第19話 襲撃者
絶対に出てこないよう言い含めてレンを〈鳥籠〉の上部へ追いやり、扉の外でマルコは神経を研ぎ澄ませていた。
幅の狭い螺旋階段を上がってくる足音は一つだけ。恐ろしく静かな足運びだ。急を知らせる伝令ならばこのような歩き方はしない。
そのことから複数の推測ができる。
ここにやってこようとしている相手が味方ではないこと、かなりの手練れであること、そしてヴァレリア共和国政府がレンを見捨てたこと。
ニルバド皇国によってレンの身柄を要求されているこの時期に、彼女を葬る必要があるとすればヴァレリア共和国政府以外には考えられない。
むしろこれで何の後腐れもなくニルバド行きを選択できる。マルコはそう前向きに受け止めていた。
もちろんこの先に待ち受けているであろう、刺客との戦闘を無事に切り抜けられればの話だ。
塔の中心には地上から〈鳥籠〉まで太い石柱が貫いている。
その柱へ絡みついている蛇のような夜の螺旋階段は、小さな窓から入ってくる月明かりのみが頼りだ。この日は大きな月が出ていた。
剣の抜き身に月の光が当たらぬよう、位置取りに気を配る。
やってくるのがどれほどの使い手であれ、この場で戦うのなら階下から仕掛けてくるしかない。その時点で相手方が確実に不利なのだ。
上をとっているこちらの優位を最大限に活かすため、彼は動くことなく「待ち」の姿勢を貫く。
遭遇の一瞬、マルコとしてはできればそこで決着をつけたい。
息を殺し、会敵の時を静かに待つ。
しかしマルコの鼻が異臭を捉えた。下から焦げ臭さが漂ってきている。
「──煙か!」
思わず口走ってしまったのち、彼は剣を構える。
まだ姿の見えない相手が混乱した状況に持ち込むのをじっと座視しているわけにはいかない。
待機より即応へ軸足を移し、場合によっては先手を取って斬りかかるつもりだ。
広がった白煙によって前方を視認するのに支障が出ている。マルコは空気の揺れまでも全身で警戒するが、敵の仕掛けはこれで終わらなかった。
立て続けに拳大の石が二つ投げつけられ、〈鳥籠〉付近の静寂はあっけなく壊されてしまう。ともに勢いよく壁に当たって砕け散ったのだ。
マルコが反応し、わずかでも目で追ってしまうのは避けようがなかった。
その瞬間、煙が残る中で一足飛びに距離を詰めてきた剣先を、マルコはすんでのところでかわす。首の皮一枚の差だ。
そのままの流れで相手の剣を跳ね上げるように受け、再び距離をとる。
煙と投石、原始的な二つの手段によってマルコの目論見は外れてしまった。螺旋階段での戦いでこちらがとるであろう対応を相手に読まれていたというわけだ。
ただしマルコにはまだ余裕がある。
「手を焼かせてくれるよ、まったく」
確かに不意を突かれはした。それでもまだ位置関係の優位を覆すには至らず、双方の立場は遭遇前と変わっていない。
ようやく煙が晴れ、刺客がその姿を現す。
体つきからして男なのは間違いなさそうだ。だが無表情を象ったような、目と口だけが描かれている不気味な白い仮面をつけ、顔を隠している。
髪の毛も頭巾で覆っている念の入れようだ。
「一応訊ねておくが、何が目的だ」
マルコの問いに答える代わりに、仮面の刺客は斬撃を見舞ってきた。
どうやら会話に応じるつもりはないらしい。
今度はマルコもしっかりと捌き、自分の得意な距離を保つ。
同様に何度も打ち合っていく内に、マルコはこのまま力ずくで押し切れるという判断に傾いていた。
相手も並の力量ではないが、それだけに位置関係の差が大きく響く。
暗がりに浮かび上がっているような白い仮面の刺客に、もう勝ちの目はない。相手の剣を受けながらそう確信したときだった。
空いているもう片方の手で、仮面の刺客は刃が真っ直ぐなナイフを取り出す。柄こそ丸く太いが、特に何の変哲もないナイフである。
「また小細工か」
隙を突くことだけを狙った、二刀流もどきの攻撃など問題にはならない。
それがマルコの油断だった。
仮面の刺客が柄を握る手に力を込めたかと思うと、驚くべきことに刃が柄を離れて飛びだしてきたのだ。
ばねを使ったからくり仕掛けだったのか、と気づいたときにはもう遅かった。腹部をかばって左手の甲で受けるのが精いっぱいである。
「受けたな」
初めて仮面の刺客が口を開いた。どこかで聞いた覚えのある声だ。
ヴァレリア共和国政府から命令を受けてやってきているのであれば、以前にこの男と会話を交わしたことももしかしたらあったかもしれない。
しかし声の主を記憶の中から探る間もなく、これまで経験したことのない激痛がマルコを襲う。
