第11話 機動剣術試験 下

 90分授業の残り時間も様々なトラブルで時間を食ったことで、わ行の生徒の試験が終わる頃には五分ほどになっていた。

 夕子がスタート位置に着くより先に、ザマ先が告げた。

「真理谷夕子、目標『99』」

 しんとなった。あり得ない数である。『43』の嶺鈴と『72』の霧子とでも動きの次元が違うというのに、さらにそこからもう一段階上回れという。全目標、つまり打ち廻りコースを一周して逆方向にもう一週で、ほぼ二周分、約6000メートルを一分で駆け抜けろということになる。秒間100メートル、100メートル十秒の陸上選手の十倍速といえば超人である姫騎士には案外できそうに感じるが、これは打ち廻りである。100メートル走のように同一方向に進むのではなく、目標を打つたびに減速したり止まったりしながら、あっち行ったりこっち行ったりと複雑なコースを行かねばならない。

 不可能だと嶺鈴たちは思った。『72』を成し遂げた霧子の時点でほぼ最良最速、打ち廻りにおける姫騎士の限界点というものが見えてしまっている。大負けに負けて高く、夕子の身体能力を霧子と同等と見積もったとしても、同等でしかないからこそ、『99』は不可能である。

「トリザマス。これまでの見学のおかげで一番有利に挑めるからには、難易度も一番きつくなるべきザマス」

 それにしたって最大値の『99』とは、難易度を上げすぎている。

「が、アタクシは優しいので真理谷夕子には選ばせてやるザマス。始めに言った『99』、もしくは八剣霧子と同じ『72』。いずれにしても不合格なら補習ザマス」

 やはり、今のはザマ先流の意地悪であったらしい。

「アタクシとしてはどちらでもかまわんザマス。まあ『72』程度なら楽々クリアできるでしょうし、同じ数値同士でタイム比べも捗るザマス。雑魚メス同士ドングリの背比べでお互いに良かった探しでもするがいい。ただ褒め合うのは楽しいもんな、ザマス」

 挑発である。生徒の何人かは「乗るなユーコ! 戻れ!」という顔をして、嶺鈴の隣にいる芽亜なんかは両手を胸の前で握って「頑張ってお姉様。同じ敗北者になろう?」と言いたげな顔をしている。補習の道連れが欲しいらしい。

 夕子がふと、こちらを流し目に見て微笑んだ。自分にかと一瞬思ったがそうではない。弁解するように首をふるふるしている芽亜も違う。あの女が意識して、意識されるのは八剣霧子ただ一人である。霧子の横顔が頷いた。

「試験であるからには白鷺先生、私にはできると判断して下さったと見てよろしいのですね」

「姫学教師は神様ザマス。神は無謬ザマス。我が国の官僚と同じで間違わないということザマス」

 つまりお排泄クソブラックということだろう。しかしその迂遠な物言いを無茶振りという意味にとれなかったのか、

「ならばやります。始めの条件で」

 そう言って、夕子は神威を開放した。


 嶺鈴の肌が粟立つ。威圧は乗っていない。清澄にも清澄な、神社を思わせる神気である。にもかかわらず嶺鈴の身体がそう反応したのは、彼女が夕子に敵意を抱いているからであろう。ただ解き放っただけの無色の神威とは鏡のようなもので、半神である姫騎士らしく信仰を反映するとでもいうのか、対象への想いに応じて色づけられて印象される。見れば芽亜は口を半開きに見蕩れていて、霧子はというと武者震いして口元を笑みの形に歪め、不敵であるとともにそこはかとない艶めかしさが感じられた。

 開放された神威は夕子の身体を物理的のみならず美的にも強化して、無論錯覚に違いないが、その姿は光り輝いて見えた。

「なんとお白くお美しい」

「うぉっまぶしっ、ですの」

「つよそう」

「無敗で春天宝塚秋天JC有馬GⅡ三つ行けそうですの」

 粉雪に似た微細な光の流れ落ちる白髪を揺らしながら、夕子がスタート地点に足を進める。帯びた神気が存在感を強化して、生徒の大多数はその静かな足取りに聖人が水面を歩むような玄妙さを感じている様子である。けれども嶺鈴の感覚では今の夕子の歩きには「ギュピ、ギュピ」とか「ブッピガン」といった物騒な効果音がついている。あの強大な神威から繰り出されるゴリゴリにゴリラめいた腕力を、彼女らは想像できないのであろう。彼女らと違って嶺鈴は知っている。霧子が神威を全開にした一撃で、構えた武器ごと自負心を砕かれた経験がある。

