第3話 推し疲れと推しへの依存

 推し疲れというと、推しの様々な情報に疲れたり、推しのためにお金を使うのに疲れたり、周りのファンとの問題で疲れるものが主に言われる気がする。


 実際、配信アプリだったりすると、推しのイベント応援のために毎月何万もお金をかけてる人たちがいて、それが毎週続くから疲れてしまった……というのも聞く。


 しかし、推し疲れは他にもあって「推しのことばかり考えて、前と同じ生活が出来なくなった」「好きすぎて疲れた」「推しへの悪い評判も自分のことのように感じてしまい、辛くなってしまう」といったものもある。


 これは推しへの依存が強いのだと思われる。

 ガチ恋もそうなのだが、推し活で問題なのは、この依存度の高さではないかと考えている。


 配信アプリだと自分中心の生活ではなく、推しの配信に合わせた生活をしてしまっている人もいる。

 推しの定時配信に合わせて生活を決めてしまっている人もいるし、不定期配信だと推しが深夜にやれば、次の日に自分が早朝に仕事があっても、寝ないで聞いてしまう人もいる。


 好きすぎて疲れるは、依存が恋のほうに傾いているときにありがちである。

 推しが配信してない時まで、履歴を見たり、SNSを見たりして、推しがどこにいるのか、何を見てるのか、誰と何をしてるのか、チェックしてしまって、おかしくなってしまう人もいる。


 推しへの評判で心を痛める人は、好きなものを否定されているのだから、反応としては普通である。だが、我がことのように辛くなるなら黄色信号と言える。

 推しは他人なのだ。

 配信とメタバースが混ざったようなアプリならば、推しが知り合い、友人くらいまではあるかもしれないが、言葉も交わさないような関係なのに、推しを家族や恋人や親友のように思ってしまって、勝手に一方的な心配をしてしまう人もいる。


 これらは推しへの依存といえる。

 自分が主ではなく、従になってしまい、それで生活が狂ってしまう。

 

 依存は人間関係にはよくあることであり、珍しいことではない。

 ただ、問題なのは繰り返すように、推しは他人なのである。

 こっちの一方的な感情、一方的な行動なのである。相互の人間関係ではないのである。

 

 それなのに推しとの関係を勘違いして、依存をしてしまい「こっちは心配してるのに」「こっちは推しのためにがんばってるのに」と、推しを恨むようなことまで思うようになったら、もう赤信号だ。一度、生活を見直したほうが良い。


 好きな食べものはおいしく食べるものだ。

 好きだけどきついと感じたり、食べるのが義務になっていたら、本当はもうおいしく食べられていないのだ。


 今まで古参として推してきたのにもったいないとか、他の人より一番のファンと思われたいなどに目的が変わってしまっていたら、なおさら、考え直した方がいい。


 何もいきなりすべてをやめろというわけではない。

 最推し1人だったのを他にも推しを増やしてみたり、推しの配信開始通知を切って、自分が暇な時間にいたら見るくらいにするなど、生活に無理のない範囲で推してみるという形に変える方法もある。


 今回の「推しに向ける感情は何なのか」は「依存」という感情だが、ガチ恋や恋愛感情や独占欲に見えるような「依存」もあるので、依存には本人も周囲も注意したほうがいいと思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る