第25話 最後まであきらめない

 嶺鈴は獣のような素早い動作で跳び退くと、剣を拾い、低い姿勢で構えた。

「なおも見下すか! ぶっ殺すっす!」

「構えと身長差よ。誤解しないで」

「天然は続けさせない!」

 ジグザグの踏み込みに後続して、土埃が上がる。

「速いか」

 狼のように周囲を駆け回る嶺鈴の動きに、夕子は思わず素の口調で呟いた。身体能力の上昇に加え、不完全ながらも剛歩を用いているのであろう。分身使い相手に土埃で視界が塞がっては不利となる。そう判断して夕子は風上の芝へと跳躍した。追い縋って飛び出した嶺鈴が剣を振りかざす。応じるべく夕子が空中で剣を構えたその瞬間、嶺鈴の姿がばらけた。

鍛冶ヶ幻狼かじがげんろう

「残像?」

「じゃなぁいっ!」

 瞬時に八人に分身し、それぞれが異なった動きをした。八つの同時斬撃である。致命傷となる斬線を絡め取りつつ切り抜ける。切り込んだ感覚が軽い。切り込まれた感覚も、一つを除いて同様であった。


 拍車制動で芝地を削り、スケートのように回転しながら着地する。肩がじわりと血で滲む。実体の剣に、皮一枚で反応できなければ危うかった。横回転は刃の勢いを殺すべく空中で身をひねった、その慣性である。分身は霧散していた。

「今のは……質量を伴う幻影というものかしら」

「いちいち解説してやるとでも?」

 千疋狼は妖怪系能力であり、妖怪系能力者は単一系能力者と違い、覚醒すると能力のバリエーションが増えるとされている。有名な例としては叡子学長が挙げられ、夕子の知るだけでも、攻撃、治癒、結界、契約と、多彩な能力を彼女は持っている。

 鍛冶ヶ幻狼とは、三次覚醒で手に入れた新能力であろう。その名通り、幻惑特化の分身と思われる。推察するに元の千疋狼とは異なり、完全な実体は本体だけで、分身には気配と物理現象を一時的に誤魔化すだけの存在質量しか付与されていない。殴れば消えるが、殴られねば消えないといった塩梅の分身である。先ほど剣で分身を斬った際は僅かな手応えとともにすり抜けて、こちらが分身に斬られた部分はウレタン剣で小突かれた程度の衝撃しかなかった。攻撃の本命はあくまで本体であり、手数、攻撃力そのものが増えるわけではない。とはいえ現実にRPGゲームのようなHPがあるわけでもなし、人間は一度急所を切り込まれれば死ぬのである。発動速度も一瞬である。斬り合いの瞬間だけ幻惑すると考えれば、隙を突き合う一対一の近接戦において非常に強力な能力といえる。その無駄の無さ故に、千疋狼と比べて代償も少ないに違いない。

「良い能力ね。いってしまえば、千疋狼のエコ版かしら」

「一合いで見透かしたつもりになって、ババアみたいな貧乏臭い例えで苛つかせるのか? あたしはエコって言葉が嫌いなんすよ、エコキャップとかさァ!」

 三次覚醒の高揚感で怒りの沸点がおかしくなっているのもあるが、そもそも夕子のあらゆる言動が気に食わないのであろう。今の嶺鈴の精神状態は、酒癖で本音を剥き出しにしたようなものといえる。

「嫌われたものね」

「殺す相手が憎いのは当たり前のことだろうに! 相も変わらず自若を気取る! 今は命乞いのターンっすよ!」

 嶺鈴が足場を爆ぜさせ突撃する。見え見えの真っ向からの大振りであるが、先ほどと同様に、直前になって分身して同時斬撃と化す。

「鍛冶ヶ幻狼四方剣!」

 上下左右の斬撃を、後退しつつ切り払う。

「鍛冶ヶ幻狼八方剣!」

 八つの斬撃のうち、胴切りを咄嗟に柄受けする。剣が重い。腕力が格段に上昇している。

八八六十はっぱろくじゅう四方剣!」

 分身が分身を生み、視界いっぱいが嶺鈴で埋め尽くされた。六十三本の幻影の剣で貫かれながら、剣を担ぐように巻き太刀して、斜め後方からの突きを弾く。

「鍛冶ヶ幻狼六四――とにかくたくさんいっぱい剣!」

 狭い空間に百人以上現れたせいで、もはや分身同士が重なっている。ここまで数が増えると攻撃に参加せず、あっかんべーやおしりぺんぺんやざぁこざぁこやべーろべろべろばぁーと遊んで挑発する分身も出てくる。横薙ぎに分身を振り払うが、そこに実体の剣はない。本体は挑発組に参加していた。


