるんなら、お母さんだっているよね。

 そう思ってきょろきょろあたりに目をむけてみる。


 お母さんは思いのほかすぐ近くにいた。

 わたしが座りこんでたのが、お母さんのおなかの上。

 どうやらさっき産まれてすぐに、お医者さんがそこへほっぽり落としたみたい。


 ひどいなあ。

 ねえ、お母さんもなんか言ってよ。


 なんて言っても無理みたいだった。

 お母さん、目の玉がこぼれ落ちそうなくらい目を見開いて、よっぽど苦しかったんだって一目みただけでわかるくらいすごい顔して固まって、そのままぴくりとも動かない。

 うわあ、こりゃお父さんの比じゃないね。いよいよとんだ親不孝者だ。




 なんてセンチメンタルにひたる余裕はどうやらもらえないみたいで。


 空気の波と、風をきるちいさな音に、あわててそこからとびのいた。

 お母さん、かさねてごめん。お腹おもっきり踏んづけちゃった。


 産まれてはじめてのジャンプは思ったよりもうまく行ったと思うんだけど。

 残念。お腹のまんなかにつながってる白い臍の緒コードにひっぱられた。

 ああ、お母さんとのつながりがこんなに早くジャマになるなんて。


 床に叩きつけられるのをなんとか回避、二本の足で無事着地した、その頭のうえを、いくつもモノがすっ飛んでく。

 お医者さんやナースさんが、手当たり次第にいろいろ投げつけてきてるみたいだ。


 新生児に、それは職業倫理的にどうなんだ。

 なんていうのはたぶんズレた意見みたい。


 みんなキャーキャーさけぶ声には「鬼」だとか「悪魔の子」とか、そんなワードがまじってて。

 うん、はっきりとはわかんないけど、これは子どもの権利どころか、基本的人権さえ認めてもらえるかは微妙だね。




 ほら、そんなこと考えてたら、お医者さんがハサミふりあげてわたしのほうへ走ってきた。

 自分の何倍もある大人が刃物かざしてむかってくるのはさすがに怖い。


 仕方ないんだよ、お母さん。三度目のごめん。

 お母さんとの臍の緒つながりを歯でかみちぎって逃げ出しにかかる。

 あー、でもやっぱムリかな。足のリーチがちがいすぎる。


 と、お医者さん、いきなりコケた。

 横合いからお父さんがとびついたんだ。涙ながして何かわあわあ言いながら。

 お父さん、ありがとう。こんなに親不孝なわが子をそこまでして助けてくれて。

 謝りようもないんだけど、どうか幸せになってね。


 そう、わたしはそのまま逃げ出した。

 ラッキーにも、ナースさんのひとりがちょうどそのときドアはねとばして逃げだした、その後ろから続いて逃げた。




 部屋から出たら、あんま大きな病院トコじゃなかったみたいだね。廊下をちょっと走ったらすぐにおおきな部屋へでて。

 うん、そこに集まってた患者さんたちとか家族の人たち、もうキャーキャーって。

 叫ぶわ泣くわ倒れるわ、さすがに人のかっこ見て、そこまですることないんじゃない?


 ちょうど、って言うか。部屋のすみにはおっきな姿すがたがあった。




 ……うん。

 こりゃ仕方ないや。


 人のかっこ見て、っていっても、まず人のかっこしてない。

 自分のこと、ブサイクだとか言いたくないけど、まあ、ブサイクとかそれ以前にね。

 お母さんともお父さんとも、もちろんこの人たちとだって、あまりに“違い”すぎるもん。


 ああ、こりゃダメだ。わたしの“人”生、スタートからしてまちがえた。

 こういうとダメっぽい言いぐさだけど、産まれる世界、まちがえた。


 もうそうとしか思えない。たぶん、こことはぜんぜんちがう、どっかよその世界に産まれてくるはずが、思っきしまちがえた。

 そう思えちゃうくらい、鏡のなかに立ってるわたしは、ハッキリまわりからズレてる。


 ま、考えたらそりゃそうだよね。

 生後たったの数分で、これだけクリアな意識と五感、考える力まであって、見たこともないモノや場所の知識があって、こんな常識はずれた存在、どう考えてもこの世界のモノじゃないよね。

 あはは、今の今までそんなコトも気づかないとか、わたしったらおバカさんなのか、異界のアタマの持ちヌシなんだか。




 そんなこと考えてたら、後ろから、バタバタって走ってくる音が。

 たぶんお医者さん復活して、またハサミもって走ってきてる。こりゃやばい。


 やばいけど、足もだんだんしっかりしてきたカンジするし、体にパワーがたまってきてる感じもした。

 まちがえたけど、この世界、意外とわたしにやさしい世界なのかもね。


 産まれて二回目のジャンプ。

 お母さんとの臍の緒きずなをさっき泣く泣くかみちぎった甲斐もあって、一回目よりずっとすごいジャンプだった。

 部屋のおっきなガラス窓、つきやぶっちゃうくらいだったもん。




 部屋のなかより冷たく乾いて、だけど、明るくさわやかな、外の空気へと飛びだして。

 この世界へと、わたしはスタートを切った。

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オニノコ 武江成緒 @kamorun2018

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