「フライングお漏らしは見逃すザマス」

 最後は手ずから合図しようというのか、ザマ先がスターターピストルを構えた。


 破裂音が木霊した。夕子の足下がその強靭な脚力により爆発する、とはならなかった。滓のような土くれがわずかに散ったくらいである。気に入らない。

「スタートダッシュにまでお上品を気取って……!」

「いいえ速い。踏み込みは甘くない」

 霧子の言った通り、夕子の加速は速かった。それこそ霧子の倍以上はある。なのに土煙が極端に少ない。霧子が頷く。

「なるほど、そういうことね」

「どういうこと?」

 芽亜が敬語を忘れて尋ねると、横合いから、

「おそらく強化したんですの。踏み込んだ足場ごと」

「四方院さん?」

 なぜか卍姫が会話に加わった。芽亜はどうしてここにと言いたげに友達甲斐のない顔をしたが、大方、寂しくなってこっちに寄って来たのであろう。卍姫と芽亜は先日の演習をきっかけに打ち解けたのか、この頃よく話しているのを見かける。

「接地と同時に強化範囲を拡張、地面を固く強化して反発力を増したのよ」

 全力で踏み込むとアスファルトに罅が入る姫騎士にしてみれば、グラウンドの土は脆く頼りない足場といえる。それを夕子は拡張強化で解消した。他の生徒が砂浜をあくせく走っていたとするなら、今の夕子は陸上トラックを駆け抜けているのに等しい。

「剣みたいに地面を強化するなんて、走りながらのそんな一瞬でできるものなの?」

「理論上は可能ですの」

「神気操作の練度が要るわね」

 剣などの武器の強化を教わる際、始めのころは強化範囲を色つきの粘土に見立てて伸ばすように、あるいは神気を染み渡らせるようにと助言される。けれどもこれらはあくまで物質的な力のオーラに例えるのが初心者には強化しやすいからであって、強化における神気の本質は個体や液体、ましてや気体でもない。感覚としては色そのものに近い。ペイントソフトのバケツ塗りを想像するとわかりやすい。効果範囲がきちんと指定されていれば、一瞬で望む色に切り替わる。そこにタイムラグはほぼ無い。そして初心者の場合は輪郭線に隙間があって色漏れするから筆で少しずつ塗り潰すやり方となるので、あえて色つきの粘土などに例えられるのである。嶺鈴も未だ、この段階で足踏みしている。

剛歩ごうほという歩法としての呼び名もあるわ」

 知識量もやはり霧子が上であったが、四方院さまのくせしてなにを張り合っているとまでは思わない。死にかけて己の無知を悔いたのか最近の彼女は図書室に通い詰めていて、霧子の解説に口を挟めたのもその努力の成果に違いない。

 知は力である。法律は法律を知っている者の味方であり、法治国家の日本における最強の武器は六法全書であると、嶺鈴は尊敬する父にそう言い聞かされて育った。幼いころは分厚いそれを頼もしい武器だと真に受けて、常に持ち歩いていたほどである。そうして実際、父を狙い突っ込んできた自動車を六法全書の一撃で粉砕した。父の言うことは正しかった。まさしく知とはパワーであり、それを身につけようとしている卍姫のことは、嶺鈴より弱いので見下しはしても、侮ることはできなかった。

「剛歩で速度は確保した。問題は」

「打撃のたびにどうしても伴う減速と、コース取りですの」

 他にはどのような小賢しい手段をとるのか、夕子の繰り出す次の手に注目する。既に一分近く会話に費やしたというのは気のせいである。少し不思議な解説にはよくあることだ。夕子の試験はまだ始まったばかりである。



 卍姫のやり方を観察できたのは僥倖であった。彼女の無減速突撃は実戦では危なっかしくて使えないであろうが、打ち廻りでタイムを出すという意味では最適解の一つである。全開で加速し続ける以上、歩幅などいちいち調整していられない。一分間に約200目標、一目標あたりの所要時間は0.3秒、その間の重力による落下距離は40センチぽっちである。霧子以上に、もはや重力はほぼないものとして考える。せいぜいコンクリート柱以上の高さに飛び上がらないためのセーフティでしかない。

 夕子は飛んだ。それはストライドというよりも、始めの一歩で最高速に達さんといわんばかりの、幅跳び染みた踏み込みである。走るのではなく地面すれすれに飛行する。推進力の確保以外を目的とした接地は避ける。剛歩は加速力の限界を無くすがその分消耗が激しく、踏み込みの回数を可能な限り少なくするのは理にかなう。

