第4話 真理谷夕子の正体

 ざわめきはなかった。鞭打ちの回数も、いつしか淡々と数えられるようになっていた。掛け声とともに水音混じりの打擲音だけが校庭に響いている。

「きゅーじゅご、きゅーじゅろっく、きゅーじゅなっな……」

 背中はどこもずたずたで、足下に広がった血溜まりが膝を濡らしている。出血性ショックが起こらないのは姫騎士の再生力のおかげであろう。

「きゅーじゅはっち、きゅーじゅきゅぅ……」

 肩と脇はもはや剥き出しとなり、留め具の壊れた下着の肩紐が斜めに落ちかけている。残された上着の布地が身体の僅かな凹凸に辛うじて引っかかっているといえ、いかにもあられもなかったが、邪な気持ちなど湧きようはずがない。流血と黄昏に赤々と染められた白い乙女の静謐な佇まいに、少女らは圧倒されていたのである。平時なら多少怪しいが同性というのも一応ある。

「……百」

 担任が鞭を置き、作法どおりの礼をする。生徒たちも、思わずつられて礼をした。神妙な心地が続いていた。

「これにて特別入学試験生綱ギロチン、終了とする」

 ザマ先は芽亜の腕がギロチンから外されたのを確認すると、縄を手刀で断ち切った。刃が落ちて空を切る。

「以上で本日の授業はおしまいザマス。補助教員はお片付けを」

 勿体ぶった前置きに比べ、終わり方はあっさりとしたものである。黒衣たちが動き出して、ギロチンや滑車台をえっほえっほと担いで行った。


 夕子に駆け寄ろうする生徒たちをザマ先が手で制止すると、やや乱暴な手つきで縄の切れ端を夕子の口から取り除く。それから背後に回って手枷をほどきながら耳元に口を寄せ、他の生徒に聞かれぬくらいの微かな声で、白鷺莉々愛は語りかけた。

「よくやりました真理谷夕子」

「ぼ……私の、名前を」

 名前をちゃんと呼んでもらえて嬉しいが、喉の調子がよくなくて、調節前の声色が出かかった。

「わたしの知る限り一年生で生綱ギロチンを成し遂げた者はあなたで二人目」

「それは、どういう」

「一人目はあなたのよく知るあの方よ」

 莉々愛は夕子が振り向く前に、そう言ったきり立ち去った。


 呆然と見送ると、微かな香りと温もりが、ふわりと肩にかけられた。制服の上着であった。

「ありが、いつぅっ……!」

 滑らかな生地とはいえ、触れると傷に沁みてしまい、思わぬ痛みにびくんとなった。

「ご、ごめんなさい。格好つけたわ。本当にごめんなさい」

 半裸同然なのを気遣ってくれたのであろう。インナー姿ですまなそうにしている。

「い、いえ、こちらこそ汚してしまって。大丈夫です。びっくりしただけですから」

 ついお互い謝り合う。間が空いた。目と目が合う。思わず二人で笑い出した。

「八剣霧子。一年筆頭――級長のようなものね、その筆頭を務めているわ。敬語はいらないわよ。最初の態度が素なのでしょう?」

「真理谷夕子よ。今日からお世話になるわ、八剣さん」

「キリコと、呼び捨てでかまわないわ。こちらもあなたをユウコと呼んでも?」

 夕子の笑顔が僅かな間、何ともいえない顔になった。

「……できれば、ユウ、と、そう呼んで頂けると助かるわ。そちらで呼ばれ慣れているの」

「よろしく、ユウ。でも、夕子という名前であえてそう略すとなると……ゆうさん、ゆうちゃん、ゆうくん。失礼でしょうけれど、なんだか少し男の子みたいというか、中性的な感じがするわね」

「そう、かしら。ありふれたあだ名だとは思うけれど」

「私がそう感じてしまうのは女子校病とでもいうのかしら。ここのたちは男性に飢えているのではないけれど、何彼につけ王子様的な要素を求めがちなのよ。姫騎士だから、お姫様でありたくて、ね。まあ、野暮なことはもう言わないわ。私の感覚自体、よく友人にセンスが昭和くさいと叱られるもの。失礼したわ、なんとなくで変なことを言ってしまって。言い訳ね」