 傍目からは、群れとなった嶺鈴が一方的に攻め立て、夕子が辛うじて防ぎ続けているように見えたろう。

「防戦一方っすね! 鍛冶ヶ幻狼は連発できるのさ! しかも追加分身できる! 今のあたしはあねさんにだって勝てる!」

「……あなたが言うならそうかもね」

「だよなぁ! そんであんたの次は姉さんだ! この新たなパワーでリベンジをして、一年筆頭には今度こそあたしがなってやる。学級委員長は大変すから、恩返しってやつよ!」

「でも私には相性が悪い」

 夕子は分身の群れの中へ脇構えのまま無防備に突入すると、嶺鈴本体の剣をその身体ごとはね上げた。

「なにっ!?」

 空中に弾き出された嶺鈴は宙返りして体勢を整える。剣を振り切った夕子がこちらを見つめている。相変わらず睫毛が長い。

 そういえば、と、宙に浮いて加速した思考で嶺鈴は思った。先ほどの言い合いの最中も、ちょくちょく夕子と目が合うのを感じていた。嶺鈴は戦闘中はなるべく相手と目を合わさないよう努めている。霧子から習った仕方である。せっかく分身能力があるのだから、一対一での読み合いを避けるのは無難であるという理由である。夕子の場合はそれとは逆で、積極的に目を合わせてくる。霧子もそうであるが嶺鈴のような喧嘩殺法でない真っ当な剣術を修めているだけあって、読み合いとなっても勝てるという自負があるのだろう。妬ましい。己の美貌にも自信があるに違いない。

 今も月長石のようなアルビノの瞳を見せつけるかのようにこちらを、嶺鈴本体を真っ直ぐ見つめてくる。それが嶺鈴を苛立たせる。なんせ決闘開始からずっとそれが続いているのである。ふと気付いた。なぜ目が合う。嶺鈴は反射的に分身を出しながら後退していた。


 本体に向かって踏み込む夕子の前に、斬りかかる分身と剣を振り回して視界を塞ぐ分身、本体と入れ替わり、囮となって逃げ出す分身たちが現れる。しかしいずれも無視された。夕子は無防備に剣を受け入れ、人の壁を突っ切り、囮には目もくれず、真っ直ぐに嶺鈴本体に剣を振るう。そして再び、嶺鈴は分身の群れから弾き出された。

 トラックに撥ねられたように勢いよく地べたに転がり、受け身を取って駆け出しながら、

「まさか、そんなはずはない!」

 分身をばらまきつつ機動剣術に持ち込んでかく乱を試みる。ここは森に囲まれ、倒木などの障害物もある。夕子も授業で見せたあの馬鹿げた最高速度は出せまい。この程度の広さでの機動剣術ならむしろ、小柄な分小回りの効く嶺鈴の方が有利であろう。けれどもそれは、無駄な立ち回りが多い場合の話である。

 目まぐるしく駆け回る嶺鈴に対し、夕子は嶺鈴本体を見据えたまま、着地際を狙って無駄の無い動線で剣を打ち込んだ。


 嶺鈴は幾度となく弾き飛ばされた。機動剣術の弱点がもろに出た。技量差もそうであるが、冷静さを欠いた機動剣術は、通常の立ち合いの仕方で十分対処可能である。嶺鈴は直接的な手傷は辛うじて防いでいるが、全身にダメージと疲労が重なり、神威も乱れ始めている。一方夕子のほうは呼吸を整え、清涼な神気を湛えている。覚醒直後のようなアドバンテージはもはや無い。嶺鈴は戦術を誤ったのである。