 打撃の際の反動と方向転換をどうするかは発想を転換する。空中で反動をダイレクトに受けるというなら、それをそのまま推進力に用いればいい。ごちゃごちゃ動いて跳ね回る人型ではなく、単純なビリヤードの玉と己を見立てる。瞬時に迫り来る目標を前に、剣を構えて整えた。例によって蜻蛉の構えである。剣体一致には、これが一番いい。やはり先人の知恵というのは素晴らしい。それは突きでも斬りでもなく、丹田ハラによって振るわれる突進そのものの剣といえる。そして右蜻蛉左蜻蛉の振りの違いはビリヤードの玉の回転であり、方向転換の調整に利用される。

 打つ瞬間、剛歩と同じ要領でコンクリートを強化した。破壊しないためもあるが反発力の確保である。打った反動によって夕子は地に足をつけぬまま、次の目標へと飛翔した。慣性により身体の動きに一拍遅れて靡いた髪が、純白の翼のように広がった。



 卍姫が叫んだ。

「パクリでしてよ! わたくしの!」

「ユウは貴女のように雑じゃない。ほら見て、完璧な打ち込みのおかげか崩れがない。第一、彼女は接地していないでしょう?」

「たしかにそうですの。すごい」

 ただ否定するのではなく一々説明してあげる霧子と何彼につけ素直すぎる卍姫である。その二人の間で交わされる会話には独特な間というか、どうも口を挟みづらい空気があった。

「しかし蜻蛉ね……姫騎士も人間も、行きつく先は同じだということかしら」

「チェストの構えですの?」

「ええ。私たちがしている打ち廻り訓練、その大元の流派の構えでもあるわ」

 霧子は実際に樹脂剣を構えて見せた。肘を曲げず、天を衝くような独特の構えである。その構えの天を地へとねじ伏せんばかりの雄々しさは霧子にはあまり似合わないように思われたが、卍姫は嶺鈴と違い、「ほえー」と素直に感心していた。

「ポイントは腕を固定すること。左拳を右肘に密着させて離さない」

「振りづらくありませんこと? がっくんがっくんしますの」

 真似て構えた卍姫が剣を上半身ごと振り回す。

「腕ではなく、足腰を沈めることで剣を振るのよ。野太刀を使う流派だから、人間はそうでもしないと振れないわ。ユウの体勢が崩れないのはこの構えで固めているおかげね。それにしっかりと物打ちで打っているから、剣の振動による身体のぶれも無い」

 物打ちとは切っ先三寸のあれであろう。速度が乗るからとか一番切れやすいからとか、そういった理由からやかましく推奨される打ち所であるが、なぜここで振動の話が出るのかわからなかった。卍姫と芽亜も同じ疑問を抱いたのか同時に首をかしげている。

 霧子は三人の顔を見て呆気にとられ、「貴女たち……」と深々と溜め息を吐いた。

「貴女たちも一応剣士なのだから、っと、授業でまだしていないから仕方ないわね」

 霧子が樹脂剣の刀身を順々に叩いて見せる。切っ先を叩くとぐわんぐわんと振動し、刀身の真ん中あたりと叩くと同様に振動した。しかし物打ちの箇所を叩くと、鈍い音が響くばかりで刀身はまったく揺れなかった。

「色々と理屈はあるし私もまだ理解しきっていないけれど、ようは芯で捉えるということ。そこで打てば振動が最小で済み、威力も出るということなの」

「つまり野球のジャストミートとか、ゴルフのライジングなインパクトってことっすね」

 嶺鈴の例えの前半には卍姫が、後半には芽亜がなるほどと頷いた。

「四方院さんや佳奈花さんが剣をひっかけて体勢を崩したのは、物打ちを大きく外したのも原因よ。そうなったときは手が痺れていたでしょう?」

 卍姫が「ですの」と頷くと、四人は再び、夕子の試験に集中する。ちょうど『70』から『90』の難所に差し掛かったところであった。そこは目標間距離が小刻みに変化するうえ、目標同士が近い距離に林立する箇所もいくつかある。

 見たところ夕子の挙動にミスはない。林立地帯に入っても、釘に弾かれるパチンコ玉のように目まぐるしく前後左右に弾かれたと思えば抜けている。文字通りの一足一刀とでもいうのか、目標から目標へと、飛石伝いに速度を維持して進んでいる。小癪であった。

