第10話 未来は今

 レンの興味は初代統領ルージア・スカリエッティの生涯へと広がっていった。

 彼女と旧友の〈遠見〉であるミトとの間に、いったい何があったのか。

 そこでレンは、サラの亡き後も時折様子を見に〈鳥籠〉まで訪れていた将軍フランチェスコへ願い出た。

 ヴァレリア共和国初期に書かれた記録があれば届けてほしい、と。


「わたしもサラに連なる〈遠見〉の端くれとして、ヴァレリアの歴史を知っておかねばなりません。特に初代統領ルージア・スカリエッティ様のことをより深く学びたいと考えているのです」


「心境の変化にしても、また随分と急ですね」


 柄にもない、と訝しげな表情をしたフランチェスコだったが、それでもきちんと手配をしてくれた。

 彼から届けられた最初の歴史書を持参したのが、このとき新たに最上位護衛兵として配属されることとなったドナート・ピエリである。


 印象が定まってしまうまでの期間、きっとドナートはレンが〈遠見〉として活動している姿など、まったくといっていいほど目にしていないだろう。

 千里眼の能力はなくとも、それらしく取り繕うくらいならレンにだってできたにも関わらず。

 そんなことさえ疎かになってしまったのは、想像していた以上にルージア・スカリエッティという人物の生涯が刺激的だったからだ。


 歴史書を読みこみ、〈鑑定〉も並行してやっていく。

 そうやって彼女の人生を知れば知るほど、ルージアにはあらかじめ起こり得る出来事を予測できていたのではないかと思ってしまう。

 さもなければ神がかり的な幸運に恵まれていたか、そのどちらかだ。


 困難に直面したときにこそ、ルージア・スカリエッティは光り輝いた。

 まだヴァレリア建国以前、悪政打破を掲げて人望を集めていた若き指導者は彼女の婚約者エンリコであった。

 そして二人が結婚式を挙げた日、悲劇は起こる。

 式の最中にエンリコが暗殺され、ルージアだけが辛くも難を逃れた。


 しかしここからの彼女の行動は電光石火であった。

 夫をも凌ぐ類い稀な指導力を発揮しエンリコを支持していたいくつもの組織をまとめ、そのまま時流に乗り軍事行動を起こして政権を奪取したのだ。

 あまりにも事が上手く運びすぎているのでは、とレンが疑念を抱いてしまうのも無理はない。

 とはいえ、さすがに大義名分を得るため夫の暗殺を彼女自身が仕組んだという線はなさそうだった。


 他にもルージアにまつわる伝説は枚挙にいとまがない。

 敵国の奇襲を絶好の位置で待ち伏せて大勝し、逆に相手を壊滅的な状況へ追いこんだ戦争があった。

 強権を発動させて大商人の貿易船を出港寸前で差し止め、その後に航海予定だった海域での嵐を避けられたこともあった。

 反乱を計画していた首謀者を事前に捕らえ、最小限の労力で権力基盤をさらに確固たるものとしたこともあった。


 四十年以上もの長きに渡って統領の座にあり、ヴァレリア共和国の舵取りを担ったその手腕は恐るべきものだ。

 死に別れた夫との間にできていた実子はすぐに政界とは無縁の家へ養子に出し、以後一度も会っていない。

 これも考えようによっては、後継問題を未然に防いだとも受け止められる。


 彼女の子供といえるのは唯一、ヴァレリア共和国のみだ。

 その繁栄と存続がすべてに優先し、長く行動を共にし支えてくれていた〈遠見〉のミトであっても扱いは例外にならない。

 建設を急がせた高塔の先端に住まわせ、ヴァレリアを脅かす勢力や事象の監視に従事させることを決断した。


 レンにしてみれば、いかに統領であれそのような態度はあまりに非情であるように思われてしまう。とても共感などできなかった。

 むしろ〈鳥籠〉から飛び降りることによる死を選ぶしかなかったミトへの同情がある。


 ミトの死後もルージア政権は続いていく。

 老いてなお、初代統領ルージア・スカリエッティは絶対的な存在であった。そして常に孤独であった。

 いつでも正しい選択をする彼女に、提言や諫言をする側近など最初から求められていない。

 彼女の決定を素早く実行に移せる事務能力の持ち主だけが必要とされた。


 そしてレンの〈鑑定〉は、とうとうルージアの死の直前に立ち会う。

 彼女の死はヴァレリア共和国史における大きな転換点である。ここを境として、ヴァレリアは統領を中心とする集団指導体制へと移行したからだ。

 良くも悪くも、ルージア・スカリエッティという巨星の存在感は大きすぎた。


 歴史の一頁であるその時を、レンも固唾を飲んで注視する。

 ルージアが亡くなったのは政務中のことだ。

 どうやら個人的にしたためていたらしい日記を閉じ、彼女は執務室で座ったまま目を閉じた。呼吸が激しく不規則になっている。


 明らかに病の兆候なのだろうが、それでもルージアは誰も側に置いていない。

 曲がりなりにも彼女が心を許したといえる相手は、レンの知るかぎりでは結局〈遠見〉のミトだけであった。

 この後、ルージアに待っているのは一人きりでの死だ。


 そんな彼女の虚ろな目線が、どういうわけかその場にいないレンの視線と交錯してしまう。のみならず次の瞬間にははっきりと捉えてきた。

 見られているわけがない、とレンも確信はしていたものの、それでも四十年以上権力の座にあり続けた女の目には尋常ならざる迫力があった。


 ルージアが静かに呟く。


「なるほど、そうやって終わるのか」


 何に納得したのかはわからないが、彼女は小さく頷いている。

 その意図をレンが測りかねているうち、ルージアの言葉は鋭い刃となって投げつけられてきた。


「悲しいな。ヴァレリア共和国最後の〈遠見〉がただの偽物とはね。私が人生のすべてを懸けて築いた美しき共和国は、君という平凡にして理外の存在をきっかけとして崩壊が始まっていくようだ」


 彼女の視線はレンへと向けられたまま外れていない。

 このときのレンを襲ったのはまさしく戦慄であった。

 そんなはずはないのに、明らかにルージアにはレンの姿が見えている。

 だがしかし、なぜ。疑問が頭の中に渦巻いているが、その答えはすぐにルージアの口から発せられた。


「心せよ、偽物の少女よ。君が過去を視るなら、私は未来を視る。これからの君の人生に平穏などあり得ない。自分に翼があると信じるならば、思うがままに飛べ」


 これが初代統領ルージア・スカリエッティの真の遺言であった。

 ただしそのことを知る者はただ一人、違う時の流れを生きるレンのみである。

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