第4話 生贄

「フェザー、此処で合ってる?」


「ええ、此処で間違いないわ」


 地下を抜けて街へ出て、フェザーが用意していた馬に乗って一時間も経たず、湖があるという場所に到着した。


 此処へ来るまでの間、彼女は無言のままだった。俯いたかと思えば時折顔を上げてリトラを見る。何かを言いかけてまた俯く。その繰り返しだった。


 その様子にはリトラも気が付いてはいたが、無理に聞くより向こうから切り出すのを待った方が良さそうだと知らない振りをした。


 そうしているうちに、目的地に到着したのだった。


 そこは街の西、街道を外れて平原を進んだ先、何もない丘の上。そこには湖はおろか水溜まり一つない。地下の悪党が想像していたように、実は周囲に仲間が潜んでいて、などということもない。


 夜も更けて辺りに人気はない。たとえ日中であっても態々此処へ足を運ぶ者はいないだろう。


「あの、フェザーさん?」


「待って、もうすぐよ」


 空を見上げてフェザーが言った。


 雲間から覗いた月の明かりが二人の立つ丘の上に降りる。すると丘が波打った。水面に水が一滴落ちたようにその波紋を広げる。


「これは……」


 リトラには一度大きく脈打ったようにも感じた。


 自分達が立っている場所のほんの少し先で何か透明な非常に重い何かが地面に沈み込んだかと思うと、落ち窪んだ底から水が溢れ出た。


 それはたちまち湖と呼べるほどの広さと深さを持った水たまりになった。そして水面には見事な古城が映っている。


「綺麗だ。想像してたよりもずっとね。それで、友達はこの中にいるのか? にしても、どうやって……」


「静かに。そろそろ出て来る」


「えっ、何が? 城主でも出て来んの?」


「そうよ」


 その表情は強張っている。


 彼女にとって好ましくない〈何か〉が現れるのは間違いなさそうだった。


「おぉ、すげえ」


 水面から大きな水玉が一つ浮かび上がった。それは熱した硝子のように伸びて形を変えていく。


 水玉はやがて人の姿を形作り、足元にまで伸びた髪、妖しく微笑む女の顔、大きく胸元の開けた着物、それらが細部に至るまで彫り込まれた水の彫刻となった。


「随分、時間がかかったわね」


 現れたのは己の美と豊満な肉体を誇示する妖艶な女だった。フェザーとは異なり、人を惑わす危険な色香を纏っている。


 女の声は湖に浮かぶ彫刻からではなく、湖の底から響いているようだった。水によって形作られた体は月明かりを受けて透けている。


「てっきり、見捨てて逃げたのかと思ったわ」


「馬鹿言わないで、あの子は無事なの?」


「ええ、もちろんよ」


 怒りを堪えているフェザーを見て、女は薄く笑って答えた。その笑顔は、人を騙すのに長けている者の笑顔だった。


「だったら会わせて、今すぐに」


「それだと順序が逆でしょう?」


 フェザーは俯き、ぐっと奥歯を噛み締めた。


「それで? 生贄はその子一人だけ?」


「えっ、生贄だったの?」


 フェザーを見るが、俯いたまま答えない。


 一方、湖から現れた妖しい女は、首を傾げてリトラの瞳を覗き込むように眺めている。


「何だか生意気そうな子」


「よく言われます。で、生贄って?」


「……ふぅん、強がってるわけじゃあなさそうね」


 女は縦長の瞳孔を向けて、リトラを興味深そうに見つめた。


 この瞳に見つめられて怖れを抱かない人間はいなかった。だと言うのに、この生贄は視線を真正面から受け止めている。女にはそれが不愉快であり、興味深くもあった。


 女は眼球の僅かな動きさえ見逃さず、リトラの心を読もうとする。そこに怖れや動揺は見られず、何を考えているか分からない。それどころか、逆に此方の心を覗き込まれているような心地がした。


 やがては女の方から視線を外し、俯いたままのフェザーに視線を向けた。


「その女に、大事なお友達を助けたければ人間の生贄を用意しろと言ったのよ。それが、貴方」


「ご親切にどうも。それにしても、あんたは非道い奴だ。女の子を二人も泣かせるなんて」


「私は〈ロベリア〉よ」


 あんたと呼ばれたのが気に入らなかったのか、ロベリアは大きな舌打ちをして名乗った。


「へえ、あんたにはぴったりの名前だ」


「やっぱり生意気。貴方が今夜どんな声で鳴くのか、今から楽しみだわ」


「夜泣きはとっくに卒業してるよ」


「口の減らない子ね。その舌を抜いてしまおうかしら。貴方なら舌の一枚くらい平気でしょ?」


「嫌だよ、これが最後の一枚なんだから。それより、フェザーのお友達が無事なのか確かめさせてくれないか?」


 突然の申し出に二人は同時にリトラを見た。


 ロベリアは怪訝そうに、フェザーは驚いた表情のまま固まっている。


「それが貴方にとって何になるのかしら?」


「だって、せっかく生贄になるんだぜ? 助かる人の顔くらい知っておきたいだろ?」


「まだ子供なのに現実を受け入れるのが早いのね。けど、素直なのはよいことだわ。いいでしょう」


 ロベリアが指先から一滴の水を垂らす。


 それが水面に吸い込まれるとどこかの映像が浮かび上がった。最初は不鮮明であったが、それは徐々にはっきりと映し出された。


 そこにはまだ幼い娘が映し出されていた。冷たく暗い牢の中、その片隅で、自らを抱き締めるようにして眠っている。

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