「……おかしい」

 と霧子が呟く。

「足が伸びすぎている」

 モデル体型なのは認めるがそれは霧子も一緒である。ちみっこの自分や芽亜なんかと違って妬む必要は無いはずだ。

「どう考えても一歩では足りない。なのに届いている? 空を飛んでいるとでもいうの?」

 あいつ頭がぶっ飛んでいやがると、あのパンクな髪色を揶揄しているのではなさそうである。

「あの飛距離は、滑空しているのよ。確実に。ありえないわ。天使でもあるまいに、人間には翼は無いのよ?」

 頭天使ちゃんという意味ではなく、物理的な現象を指している。いわれてみれば、夕子はところどころ、殊に長距離目標の際、空中を滑って、飛距離を伸ばしているように見えた。アクションゲームみたいな、普通ではありえない動きである。



 人間に翼はないが、剣士には翼がある。剣という高アスペクト比の翼である。夕子は高速移動のなかで、右手の剣を翼として用い、揚力を得て滑空していた。状態としては片翼帰還の戦闘機に近い。折れた側の翼は左手を手刀にしている。二刀流ならもっと効率良く飛べたろう。


 日本の剣士は古来より、優れた航空力学者でもあったといわれている。江戸時代の剣術全盛期、彼らは荒行、まじない、学問と、己を強く鍛えるためならなんでもやった。剣禅一致の境地なども、始めは強くなるため禅にのめり込んだ結果に得られたものである。そんな彼らが航空力学という理合に目をつけぬわけがない。なんせ剣とは、彼らが四六時中振り回している翼状のものである。

 近代になり日本が列強に航空機の性能で追随できたのも、剣術という航空力学の下地があったからである。かの日本の航空機の父、二宮修八も若かりしころは剣術道場で学んだという。江戸時代の鳥人備考斎も、研究資金を稼ぐため道場破りを繰り返したといわれている。有名所では燕返しで知られる佐々木小次郎がいる。燕返しとは燕の翼の気流を一振り目で剥離させ、失速状態となった燕を返す刀で切り捨てる剣技である。小次郎は燕を斬るために、航空力学を応用してそれを編み出した。巌流島で宮本武蔵に敗れたのは、武蔵が櫂という、より航空力学的に優れた武器を用いたからという説もある。


 剣に気流を纏い、意図せぬ失速状態を避けさえすれば、一足一刀の距離延長には柔軟に対応できる。鳥とは違い人体という血袋は、滑空するには重すぎるように一見思われる。けれども滑空距離は揚抗比により、揚抗比は翼の形状により決まる。つまり翼面荷重、身体の重さはそれほど関係ない。痩せさらばえた天使も肥え太った天使も、天から地へと落ちる際、進む距離は同じである。

 失速ストールするのは目標間近、剣を蜻蛉に構え直すときである。目標が近ければ即座に、目標が遠ければ粘って、空を滑り降りて斬り付ける。そうしてその反動で再飛翔する。その繰り返しであった。



 白い影が、すぐ近くの『99』の目標に衝突して跳ね返って行く。指揮所のモニターを見る。現在のタイムは33、もしかすると達成してしまうかもしれないと、嶺鈴は恐れた。あれが試験結果で霧子の風上に立つなんて認められない。

 ここで初めて嶺鈴は自覚した。自分が夕子を嫌うのは、追加入学者であるとか上品ぶっているとか、霧子の好敵手であることへの嫉妬であるとか、そういった嶺鈴なりに正当な理由があってのことではない。個人的にかつ、本能的に気にくわないのである。生徒の中でただ一人、その突出した強さとはまた別な、得体の知れない異物感が夕子にはあった。嶺鈴は己が犬のような少女であることを知っているし認めているし誇りにも思っている。そうであるからこそ己の嗅覚、臭みを感じる直感は、己の脳味噌なんかよりもずっと信頼を置いていた。

 いっそ「出し」と称して乱入してやろうかとも思ったが、そもそも嶺鈴には追いつけない速度で夕子はコースを駆け巡っている。しかも道中で学習したのか動作は更に洗練され、もはやグラウンドの地面に足をつけることはほとんどなく、目標への打ち込みを踏み込みの変わりにして飛び回っている。白い髪の広がりが天使の翼のように見えて、皆、あれこれ言い合うのも忘れて見入っていた。


 嶺鈴にとって喜ばしいことが起きたのは、逆走の『50』を打ったあたり、残り四分の一の時点でのことである。夕子自身に失敗はない。が、ザマ先が何やら合図を出しつつ宣言した。