「いえ。気になさらないで」

 なんとなくでそうならば直感が優れている人なのであろう。

「さ、歩ける? 回復していないなら手を貸すわ。保健室に――」

 手を差し出し、言いかけたところで後ろから声がした。

「あ、あの!」

 振り向くと、クラスメイトとなる予定の少女がいた。ずらりといた。声の主は矢見野芽亜ではない。彼女は集団の後ろのほうでぽつねんとしている。

「ユウコさっ、い、いえっ、ユウさん!」

「生綱ギロチン、素敵でした!」

「鞭を耐え忍ぶあまりに神々しいお姿に、わたくし、感っ動いたしましたぁ!」

「ああ! こうしてご尊顔を拝しますと顔っ! やっべ、めっちゃ美人でございますわー!」

「とりあえず手始めにお姉様とお呼びしてもよろしくて?」

「ところでお咥えになったおロープはどちらに?」

「先ほどザマ先が持って行きやがりましたの。ポッケに入れるの見ましたわ」

「キリコお姉様の制服のお洗濯はわたくしにお任せを。それこそ新品のようにクリーニングいたしますの……うへへツインレア」

「ちょっと! ドン引きされるようなことをここで仰らないで下さる? 特に最後はガチヤバでしてよ」

「そうですの。推し活はこっそりとが原則ですの」

 夕子の笑顔が引きつった。同い年の女子集団を生まれて初めて前にして、これが女子校のノリかと圧倒される。

 霧子は予想していたとはいえクラスメイトの騒々しさに嘆息すると、鋭い声で一喝することにした。筆頭としての責務である。

「やかましい! 鬱陶しいわよ貴女ーっ!」

 叫びながら人差し指と中指を、クンッと上に突き出した。

「あがっ」「おごっ」「へぶし」「ですの!?」

 それぞれが腰に下げた鞘から一斉に剣が抜けて飛び出すと、その勢いで柄頭や鍔が、それぞれの顎や頬に衝突した。西洋のロングソードの柄はハンマーのように用いられることもある部位である。当然であるが殴られると滅茶苦茶痛い。顎や歯が砕けぬよう加減してあるとはいえ、閉口せざるを得なくなる。

「話し込んだ私が言っても説得力がないけれど、今のユウは怪我人よ。保健室に連れて行くから、自己紹介や群がるのは後日になさい。それから、矢見野さん」

「ひゃいん!」

 集団の中で一人だけ修正の一撃から免れてまごつく芽亜が、気を付けの姿勢になる。

「私の横入りで話す機会を奪ってしまってごめんなさい。今は治療が優先だから、少しの間、貴女のパートナーを借りるわね」

 一拍遅れてこくこくと頷いた。

「同伴なんてキリコお姉様だけずるいですの。ぶうぶうぶべらっ!?」

 なおも恨み言を吐く生徒にはもう一撃喰らわせた。



 保健室に着いた二人を出迎えたのは学校医ではなく、九十九里くじゅうくり叡子えこ学長であった。

「先生方はちょうど出払っておっての。面談も兼ねてわしが治療することにした。というわけで八剣一年生、お主はもう帰って良いぞ」

 なんとなく邪魔者扱いされた気がして、霧子はすこしむっとした。

「ですが」

「鞭傷の治療ならわしだってちょっとしたものじゃ。生綱ブームの頃は阿呆でゲイのマゾ殿様に散々手を患わされたからの。だいいちお主は戦闘特化じゃろ? こういう場合はできる者に任せるものじゃ。それともあれかの? 手当てにかこつけて同級生の柔肌をじっくりねっとり鑑賞したいと、そういう魂胆じゃな? おおぅ、八剣一年生はなかなかどうしてエロじゃのう」

「し、失礼します!」

 霧子は顔を赤らめて退室した。そして戻って来た。

「……演習で負傷したクラスメイトの病室を教えて下さい」

「見舞いかの」

 タブレットで呼び出したリストから、叡子が病室番号をメモして渡す。

「筆頭として熱心なのはわかるがもすこし肩の力を抜いたっていいんじゃよ」

「いえ、問題ありません。ご忠告ありがとう存じます」

「私にも付き添ってくれてありがとうキリコさん」

 礼をして今度こそ去って行った。

「パシリに任せぬとは今期の筆頭は真面目じゃのう。今の二年生とは大違いじゃ」

 叡子が誰にともなく言いながら部屋を施錠すると、彼女に生えた三本の尻尾のうち一本が、光の粒子となって霧散した。

「結界を張った。防音と探知じゃな。人払いも済ませてある。つまりわしとお主、密室に二人きり、ナニを言ったりやったりしても、邪魔の入らぬシチュエーションというわけじゃ。さあどうしてくれようブヘヘヘヘ」

