六人やないか

西の海へさらり

短編完結

 もんどりうつ、とはこういう感じなのか。食事をしようが、原稿を書こうが、何をしてもとにかく腹が痛い。田口は今まで味わったことのない痛みが収まらないまま二日が経ってしまった。


 流石にまずいと思い、総合病院へ。即入院という問答無用の医師の宣告を受け入れたのは八月の末頃。書きかけの原稿が気になり、先日受注したばかりの雑誌の取材もキャンセルしたのは痛い。とにかく身体以上に不安な気持ちがつきまとう。

「あとで、採血しますから。田口裕太さんのベッドはここね。相部屋ですよ。みなさん年はちょっと上の方ばかりですが」


 いつものことだからだろうか、流れ作業のように看護師がベッドに案内した。田口にとっては人生初の入院だった。

 四人部屋で、田口のベッドは窓のある方ではなく、廊下側だった。田口は小走りに行きかう看護師たちがなんだか羨ましく感じた。

 部屋には三人の老人がいた。さっと見回しただけで、相部屋にいるのが老人だとわかった。三人とも二十歳は年上だろうか。みんな七十歳を越えているように見えた。


 若い子からしたら、ぼくも老人のようなものなのだろう。田口は看護師のちょっと年上といった悪意のない言葉がどうにも引っかかっていた。

「看護師さんっ、さっきから何回も呼んでるでぇ!」

 隣の窓際、爺さんが大声で呼んでいる。ナースコールをいくら押しても、誰も来ないのにやっきになっているようだった。


「吉岡さん、どうしました?」

 看護師の杉下みゆきが息を切らしながら吉岡のベッドにやってきた。

「ちょ、ワシなぁ、ご飯は減らしてって頼んだやろ」今にもベッドから立ち上がりそうな勢いだ。

「危ないって、立ったらケガするで。もうこれ以上ケガしたら、よその病院で面倒みてもらうことになるのよ」


 少しイライラした口調だったが、言い過ぎたような素振りはない。堂々と自分の主張を言い放つ看護師に内心スカッとしていた。

「せやけどなぁ、ワシは」

 言いかけた吉岡を制するように杉下はかぶせるようにして

「吉岡さん、ケガしたら私悲しい。本当に」

 田口の方からは細かな表情まではみえなかったが、複雑な顔をした吉岡がそこにいた。

「トイレ!」

吉岡の向かい側、同じく窓際の辻が大声で叫んだ。

「辻さん、私はトイレじゃありません」

「トイレがしたいです」


 辻は子どもが母親に癇癪を起して言い放つような素振りで、杉下に頼む。吉岡のクレームあしらいつつ、布団をサッとかけなおして辻のトイレの世話を始めた。

 バスケがしたい、みたいな漫画の名言になぞらえてしまい田口は思わず、笑ってしまった。相部屋に入ってわずか三十分程度のできごとだった。

 隣に吉岡、斜め向かいに辻、真向いの同じ廊下側は花井という男だった。熱中症で倒れたということ、植木職人の親方であることが彼の電話のやり取りでわかった。

「だから、そりゃぁ、切っちゃっていいんだよ。施主の言う事はいいんだよ、俺がいいって言ってんだから、その松は切っちまえ!」

 随分思いきりのいい男だ。田口は自分より花井の方が先に退院するなと思っていた。


 実は花井は数日まえに熱中症で搬送され、症状が落ち着いたので中央の病院からこちらの地元の総合病院へ転院してきた。

 病院ではプライバシーを守ることが難しい。ちょっとした洞察力と聴く力があれば、どういう理由で入院しているのか察しがついてしまう。職業病のようなものかもしれないが。

 新聞とジュースを買い自分のベッドに戻った田口はテレビが有料と気づくまで、どの番組を観ようかテレビ欄を食い入るように見ていた。

「兄ちゃん、読み終わったら、後で見せてくれよ。新聞をよぉ」

 向かいの花井がまるで長いこと相部屋だったかのように田口に声をかけた。

田口はくしゃくしゃになった新聞を花井に渡すと

「ぼく、田口と言います。よろしくお願いします」

「ワシは花井。庭師だ。兄ちゃんは何の仕事してるんだ?」

田口はふぅーっと深呼吸した。尋問のような花井の口のききかたに、年長者とはいえ冬かいに感じた。どうしてこうも、団塊の世代ぽい人たちはプライバシーに鋭角で侵入してくるんだ。花井は父によく似ていると、田口はイライラしそうな気持ちと表情を整えた。