「機動剣術は鳥人間コンテストではないザマス。公正を期すため、ここで『出し』を投入する」

 複数の黒い影が走る。妨害者としての棒を持った補助教員である。ザマ先はこういうことをしてくれる。

 突き、斬り、払い、それぞれタイミングをずらして襲いかかる。「やったぜ事故れや」と内心で叫びながら拳を握る。しかしどういうわけか、夕子は久しぶりに接地しながらも、無傷ですり抜けていた。

「木の葉落としか、小癪な。――様のような真似を」

 ザマ先のつぶやきは完全には聞き取れない。

 せっかくの妨害なのに、タイムはあまり稼げていない。

 夕子が『20』を打つ。もう駄目かと諦めかけたところで、風が吹いた。土埃が一斉に巻き起こる。台風以上にすさまじい強風である。神風ではない。一人の黒衣の補助教員が、腕をかざしていた。能力の発動である。中の人はベテランの姫騎士なので、能力は当然使える。おそらく風系の能力で、たんぽぽの綿毛みたく飛んでいる夕子には効果覿面であった。

 空中で姿勢を崩す。滑空状態が解ける。着地しようにも、ラストスパートのつもりか速度を出しすぎている。自業自得である。地面に触れたその瞬間つんのめり、白いだけにおむすびころりんと、卍姫のように転がっていくであろう。思わずガッツポーズをとりかけたが、

「上手い。拍車制動」

 と霧子が声を上げる。夕子は姫騎士ブーツの踵についている拍車でランディングギアのように接地しつつ体勢を安定させ、地を蹴り直して再加速していた。

「あれは馬具ばぐっしょ? あんな使い方ありなんすか」

 納得できず霧子に問う。

「むしろおおありですわよ」

 お前じゃない座っていろという目を向けたが、卍姫は頑張って仕入れた知識を披露したいのか、問わず語りに喋り続ける。

「姫騎士にとって拍車とはお馬さんのお腹を蹴るばかりではありませんの。高速移動時の緊急制動用も兼ねていますの」

 姫騎士ブーツに拍車がついているのは、馬に乗る者、騎士としての象徴というばかりではなく、実用性もちゃんとある。

 鳥が着陸する際と同じ足の角度を取ると、ちょうど接地するようブーツの拍車は位置している。その角度は陸上動物の姫騎士にとっても具合の良い角度で、急停止の際など、地面に拍車を当てながら減速すればつんのめらないで済む。そうなるよう足を前目に出すことで、自然とちょうど良いのけぞり姿勢になるのである。

 ちなみに空を飛ぶ天使が現実に存在すると仮定した場合、拍車は偶然にもランディングギアとして航空力学的に最適な位置にある。そのことから乗馬と宗教と航空機の本場であるアメリカでは、エンゼルギアと洒落て呼ばれている。

「邪魔なカウボーイのくるくるにそんな使い方があったなんて」

 芽亜と同様、馬なんかたまにしか乗らないから邪魔なだけであると、嶺鈴も思っていたが、そんなことより夕子の試験である。

 やはり風は有効であったらしい。夕子の見せた剛歩、チェスト突撃、謎滑空の三つの反則的な小技のうち、三つともが封じられた様子である。滑空は強風そのものの影響で、剛歩はおそらく、あの風には体外の神気を乱す効果が含まれてでもいるのであろう。怪物染みた脚力で地面が激しく荒れている。チェスト突撃も剛歩と同様である。あんな威力のものを直接打ち付けたら目標が砕け散る。もはや霧子と同じ、正攻法をするしかないのである。そして夕子は反則を選ぶだけあって、真っ当なやり方では霧子には勝てない。見れば動作の細かな部分も、男のように荒々しい。

 なのにゴール目前で、クラスメイトたちが叫んでいる。

「お姉様!」

「フレー! フレー! ですの!」

「意地悪なんかに負けないで!」

「もうすぐ! もうすぐですの!」

 今までそんなこと、霧子のときにもしなかったのに、どうして夕子のときだけ応援する。おかしい。はしたないとは思わないのかと、嶺鈴は憤慨した。

「行きなさい、ユウ!」

 霧子までそんなことを言う。

 夕子を嫌う嶺鈴だけが、突然に打って変わったクラスの空気に馴染めなかった。


 『1』を打つ。ゴールする。

 土埃にまみれた夕子が、剣を杖に息を切らし、ザマ先の言葉を待つ。白髪が茶色く汚れて小汚い。クラスメイトたちは固唾を呑んだ。

「タイム60.2。不合格」

 ざまあみろと嶺鈴は思った。あちこちから落胆の声がする。昼食のステーキは、美味しく食べられそうである。

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