第9話 遍在する記憶

 心身ともに衰弱した状態で、レンはどうにか〈鳥籠〉へと戻ってきた。もちろん護衛兵たちの助けを借りたおかげだ。

 先ほどの〈遠見〉継承式典に関しては、つつがなくとは言えないまでもどうにか乗り切ることができた。と、彼女は考えている。


 ただし大きな失態はあった。

 あの奇妙な、初代統領ルージア・スカリエッティが登場する過去の光景らしきものを目の当たりにして、ほんのわずかな間だが意識を失ってしまっていたのだ。

 気づいたときにはレンの体はフランチェスコの両腕によって支えられており、すぐに彼の弁明が聞こえてきた。


「ご容赦ください、皆様方。サラ様を失い、まだ心の準備も整わぬままこの式典に臨むことになった彼女は極度の緊張状態にあったのでしょう」


「構わぬよ、将軍」


 統領モレスキも鷹揚な態度を見せる。

 ここでようやく、レンもよろめきながら再び立ち上がる。半ばフランチェスコの腕を振り払うようにして。


 そんな経緯があって継承式典を務め終えたレンだったが、最中に気を失った失態よりもむしろその原因となった過去の光景に心を奪われていた。

 あまりにも現実感に満ちており、突発的に見た夢だとはとても思えない。

 そのため、彼女はまず式典で使われた球状の石を疑った。あの石には何らかの力が秘められていたのではないか、と。


 しかしその仮説はあっさりと否定された。

 一人きりの〈鳥籠〉での生活が始まってまだ二日目、いつものようにレンが梯子を使おうとして触れた際、またしても先の式典のときと同じ現象が起こったのだ。


 とはいえ今回現れたのはは初代統領らしき人物ではなく、その隣で無邪気に笑っていた赤毛の女であった。

 舞台はレンにも見慣れた〈鳥籠〉だ。


 ミト様、と護衛兵から声を掛けれているところから察するに、彼女もまたサラやレンと同じく〈遠見〉の任にあった者なのだろう。

 まだ若そうな護衛兵は重ねて呼びかけていた。


「お願いです、ミト様。どうか食事をおとりください。このままではお身体が」


「大事なのはわたしじゃないんでしょう?」


 以前に視た光景での笑顔は微塵もなく、感情の消えた表情でミトが言う。


「ルージアにとって大切なのは、あくまでヴァレリアを守護する〈遠見〉としてのわたし。同等の才能を持つ子が出てきたら、きっとすぐにでも棄てられるはずよ」


「いえ、統領にかぎって決してそのようなことは」


 平身低頭の護衛兵へ、ミトはさらに苛立ちのこもった言葉を投げつけていく。


「じゃあ何、わたしを大切に想っているからこそ、こんなところへ閉じ込めているとでも言うつもり? まるで籠の中の鳥だわ。どこにも飛び立てやしない」


 息を荒げていたミトだったが、少し間を置いてぽつりと呟いた。


「あれほど心が通じ合っているって感じていたのに。信じていたのに」


 どうやら前回に視た光景からある程度の時が経過しているらしい、とレンは推測する。蜜月の仲であった初代統領と〈遠見〉に深い亀裂が生じていた。


 ここからレンは立て続けに様々な光景を目にしていく。

 考えてみれば当然だが、〈鳥籠〉にはこれまでの〈遠見〉たちの記憶が数多く刻まれていた。精神を研ぎ澄ませて何か〈鳥籠〉内の物に触れるたび、レンはその記憶のどれかに巡り合う。


 もう間違いなかった。これはレン自身に宿った異能の力だ。

 そして彼女はこの力を便宜的に〈鑑定〉と名付けた。他者には決して窺い知ることのできない、物に宿った過去の記憶。

 それらを垣間見ることが許されたレンならば、取り立てて特徴のない物であっても真の価値を〈鑑定〉できるからだ。


 サラを失った悲しみを紛らすように、レンは体力の続くかぎりひたすら〈鑑定〉に没頭する日々を送った。

 次から次へ、時は違えど同じ場所で暮らした〈遠見〉たちと出会っていく。


 その数はミトやサラを含めて二十四人。見落としがなかったとしても、現在の統領が十三代目なのと比較すると随分と多い。

 おそらく〈遠見〉はそれほど短命なのだろう。命を削って彼方まで目を光らせ、ヴァレリア共和国の繁栄に尽力してきた人たちなのだ。


 当然ながら、サラの登場する記憶に触れられたときがいちばんうれしい。

 そこには同時にレンもいることがあったが、自分自身の姿を客観的に眺めるというのは想像していた以上に気恥ずかしいものである。


 そしてあるとき、〈鳥籠〉の窓枠へ触れたときにまたミトが現れた。

 おそらく彼女が初代の〈遠見〉であり最も古い記憶となるせいか、ここまでほとんどお目にかかれていない。


 遭遇したのはどうやら緊迫した場面のようだった。

 窓を背にした〈遠見〉のミトと、彼女のためにわざわざ足を運んできたのであろう初代統領ルージアとが向かい合っている。


「今さらわたしなんかに何の御用でしょうか、統領」


 少し年をとり痩せてはいたが、ミトの目だけは強い光を放っている。

 彼女の鋭い視線を受け、統領ルージアは寂しそうに笑った。


「他人行儀な呼び方じゃないか、ミト。今、ここには君と私しかいない。昔のようにルージアと呼んでほしい」


「よくもまあ抜け抜けと……!」


 怒りに満ちた口調でミトがまくし立てていく。


「わたしはあなたにとって何だったの? こんな塔を建て、天辺に閉じ込め、死ぬまでヴァレリアへの奉公を求めて。それでいて『昔のように』ですって? 統領という職責の重さに孤独でも感じた? 古き良き時代が懐かしくなった? 

 はっ、笑わせてくれるじゃない。だったら命令してくれればいい。『たまには私の話し相手になれ』ってね。過去の楽しかったことだけ、一緒に苦難を乗り越えたことだけ、耳に心地よい話だけを延々繰り返せってね!」


 赤い髪とも相まって、レンの目にはまるでミトが燃え盛る火のように映る。激情でもって初代統領ルージアを焼き尽くそうとしている、そんなふうに見えた。


 旧友であるミトの激しい剣幕に気圧されたか、ヴァレリア共和国の最高指導者であるルージアもとっさには言葉が出てこない。


 だがミトの声色は一転して穏やかなものとなる。


「でもね、本当はあなたが来てくれるのをずっと待っていたの」


「ミト……」


 態度が軟化した兆しだと受け取ったルージアが足を前に踏みだす。


「すまない。私も──」


「だって! どうしてもあなたの目の前で飛び立ちたかったから!」


 統領ルージアの言葉を遮ったかと思えば、ミトはいきなり開け放たれた窓から外へと跳んだ。

 レンが最初に見たときとは似ても似つかぬ、歪んだ笑みを浮かべて。


「翼をもがれた鳥だってね、籠の中で死ぬまで生きるよりは最期にもう一度だけでも飛びたいと願うものなのよ」


 それだけを言い残して、彼女はレンの視界からも消えた。

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