私は病気じゃない、肉だ、肉として生きているだけなんだ

石田徹弥

私は病気じゃない、肉だ、肉として生きているだけなんだ

 私が病気だってどうしてわかる。

いや、ちがう。他の奴らは私を病気にしたいんだ、病気じゃないといけないんだ。学校のやつらは「人と違うこと」を尊重しているような顔をしているけれど、いざ「人と違うこと」だとわかったらすぐに矯正しようとする。あの臭い口からは嘘ばかりが生まれる。汚くておかしな形をして、それでいて他者を食い殺すような生物が生まれる。けどそれがこの社会を支配している。綺麗で形がいいものたちはすぐに食い殺される。


『三番線ホームに電車がまいります』


 空から降るその声はまるで命令だ。命令なのだ。なぜなら人々はその声を信じ、その声に従って訪れる電車を今か今かと待ちわびる。命令という餌が口に放り込まれれば、雛は育ちきっていない小さな手をバタつかせ、可愛げな声を上げて鳴く。口を開け、命令を待つ。命令を口にする。喜ぶ。その繰り返し。脊髄反射、思考停止、パブロフの犬。


 電車は肉を運ぶ鉄の箱。目的地AからBへ、BからCへと肉が運ばれていく。サラリーマン、主婦、老人、子供、太った人、痩せた人、男、女、それ以外。ただのカテゴリーだ。豚だって産地で名称が変わる。牛も、鳥も。家畜という肉と一緒、それと一緒だ。それと変わらない。つまり我々は肉なのだ。布を身にまとい、各々が各々の意思で行動しているように見えて、実のところ我々は与えられる命令を元に動いているただの肉にすぎない。

 肉だ、肉だ、肉なんだ。私は肉として、生きているだけだ。他人と同じ、肉なんだ。なのにどうして私が病気だと言える。どうして私を病気だって決めつける。私は同じ肉なのに。


ねぇ、お母さん。 


「テストだる」

「ね、ほんと」

「そだ、マックいかね?」

「いいね、天才」

 二人の阿呆が鉄の箱に入り込む。やつらは、肉は肉でも栄養の少ない肉だ。脂身ばかりで旨味のないカスだ。ああなってしまえば病気より酷い。そうでしょう? そうに決まっている。私はカスではない。病気でもないし、決して私はカスではない。

「あれ、那奈じゃん」

「なにしてんの」

 音が耳に入る。音が脳に到達する。脳が揺れる。脳が苦しむ。視界が歪む。喉が渇く。どうしてこの阿呆は私に周波数を合わせたのだ。どうして同じ周波数帯にいるのだ。


「どした、大丈夫?」「学校、ひさしぶりだから疲れちゃった?」

「はい、戻り次第資料をお送りします」「でね、山口さんたら回覧板なくしちゃったって」「ポケモン新作どっちにするよ」「何もしてないなら携帯見せてよ」「え、高尾は逆方面?」「MINAKO結婚すんの?」「帰ったら勉強するのよ」「チェンソーマン映画化だってよ」


 開いてしまったチャンネルから洪水のように肉の音が流れ込む。体が穢れる、犯される。

「あ、ちょっと!」

 駆ける、駆ける。足は動く。撤退ではない、戦略的転進というやつだ。肉にぶつかる、何体も何体も。それでも構わない。これは病気だから? 違う、生理現象だ。チャンネルを開かせたやつが悪いんだ。私は悪くない。病気でもない。病気なのは、私以外の全てだ!


「ばあちゃん、大丈夫?」

「気をつけろよ、那奈!」

 阿呆の肉が何か言っている。古くなった肉を抱き起して。知らない。肉が何をしようと私には関係ない。耳を閉じる。手で閉じる。どうして今日に限ってイヤホンを忘れたんだ。いやいい。関係ない。スマホからブラームスを流す。これじゃだめだ。鯨の声を聞く。だめだ、だめだ。肉の音と鉄の音がうるさ過ぎる。あーあーあーあー!


『四ツ谷ー、四ツ谷ー。お降りの際は……』


 駆けろ、駆けろ! 駆けろ、駆けろ、駆けろ、駆けろ! 動け、動け、音より速く、光より速く。誰も私に追いつけない。誰も私に干渉なんてできないんだ。


「やっぱり学校休みなさい」

 母。

「連絡あったわよ。あまりよくなってないって。お母さん、恥ずかしかった。あんたが大丈夫だって言うから信じたのに。嘘ついたのね。嘘はいけないことなの。ね、明日病院予約したから。しっかり時間をかけて治しましょう。あなたが立派に社会で生きていけるように」

 肉め。



 だから私は生まれ変わりました。お母さんは間違っていました。私はどこも悪くありません。悪くないのだから病気じゃないのです。ではなぜお母さんは私を病気だと言うのでしょう。私は一つの結論に到達しました。お母さんが病気だったのです。だから私はお母さんの治療を始めました。まずは頭を開きます。頭は固いのでまずは割ります。割ると中から桃色の脳みそが出てきます。そうです、そこが悪いのです。だから私はその脳みそをできる限り綺麗にしてあげようとお風呂に入れてあげました。頭を開いたときに私も血で汚れてしまいましたし。お母さんの脳みそと一緒にお風呂に入りました。昔、お母さんは一緒にお風呂に入ると鼻歌を歌ってくれました。ブラームスです。でも今のお母さんには鼻が無いので私がかわりに歌いました。遠くの空に鯨が泳いでいました。鯨は好きです。鯨は誰にも干渉しようとしないので。けど彼らの鳴き声は自然と周波数を合わせてきます。なのにそれが嫌ではないのです。むしろ心地いいのです。だから今度は鯨の鳴き声を真似てお母さんの脳と歌いました。


『三番線ホームに電車が参ります』


 外は相変わらず命令が降り注ぐ。けど今の私はとても気分がいい。ずっと悩んでいた。自分が病気なんじゃないかって。でもそうじゃなかった。病気なのは私以外の全てだ。かわいそうに。病気だと気づかない人々。溢れている。病人がこの世界を満たしている。そうなると病人だらけの社会で私は一人生きていくことになる。それはとても寂しいことだった。

『おさがりください、おさがりください!』

だから私は鯨になることに決めた。

鯨になって、病気の子らを空から癒してあげるのだ。

あぁ、それはなんてハッピーなんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は病気じゃない、肉だ、肉として生きているだけなんだ 石田徹弥 @tetsuyaishida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