「ぼくは、ライターです。ライターと言っても、タバコにじゃなくて、人の心に火をつける仕事です」

「あ、そーか。コピーライターか?取材ライターか?ウェブライターか?それともゴーストライターってやつか?」

「どちらかというと、コピーライターですね」と即座に返事したものの、花井が意外と詳しいことに驚いた。

「お、お兄さんコピーライターなんか。ワシはデザイナーやで。版下でデザインしてた時代やけどな」


 吉岡が突然会話に割って入ってきた。それを聞いた辻が

「私は印刷屋です。随分前にせがれに社長を譲りましたが」

花井は驚いた。


「あんた、辻って、あの辻印刷所の辻慎太郎かい?」

「そうですが、私のこと知ってらっしゃる?」

「新聞で見たことあるからなぁ。俺は記憶力がいいんだ。顔を覚えるのが仕事みたいなもんだったし。いや、それにさ、あんたの家の松、勝手に切ったのは俺なんだわ。施主の奥さんに随分叱られたの覚えてるわ」

「あの松切ったのは、あなただったんですね。先代から受け継いできた松ですが、家に帰ったら切り倒されていて。妻は泣くばかりで。でも、もう家ごと売り払いましたから。あの松が切り倒されたおかげで、逆に家も売りやすかったんですよ」

 心なしか辻の表情は穏やかだった。

「そしたらさぁ、兄ちゃんはコピーライターで、辻さんは印刷屋で、俺はデザイナーだろ。三人で会社ができるな」


 吉岡は会話の切れ目を見つけて、ドヤ顔で話にまた割り込んできた。

「いやいや、俺もさぁ、今はよぉ庭師だけど、もともとはカメラマン、今風に言うとフォトグラファーなんだぜ」

 花井が自分の荷物から大きな本を出した。表紙が厚い紙、ずしっと重いインテリアの本だった。海外の有名スタイリストが出した本だった。

「若い時の写真集ってやつだよ。このカイリってスタイリストは俺の嫁さんだよ。インテリアだけじゃなくて、アパレルのスタイリングもできる」


 コピーライターの田口、デザイナーの吉岡、印刷屋の辻が「おぉぉ」と地響きのような声をあげた。カメラマンの花井とスタイリストの花井の妻のカイリも入れたら、ぐるっとクリエイティブが回せる会社になる。


 退院して会社を興すかは別として、こうした共通点があると距離感はバグるくらいに近づく。全員なんとなくふんわりとした夢ごこちになっていた。

 夕食時、吉岡の希望通りご飯の量が減らされていた。吉岡はナースコールを押した。


 杉下は四時に上がり、代わりに杉下よりも随分貫禄のある鴨志田由紀がゆっくりとやって来た。

「どうかしたん?」

 タメ口が清々しさを感じさせる。


「いや、ご飯の量、減らしてくれたから、ありがとうと言いたかってんや」

「はぁ?忙しいのに、何呼んでんの。あんたの嫁さんちゃうで。えーと、吉岡さんな。覚えとくわ」

 鴨志田から発する言葉が小気味いい。田口は隣の吉岡に目をやりながら、おそるおそる声を絞り出した

「鴨志田さん。今日から入院してます田口です。もしかして、鴨志田さんって、広告屋で営業やってました?」


花井はかぶせるように

「ここにいるメンバーは、みんな紙媒体に関わってきた人間ばかりなんだよ。俺はいま庭師だが、昔はカメラマンだったんだ。田口さんはコピーライター、隣の辻さんは印刷屋、でその吉岡の爺さんはデザイナー。もしかしたら、あんたも何かつながってるんじゃないかってね」興奮気味にまくしたてるように花井は言い切った。噛まずに言い切った自分に満足しているようでもあった。