 半開きの手の指をせわしなく動かしながらにじり寄る。俗にいうわきわきポーズである。つい半眼を向けたが、あらためて真面目な顔をして挨拶する。

「お久しぶりです。叡子学長」

「むぅ、ノリが悪いのう真面目ちゃんめ。まあよい。久しぶりじゃなユウ坊。おっと、ここはわしも糞真面目に、真理谷夕太郎ゆうたろう一年生と呼ぶべきかの」

「どちらも止してください。僕……いえ、私は今、真理谷夕子をしているんです」

 少年はそう言った。

 真理谷夕子は男である。生まれつき男性であるにもかかわらず、姫騎士の力に目覚めた少年である。本名は真理谷夕太郎といい、夕子というのは姉の名前である。姉が四月、弟が三月生まれの同学年であり、この姫騎士学園には姉の夕子になりすまして入学した。

 入学したのは彼の母親の命令であり、姉になりすますのは戸籍や性別を誤魔化すのにちょうど良いと、その母が判断したのである。真理谷夕太郎という少年は山奥の実家で今も療養生活を続けている。そういうことに表向きはなっている。

 なお彼の姉、本物の真理谷夕子はというと、二年前に失踪して現在も行方不明である。叡子の持つ情報網に引っかからないということは、おそらくどこかの組織に匿まわれているのだろう。それが他国か、あるいは日本政府かもわからない。基本的に姫騎士の所在は国際姫騎士連盟によって管理されている。匿まって届け出せずにいることが連盟に対する背信であるのは間違いないが、かくいう叡子も彼女の片割れである夕太郎を手元に置いて育てるために、その存在を隠している。男性姫騎士である分、背信の度合いでいうなら叡子のほうが強いといえる。そもそも夕子の失踪のことからして、夕太郎の入学に使えるかもしれないと、あえて知らんぷりして連盟に報告せずにいるのである。

「大人になるってかなしいことじゃの。もう昔みたいにエコお姉ちゃんと呼んではくれんのか?」

「そう呼んだことは一度しかないでしょうに」

「じゃったな。お主の姉がブチ切れるからエコばあちゃんババア呼ばわりじゃったの」

 背乗りの片棒担ぎを始めとして、真理谷夕太郎の生い立ち、失踪した夕子の思惑、何より世界初かつ唯一の男性姫騎士であることなど、叡子にとって頭痛の種はいくつもあるが、

「なにはともあれ治療じゃな」

 ひとまずは夕子の服を脱がしにかかった。無論治療のためである。やましいことはなにもない。


 傷口の洗浄などの処置を済ませると、もう一つ尻尾を消して、治癒ヒールの能力を発動する。

「しかし災難じゃったの。入学早々生綱とはリリアも酷なことをする……いやになったか?」

「いえ、貴重な体験をさせてもらいました」

 いきなりギロチンを持ち出されて面食らったが、自分はここに乙女おとこを磨きにきたのだと思い直せば、むしろ試練として歓迎すべきものである。痛みに耐える修行など滅多にできることではない。実に良い経験といえた。

「ありがたいことです。ただ、巻き込んだ矢見野さんには怖い思いをさせてしまいました。それから教官の先生にも手間をかけさせて。負担だったでしょうに」

 拷問はする側も精神的に疲弊するといわれている。

「マゾい性善説にもほどがあるじゃろ。たしかに根は悪いやつではないが、見下げ果てたやつではあるぞ」

 生徒思いも、心を鬼にしてというのも本当ではあるだろう。殴る側の手も痛いとはよくいわれる言葉である。しかしその仕事が好きでなければ、意識的にせよ無意識的にせよどこかでサディスティックな悦びを感じていなければ、続けられないのというのも事実である。それが鬼教官の資質である。

「ところでその先生のことですが」

「リリアじゃ。白鷺しらさぎ莉々愛りりあ。一年の担任じゃの」

「白鷺先生は私の母をご存じのようでした」

「リリアはお主の母の夕凪とは姉妹の契りを結んだ間柄じゃった。同級生で一年寮の同室でもある」

「同級生? それにしては……」

 姫騎士は老けるのが遅くなることを踏まえても随分と若々しい。同い年の母はもう五十近いというのに、彼女は二十代の若さで老化が止まっているように見える。

「あやつもあやつで特殊というか、わしらの同類、メトセラに至った姫騎士じゃからの」

「すごい先生なんですね」

「そのすごい先生がお主に対してあたりが強いのは、まああれじゃな、スネ○プ先生みたいなもんじゃの」

「はい?」

「今時の十代はハ○ー・ポッ○ーの小説読んでおらんのか。ジェネレーションギャップじゃのう」

「小説はあまり。漫画ならド○ゴンボールやダ○大やTO○GHとか、読んだ経験はありますが」

 修行ばかりで娯楽に耽る機会はほとんどなかった。漫画にしても病院で友達から借りたり父の蔵書であったりで、あまり詳しいとはいえない。通して読んだのもその三作品くらいである。