毒だ、とすぐに理解した。刃に毒が塗られていたらしく、おまけに相当に悪辣な部類だ。あのおもちゃのごときばね仕掛けのナイフは、敵に毒を食らわせるためだけに用意されていたのだ。
会敵当初に二つ続けてきた原始的な小細工、あれがあったせいでナイフへの対処を軽視し誤ったことは否めないだろう。
ただそこからのマルコの判断は早い。
ナイフが刺さったままの左手の手首から先を迷わず剣で斬り落とし、全身に毒が回るのを防いだのだ。
このまま絶命するか左手を失うだけで済ませるか、レンを守りきるためにとるべき行動は自ずと絞られる。
けれども毒への対処で一手遅れてしまったマルコに、次の剣撃を無傷で凌げるだけの時間は残されていなかった。
両眼を切り裂こうと薙ぎ払ってきた刺客の剣を前に、致命傷を避けるべく片目だけを捨てる決断を下した。角度的に捨てるのは右目だ。
ここまで劣勢に追い込まれても、勝ちの目は消えていない。
生きてさえいればまだ戦えるのだから。
◇
レンは〈鳥籠〉の最上部で怯えていた。
普段ならあり得ない煙の匂い、何かが続けざまに壁へぶつかり、そこから断続的に繰り返される剣戟の音。
自分を亡き者にしようと襲ってきた者がいるのはレンにも認識できた。
けれども恐ろしいのはそのことではなく、何が起こっているのかを確かめられないことだ。
「マルコ、無事かな」
じっと祈るように両手の指を絡めて握る。
だがその祈りは、扉を蹴破られる野蛮な音によって途絶えた。
梯子のある中央部の空間からそっと下を覗きこみ、「ひっ」と息を飲みこんだ。
姿を現したのはマルコではない。無感情な白い仮面をつけ、鼻をつく血の匂いを漂わせながら剣の抜き身をぶら下げた輩だ。
くすんだ緑色の頭巾を被って髪の毛さえも隠している。
襲撃者はすぐに梯子の方へと顔を向けた。奇妙な仮面のせいで視線の先がどこかはわからないが、レンは相手と目が合った気がした。
この瞬間、襲撃者が誰なのかを彼女は直感で知る。
慌ててお守り代わりの短剣をつかもうとするが、がたがたと手が震えてなかなか握ることができない。
しかし状況は目まぐるしく入れ替わり、今度は襲撃者が背後から猛然と組みつかれた。
「勝手にその部屋へ入ってんじゃねえよ!」
怒声を発したのは半身を血で赤く染めているマルコだ。
「とどめを刺していかないとは舐めてやがんなあ、おい。片手と片目を奪えば放っておいて問題ないとでも考えたのか? てめえが相手にしてんのは誰だよ!」
普段の彼からは想像もつかないほど荒々しい口調が、かえって今のマルコの苦境を表しているように感じられた。
右目を潰されているのがレンのいる場所からでもはっきりとわかる。さらに左手の先もない。右腕一本と足とで強引に襲撃者を締め上げている。
あまりに凄絶すぎて直視できないほどの光景だ。
襲撃者も逃れようと必死にもがいているが、剣を握っていた利き腕と首とにかけたマルコの右腕には何本も太い血管が浮き出ていた。
「命の遣り取りでなあ、おれに勝てると思ってんじゃねえぞ!」
そう叫びながらマルコが渾身の力を込めている。
何のために、誰のためにここまで身を賭して彼が戦っているのか。もちろんレンを守り抜くためだ。
出会った日の約束を違える気などマルコにはないのだ。
気づけばレンは短剣をしっかりと握り締めていた。
「わたしがやらなきゃ。やらなきゃマルコもわたしも、ここで死ぬんだ」
梯子を使わず、階下へ飛び降りる。
両足に衝撃が伝わってくるがどうということもない。
胸の前ですっと短剣を構え、もつれ合う二人へ静かに歩を進めていく。
依然として襲撃者の首はマルコに絞められたままであり、すでに結構な時間が経過しているはずだ。今、この機を逃すわけにはいかない。
けれども彼女の足は止まった。
「やめろ、あんたの仕事は何だ! 見ることだろうが!」
かすれたマルコの叫びがレンへと深く刺さったからだ。
「手を汚すのはおれの仕事、あんたはそこで見てればいい……!」
彼が鬼気迫る声を上げると同時に、襲撃者の手から剣が滑り落ちた。もう決着が近づいているのだ。
おそらく襲撃者の口からであろう、くぐもったようなうめき声が漏れてくるが、仮面に隠されているせいで表情は見ることができない。
ただ力なく、虚空をつかもうとしていた手の指に金の指輪がはめられているのだけが見えた。
きっとそこには「永遠の愛」と彫られているのだろう。
マルコの言葉通りだ、とレンは痛感した。偽物であれ〈遠見〉である以上、彼の最期をきちんと見届けなければならない。見ることこそがレンの生き様なのだ。
さよなら、ドナート。
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