 そうしてとうとう、受け太刀したはいいが踏ん張れず、また勢いも殺せず、嶺鈴は木の幹に激しく背を打ち付けた。木が折れるほどではない。人間ならともかく、姫騎士にとっては左程の勢いでもない。にもかかわらず嶺鈴はその反動で胃液を吐き、ぜいぜいと喘ぎながら、起き上がるにもひとまずは剣を杖にせねばならなかった。

「くっ……」

 意識して神気で身体を満たして立ち直ると、今の自分の状態と全く同じ分身を出しながら身構える。またもや夕子と目が合った。

「言ったでしょう。相性が悪いと」

「まさか……、わかっているのか? 本体が」

 夕子は無言で、鞘から小柄を抜いて投擲した。日頃は鉛筆削りに使われる付属品で、姫学学生のお洒落ポイントの一つである。レース柄のそれは左右の分身ではなく、本体の足元に突き立った。直接狙わなかったのは芽亜の私物であるのを考慮したのであろう。弾かれて痛んだりしたら恨まれるし、実際に芽亜も投擲の瞬間には「あっ」と声を上げていた。

 そんなふうに思考が逸れるのは、ある種の逃避かもしれなかった。

「……あたしの分身は完璧だ。姉さんにだってわからなかったはずだ」

「けれど私にはわかる」

 夕子が嶺鈴本体に向けて切っ先を突きつける。

「なぜだ。どうしてわかった。能力っすか?」

「いちいち解説してあげるとでも」

 夕子は先だっての嶺鈴と同じ言葉を返してお茶を濁した。


 夕子が目を凝らすと瞳から艶が失せ、幾本かの光の筋がそこに映る。その視界の中では嶺鈴本体から糸のような線が伸びて、分身へと繋がって見えた。因果の糸、因果の眼と呼ばれるこれは、第六感より高次の第七感を特殊な訓練によって視覚化したものである。姫騎士の能力ではない。真理谷家の人間の特殊体質といえる異能であり、日常で無闇に使うべきでないどころか、本来なら秘匿すべきものであった。

 とはいえ使わないまま敗死しては意味がない。芽亜のいうところの抱え落ちというものである。第五訓練場で矢文を見た時点で眼を使うことを決め、決闘開始の時には既に、目の前の嶺鈴が能力による分身であると見抜いていた。その場にいない本体の居所も因果の糸の伸びる方角からわかっていて、分身が複数いたため三角測量の要領でおおよその位置にも見当をつけていた。つまり、嶺鈴の能力は正面戦闘ではなくかく乱を目的とした場合、元から相性が悪かったのである。

 母と関わりのあった白鷺先生は真理谷家の因果の眼のことを知っていたのであろう。最初の集団戦で嶺鈴が押し切れなかった時点で「詰みザマス」と見なしていた。

 ちなみに二度目の闘いの際、分身からのフィードバックによる表情の変化で本体を見抜く、という過程を挟んだのは、この因果の眼の存在を誤魔化すためであった。しかしその後は奥義の解禁とともに、詳細は教えずとも隠さず使うことにした。隠す余裕がなくなった。弥彦嶺鈴は、それほどの強敵であったということである。


 そして今現在、始めから本体を見抜かれていたという考えに、嶺鈴も思い当たっていた。理屈は不明であるが、夕子は分身と本体を区別できる。

 逆転のために覚醒した新能力こそが、むしろ通用しなかった。覚醒前は技量でも身体能力でも圧倒され、覚醒でパワーアップしても未だ力負けしている。機動剣術で幾度も攻撃を弾かれてわかってしまった。しかも覚醒の代償か、むしろ覚醒自体が灯滅せんとして火を増すこととでもいうべきなのか、神威が急速に乱れるとともに衰えだしている。水を差されたかのように冷めたその理性が、もはや勝ち筋は消え失せたと結論を告げている。戦力差というものを、いよいよもってわからされてしまったのである。