 鴨志田はぐるっとあたりを見渡して、

「検温するよ。吉岡さん、あんたからね」

「どうなんだよ、看護師さん」

 辻が鴨志田に詰め寄るように、問いかけた。吉岡はまじまじと鴨志田を見つめている。


「花井さん、明日別の部屋に移動。別の人がここに来るから」

「やだよ、せっかく四人と俺の嫁もいれたら五人もそろったんだぜ。部屋変わったら、台無しじゃねぇか」

 この間に、鴨志田は吉岡、辻、田口の検温を終えていた。

「こんなところでそろってる場合じゃないでしょ。退院したら、ここでそろったことは必然じゃなくなるのよ」

そうだった、田口は身体から熱がすうっと引いていくのを感じていた。たまたま相部屋になった人たちと共通点があっただけで、どんな仕事ぶりなのか、どんなポリシーなのか、一緒に仕事するなら一番大切なことも知らずにできるものではない。何とも言えない興奮が冷めていく感じ、誰もがトーンダウンしていくのを感じた。

 鴨志田は花井の検温を終え、全員が平熱だったことを確認した。


「熱はないようね、みんな。さぁ、もうすぐ消灯だからね。ここは病院。病気を治療する場所なんだから」

鴨志田は病室を出ようとしたときに、ふわっと振り返った。大きな身体にしては、随分身軽なステップだった。

「で、私、昔はフリーペーパーの営業だったわ。不動産系の広告営業だったのよ」

意気消沈し熱気が冷気のように変わり始めてていた、四人部屋がわぁぁと着火したのを感じた。四人とも口角が上がっている。


「六人やないか、えらい偶然や」


 吉岡がぼそっと声に出した。花井は何かを成し遂げたような満足感を感じていた。同時に、吉岡は言葉にできない驚きをガッツポーズで表わしていた。辻はなぜか子どもが叱られた時のようなヒックヒックとしゃくりはじめ、ついに涙を流していた。


 田口は胃腸の痛みを忘れていた。抗生剤入りの点滴が効いているからだろうか。いや、会話の楽しさで痛みを忘れていたからかもしれない。途中から、この話を脚色してブログに書こうと、メモしていたが気が付くと消去していた。

 ナースステーションで夫の病室を確認している外国人女性がいた。

「熱中症で転院してきた三一六号室の花井勝次の部屋が変わると聞きまして」

たどたどしくもない、どちらかというとしっかりとした標準語だった。お名前は?とナースステーションで聞かれると

「花井カイリです」とカイリの部分だけ英語発音の流暢さがにじみ出ていた。

 夫の携帯電話が通じず、カイリは不安だった。怒りっぽい夫だが、私にはとにかくやさしい。熱中症も落ち着いて、地元の病院に転院ということで少しホッとしていた。と同時に子どもの世話から犬の散歩、職人たちの仕事の調整など夫不在のなかカイリの働きっぷりは見事だった。


 途中ワゴンを押しながら自分の方に向かって歩いてくる大柄な看護師がいた。ナースステーションに戻ると、主任に何か報告をしていた。

「川原主任、三六一号室の花井勝次さんですが、ご本人の希望もありまして、病室の入れ替えはせず、このままでよろしいでしょうか」


 鴨志田は内線で早口気味に話している。少し離れたカイリにも聞こえる声の大きさだった。頭を何度も下げながら、受話器を置く鴨志田にカイリは

「花井の妻でございます。主人がどうかしたのでしょうか」

 少し面食らったように鴨志田はカイリを見た。奇麗な人だ、姿勢の良さが美しさを引き立てているようだった。


「わたくし、花井勝次さんの担当をしております、看護師の鴨志田と申します。勝次さん、そろったみたいで。お部屋はそのままにした方がいいかと思いまして」

「そろった??」

日本の独特の言い回しだろうか、カイリは聞きなおした。

「何がそろったんですか」

「早く退院したくなる、ビンゴがそろったんです」

鴨志田はカイリに告げると、カイリの荷物をワゴンに積みなおして、一緒に三六一号室に向かった。カイリが病室に着くと、「アベンジャーズみたいだ」と歓喜で溢れかえるかもしれない。


 アベンジャーズ、知らないかな。鴨志田はワゴンを押しながらデジタルタイプの腕時計に目をやった。吉岡の「六人やないか」つぶやきを思いだしていた。カイリがついてきているかチラッと後ろを見る。たしかにえらい偶然だ。消灯まではあと三十分ほどだ。鴨志田は知らぬ間に早足になっていた。

               (おわり)

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六人やないか 西の海へさらり @shiokagen50

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