「見ようによっては令和らしいラインナップじゃの。一年寮の談話室に色々あるから、興味があるなら覗いてみるといい」

 一年寮の談話室にはゲームだとか書籍だとか、先輩方が代々残しておいたものが色々とあるらしい。

 余談であるが一年筆頭にはおすすめの雑誌を毎号自腹で仕入れて談話室に置いておくという伝統があり、霧子の場合は嶺鈴やみんなに週刊少年ジャ○プがいいといわれたが、よくわからないので購買で買ったジャ○プSQを置いた。意外と好評であった。


 取り留めのない会話をしつつ、手当てが終わった。

「あえて完治はさせんでおいた。細胞を鍛えるための自己治癒じゃが、お主くらいの神威なら明日の朝には元通りじゃろう。風呂やシャワーもその時じゃな」

 包帯を巻かれた背中に張り手する。

「あ゛い゛だっ……って、何するんですか!」

「格好良く巻けたのでついの。ビシっとできたらバシってやりたくならんかの?」

「知りませんよそんなの。傷が潰れて滲むでしょうに」

「この激痛療法、実をいうとそれなり以上の姫騎士には有効じゃぞ。防衛反応で神威が高まるからの。再生がピンポイントで早まるんじゃ」

 気合いと根性で致命傷を食いしばる現象に似たそれを、不意打ちの痛みによって起こすという。わからなくもない。

「手当てありがとうございました」

「どういたまして。動けるようになったなら早速、女の子テストといこうかの。女性らしい振る舞いとか化粧とか考え方とかを一から十までの。見た目がそうで母親にも仕込まれてはいるじゃろうが最終テストは必要じゃ。そもそも学生時代のお主の母はわりかしずぼらで、リリアに甲斐甲斐しゅう世話をされておったくらいじゃからの。武術の師としてはともかく、女の子教育の先生としてはあんまり信用ならん。わしがこの目で見ないことにはの」

「この場でこれからですか。随分と長丁場になりそうですが」

「そうじゃ。今この場でならカウンセリングの名目で誤魔化せる。わざわざ学長室なんかに連れて行って長々と時間をかけては、他の者に怪しまれかねん。この学校でお主の正体を知るのはわしの他に学校医が一人だけで、二人しかおらんのじゃ」

「その先生は信用できるんですか」

「わしの能力で制約をかけてあるから問題ない。じゃがもし、もしもじゃが、他の者にやむを得ず雄バレしたとする。そうなっても同じように制約をかけることはできる。一応できるが、あまり人数を増やしてはほしくないの。能力のリソースを食うからの」

「わかりました。肝に銘じます」

「では始めるとするかの」

 叡子は宣言すると、どこからか衣装を数着取り出した。

「な、なんですかその恐ろしく短いスカートは」

「ナニってそりゃ、テスト用のコスプレじゃよ。姫学制服は少々清楚すぎる。様々な状況を想定してジェンダーな羞恥心を試すには、それなりに際どくなくてはいかんじゃろ?」

「それはそうな……いやセーラー服はともかくビキニアーマーはおかしいでしょうが」

「いいからいいから、エコを信じて~。おっと肝心の言葉を忘れておったの――姫騎士学園、入学おめでとう」

「そんなにじり寄られながら言われても。ちょっ、待っ、やだっ、そこ違う」

 保健室に夕子の悲鳴がこだまする。結界の防音機能に阻まれて外には一切漏れなかった。

「ほい女の子テスト第一問。とりあえず生理周期教えてくれるかの。ふひっ」

 初っ端からひどい。用意してあった答えを言うと、

「はい不正解~。正解の反応はブチ切れる、でした。お主、デリカシーがないのう」

 こんなようなやり取りが夜になっても続いた。

 寮に行くころにはひどく憔悴して、姫騎士の力を喪失していないか神威開放を試したほどであった。九十九里叡子は昔から際どい接し方をしてくる。母や姉には普通なのに、自分にだけ、それも二人きりになると殊更にそうである。思えばかつての姉もそうであった。もしかすると自分は弄られやすい気配を発しているのかもしれない。ならば気を引き締めようと決意した。叡子相手ならともかく、自分を男と知らずにいる他の女性に組んず解れつされるのは、不可抗力にしても不誠実に過ぎる。そもそも女学校に女装して通うこと自体不誠実の極みであるが、しかし己に言い訳できる程度には、節度を保っていたかった。

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