「クソッ、畜生……」

 夕子が半身となり、逆手持ちの剣の刀身に爪を添えた。覚醒前に散々見せつけられた伝痛蝗哭でんつうこうこくの構えである。

「潰れた指が再生しきるのに一晩、およそ十二時間後」

 血染めでない、最後に残った薬指の爪が刀身を軽く弾いた。

「それまでは私自身が望もうと、決して、絶対に治療できない。そしてこの決闘に制限時間はない。夜は長い。徹夜になるかもしれない。けれど、最後まで責任をもって見届ける覚悟はあるわ。地獄を見せると言ったのだもの」

 その地獄を味わったからこそわかる。もうあんなのはいやだ。耐えられない。二度目だからこそ、その恐怖はいや増している。そうして今の自分では、戦意を挫かれた自分では、あの地獄に再び叩き込まれたなら、いずれは自死を選ぶだろう。十二時間どころか十二秒ともたないかもしれない。先ほどのような御都合主義めいた覚醒も、もはや期待できない。

「もう一度覚醒してくれると嬉しいわね。強敵との闘いは望むところよ」

 とんでもないサディストだと嶺鈴は思った。芽亜もクラスメイトもこんな女のどこがいいのか、いくら見た目は綺麗でも、トリカブト毒花のような女である。多少抜けていたり欠点があったりする分、霧子のほうがずっと良い。しかしそのような思考を巡らすこと自体、嶺鈴が諦めてしまったことの証左であった。

「最後の問いよ。拒否すれば、即座に伝痛蝗哭を打ち込む。弥彦嶺鈴さん、この決闘での敗北を、あなたは認めるかしら?」

 歯を食いしばり、ぎゅっと目を瞑る。そうして暫しの沈黙の後、嶺鈴は剣を手にしたまま、膝を突いた。

「……める」

「聞こえないわ」

「認める。この決闘はあたしの負けだと、認める」

 俯いたまま、はっきりと告げた。

「それまで! 双方剣を納めるザマス!」

 白鷺先生が叫んでいた。いつの間にやら跳躍し、二人の間に大げさな所作で着地したのである。


 嶺鈴との決闘もこれでようやく終わりかと、夕子は息を静かに吐いた。とはいえデュエルオフィサーである白鷺先生がはっきりと勝敗を口にするまでは油断できない。

「もう残心はよろしいザマス。真理谷夕子はさっさと剣を納めるザマス」

 一応、言われた通りに納剣する。敗北者となった嶺鈴を観察する。膝を突いた姿勢が崩れていわゆる女の子座りになり、剣を力なく持ったまま、俯いていた。見ていると膝の間にぽつりぽつりと雫が落ち、膝の間の手元を濡らし始めた。

「うっ……うぇぇ……ぐすっ……」

 負けて悔しいとでもいうような嗚咽の音が漏れる。あの嶺鈴が少女らしく涙を流す。戦闘中とは打って変わった女々しさに訝しむが、子供の頃の姉なんかも、泣き出すときは突飛さがあった。それが女性というものかもしれない。

「乙女の涙をじろじろ見るのは不躾ザマス。嬲りたくないなら背を向ける。それが勝者の慈悲ザマス」

 もっともではあった。白鷺先生が自然な動作で夕子の肩に触れて、身体ごと後ろを向かせる。彼女にしては珍しいボディタッチである。嶺鈴の姿が視界から外れ、しっかり向き直らせるかのように両肩に手を置いた。

 殺気を感じたのはその瞬間であった。


 嶺鈴はたしかに諦め、認めていた。涙を流すのは本心からである。力の及ばない己の不甲斐なさを嘆き悲しんだ。そこに演技はない。しかし認めたのは敗北ではない。己が卑怯者になることを認めたのである。悔し涙を散らしながら、怨敵の無防備な背中へと剣を腰だめに突進していた。


 やられた、と夕子は内心で叫んだ。そこまでやるのか、そこまでやれるのか、そこまで織り込んでいたのかと、戦略的敗北を悟っていた。

 白鷺先生に両肩をつかまれた全身が強張って動かない。点穴術の類いであろうが、それに気付ければ神経の使い方を切り替えれば問題ない。すぐさま身体に力が入る。が、それでも動けない。

(まさか? 物理的な拘束?)

