『通し矢』遠的競技、60メートルの先へ
もっこす
通し矢「とおしや」
最初で最後の大舞台の場で、矢が弦から飛び出す始まりの先、その到達までは儚くて。それは和弓から放たれた想いだけが知っている。
明るい年、暗い年。そんなの誰にだってわかりっこないから。だから私は弓を引く。
吐息が白くたって、肌にふれる風が凍てつくように冷たくたって、負けない。だって、遠い先にある丸い的は逃げないから。
大きなテントの下、シャッターのガレージが開いたかのようなこの場所、歴史ある寺院に設けられた仮設の射場。大勢の人達が私と同じように立ち並ぶこの場所で、60メートル先にある的まで届かず、落下していく数々の想いが、まるで矢の雨のように降りそそいでいる。
運試しなんかじゃない。矢を射るのに運なんてない。ただ努力したって結果が実らない事だってあるだけ。
北風のような突風が吹く事だってあるし、その横風に煽られた矢は軌道を変える場合だってある。理不尽な冷たい風。
今日は1月の中旬、天気は晴れてて、新成人が集う日だった。
きらびやかな着物姿は成人した証で、私は白色の着物に身を包んで、今ここに立っている。和弓と矢を握り持っている。
応援してくれる人の声なんて聴こえない。だってこれから射る矢を、的に
足踏みをして、背筋を正して。カチっと音がなり、矢を弦につがえた。体の重心を整え、顔だけを左に向けて視えてくる終着点。そこにはあるから、今の私のゴールが。
顔を正面に戻し、右手を弦に添え弓を構える。丸いボールを抱えるような姿勢。もう一度的を見て、両拳を持ち上げる。
左手を押し開き、右手で引っ張る弦を介して伝わる、自分の心。
私は弓を降ろしながら、右頬に矢を添えた。左手で、弓を的にむけて押して。添えた矢の延長線上に、右手を引っ張る。
ビュンッと吹いた凍える風。結んだ黒いポニーテールが揺れて、露出した左手や、顔に氷を押し付けられたかのように冷たい感触。
そんな冷たい世界にあらがうかのように、私は上半身を傾けるため、腰をきる。徐々に矢の先端が上へと向いていく―――ここだ。
狙う―――傾いた矢筋に、対角線に伸び合う。肌に押し付けられていた冷たい感触は消え、そのレールは敷かれた。
カシュンッと高らかな弦音が鳴って、私の矢は放物線を描くように飛んでいく。
聞こえるはずなんてないのに、冷たい空気をかき分けるような矢風。やがてそれは、吸い込まれるように的の中心へと刺さった。
パァン――――と弾けたような鈍い好音のあとから飛び交った「おぉっ」と聞こえた観客席からの歓声を聴いて。
傾けた身体を水平に戻して、握った両手を腰に添えた。
摺足しで足を閉じたとき、足袋の裏から伝わる木の板は冷たかった。
射場を退場してから、さっきの的に向かって浅い礼をする。大きなテントの下から、隣接するテントの下へと移動した。
用意された弓具の置き場、そこで弓に張った弦を外して弓袋をかぶせる。置いていた矢筒を手に持って、矢が入った専用の箱から、回収してもらった私の矢を矢筒に入れて。冷たい世界からさようなら。
そこから出ると、黃・青・赤と色鮮やかな晴れ着に身を包んだ人達、私はそこへ、小走りで歩み寄る。
みんな華やかな笑い声で、一緒にこの場から歩き始める。
「うはぁ、寒かったね〜。私なんか左手がガチガチになっちゃって、保湿クリーム意味ないよ~」
「それなのによく中てたわね。そうそう、今日的を外した人は、明日からまた居残り稽古だって」
「マジか……つー事はさ、稽古するのはアタシだけぇ!? キィーー、やけ食いだ!!」
とか言って、私達を道連れにする気だ。
だから、私はこう言った。
「ご飯おごってくれるなら、一緒に稽古するよ?」
「はぁ!? なんだよそれ、友達をなんだとおもってんだぁ!!」
「そう、じゃあお寿司にしましょ。講習料はきっちり貰わないとね」
「あはは、じゃあ明日の稽古の後は、回転寿司にレッツらゴーだね!!」
京都の三十三間堂の門をくぐり、ワイワイと騒ぎながら帰路へとつく私達。吐息は白く曇るけど、心は暖かいよ。
今年もみんなと一緒に弓が引けるから。その道中が明るい時もあれば、暗いときだってある。
大学で部活を始めた時は、よく喧嘩してたよね。でも、年をかさねる事に深まっていくこの暖かな気持ちは、卒業というゴールを通り越しても、持ち続けたいな。
もし、時を経て華やかなこの着物の色が、セピア色の思い出になったとしても。この道で歩んだ私の想いは、色褪せないから。
私だけの道。それは矢風を鳴らして想い描いて、みんなと一緒に歩んだ、一つの道になるから。
でも今年は、弓道家としての私なんだけどね。
―Fin―
『通し矢』遠的競技、60メートルの先へ もっこす @gasuya02
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