 呼吸ができなくなっていることでわかった。白鷺先生は夕子の周囲の空気を神気強化して、コンクリートのごとく固めているのである。夕子たちが剛歩で地面にするそれを、空気に対して施した。すさまじい神威と技量である。

 デュエルオフィサーとしての白鷺先生が嶺鈴寄りなのはわかっていたつもりであったが、これほど協力的であるとは思いも寄らなかった。明確な油断である。なんでもありならここまでやれると、考えが及ばなかった夕子の失態である。嶺鈴が泣き出して油断を誘えば、白鷺先生がはっきりと勝敗を告げないまま、一般論とともにさりげない仕草で夕子を拘束する。そこを嶺鈴が刺す。配信停止の件と同様に、いざ直接戦闘で敗北したときのため、示し合わせていたのである。

 とはいえ嶺鈴のやり口は勝ちに徹するにしても常軌を逸している。孫子曰く勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求める、としばしば嘯かれるが、それはやる側の理屈であり、やられる側にとってはたまったものではない。名誉なき勝利は勝利ではない。人間を猿と見下すからには、姫騎士はけだもの以下に堕ちてはならない。だからこそ、姫騎士学園の学生は孫子とともに闘戦経を学ぶのである。


 嶺鈴を卑劣な勝利者にするわけにはいかない。幸い、身体強化自体に問題はない。神気を背中に集束して内臓に届く前に刃を止める。強化の弱い脇腹を狙われたら非常に困るが、ぎりぎり致命傷とまではいかないであろうから、一か八かとしては気安いほうといえる。いずれにしても嶺鈴の剣を通すため、先生は空気強化の拘束を解くであろう。動けるようになったら今度こそ叩きのめし、こちらの勝利を宣言し、宣言させる。自分が勝者となったうえで敗者を許す。嶺鈴の名誉を守るにはそれしかない。

「死ねぃ! 真理谷夕子ぉぉお!」

 凶刃が触れるか否かのその刹那である。冷たい声が響き渡った。

「――死ぬのは貴女よ」

「ぉがっ!?」

 弧を描く白い閃光が顔の横をかすめた。


 拘束が解ける。ややふらつきながら嶺鈴へと向き直る。剣を取り落とし、斬られたのであろう激しく血を流す肩口を押さえながら、嶺鈴は横を向いていた。その表情は絶望に歪んでいた。彼女の視線を辿るように、声の主へと目を向ける。霧子であった。袖に包まれた手をかざした一年筆頭八剣霧子が、静かな足取りで進み出ていた。

 無手であるが腰の鞘にも剣はない。浮遊剣として振るわれたのである。嶺鈴を切り裂いたそれは、間もなく戻って霧子の傍らに滞空した。

「なん、で……あね、さん……?」

 能面面で霧子が告げた。

「往生際が悪すぎる。引導を渡しに来たわ」

 嶺鈴がよろめいて膝を折り、涙を流したままの目で見上げる。

「でもあたし……いもうと」

「もう妹じゃない。恥知らずの野良犬よ」

 霧子が手を突き出すと、浮遊剣の切っ先もそれと同一方向、嶺鈴に向いた。垂れた袖がゆらりと揺れる。嫌な予感に、夕子は叫んだ。

「止せ!」

 浮遊剣が嶺鈴へと向けて加速する。姉妹殺しである。しかしまた、加速する一瞬前に、夕子も投剣を済ませていた。叫ぶのと同時で、身体が直感に従ったのである。霧子の浮遊剣は、その軌道に割り込むよう回転投擲された夕子の剣に防がれるかに見えた。が、霧子が袖を翻すと宙返りしてそれを避け、運動エネルギーを失わないまま、元の軌道へ飛び続けた。霧子は妨害を考慮していた。そこには確かな殺意があった。

「死になさい。この、役立たず」

「あがっ――」

 剣は嶺鈴の胴体に突き刺さり、鍔でつかえて貫通しきらず、そのまま彼女の身体を背後の木へと、串刺しの形で打ち付けた。モズの速贄や昆虫標本のごとくである。

 木の幹に、ゆっくりと樹液のように血が垂れる。命の灯火より先に精神が死んだのか、嶺鈴の目から光が失せた。

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