第031話

「この『お弁当』ボタンだと30秒ですから、ちょっと温め切れないかもしれないんで。これでいいですよ」


「そうなんだね。ありがとう」


 部長はレンジの中にコンビニの「スタミナ弁当」を入れて、スタートボタンを押した。


 俺はレンジが空くのを待つ間、お茶の用意をする。


 一応部長の分も入れておいた方がいいかな。


「なんか財務課、大変そうですね」


 レンジが空いたので自分の弁当を入れてスタートボタンを押した後、俺は部長に問いかけた。


「そうなんだよねぇ。ちょっと思ってた感じと違ってさ。安川さんの負担が大きくなっちゃったんだよ」


「菜々世……安川、今日見てて大変そうでしたもんね」


「そうなんだよ。何度か与那嶺くんに電話してたみたいだけどね」


 ピーっという電子音が聞こえたので、俺はレンジから自分の弁当を出して部長の前に座った。


「いや、今だから言うんだけどね」


 部長は周りを見回した。


 休憩室にはたまたま俺と部長だけで、他の人はいなかった。


「本当は山中くんに、経理課と財務課の兼務をお願いしようかと思ってたんだよ」


「お、俺ですか?」


「そうそう」


 篠原部長はそう言って、にっこり笑った。


「でも岩瀬課長と槙原主任に強く反対されてね。山中くんを取られると、兼務とは言え仕事が回らなくなるって」


「そうでもないと思いますけど……残業は増えるかもですね」


「そうなんだよね。それに結局山中くんも財務の仕事を新しく覚えないといけないでしょ? それだったら移行期間を設けて与那嶺くんに手伝ってもらうことにしたんだ」


「まあそのほうが合理的のような気がしますね」


 俺は弁当の肉春雨を頬張りながらそう応えた。


 篠原部長は大手家電メーカーからの転職組だ。


 とはいってもこの会社に来たのはまだ役職がつく前らしいので、もうこの会社では15年以上は働いていることになるだろう。


 極めて優秀な人で、上司からも部下からも非常に受けがいい。


 将来うちの会社の役員候補筆頭の人物と言われている。


「結局経理財務部は1名減員だからね。まあ営業に力を入れるっていうのもわかるけどさ。まったくこっちのことも考えてほしいよ」 


「社長は……営業命みたいな方ですもんね」


「そうそう。そうやって伸びてきた会社だからね。それはわからないでもないけど、現場は大変だよ」


 珍しく今日は愚痴が多い部長だった。


 俺はあまり話したことがなかったが、たまに酒の席で一緒になると「常に前向きな部長」というイメージだったのだが……。


 中間管理職は大変だな……俺はお茶を飲みながら、そんなことを思った。




 9月に入っても、俺の生活は順調だ。


 仕事は相変わらずヒマだし、相変わらず給料は安いままだが。


 海奏ちゃんとは毎朝電車で一緒にだし、彼女が夜のシフトのときは一緒にマンションまで送るようにしている。


 最近海奏ちゃんの俺に対する笑顔が増えてきたと思うし、随分親しくなれていると思う。


 もっと推し活を勧めていかないといけないな。


 そんな中、俺は大学時代の友人と会うことになった。


 同じ学部でよく行動を共にしていた仲間だ。


 彼のアレンジで合コンにも数回参加したことがある。


 俺は全く女の子からは相手にされずに、数回で合コンは断念したことは黒歴史だ。




「おう暁斗、久しぶり」


りくも久しぶり。元気そうだな」


「あんまり元気じゃねーよ。忙しいばっかりだ」


 若原陸わかはらりくは自動車メーカー勤務、明るく人当たりの良い男だ。


 合コンの幹事としては、うってつけだと言える。


 やや小柄でイケメンではないかもしれないが、髪型やファッションに気を使っていて「雰囲気イケメン」の様相を醸し出している。


 実際陸は学生時代、彼女がいた時期も結構あったりした。


 俺から言わせると、十分な「リア充サイド」の人間だ。


「陸と会うのは……半年ぶりぐらいになるのか?」


「そーだな。4月に会ったっきりだから、それぐらいになるな。暁斗、仕事はどう?」


「暇だな。でも給料上げて欲しいわ」


「ヒマってか。羨ましいな。こっちは毎日残業続きだ」


 陸は自動車メーカーの東京支店で、自分のエリアの販売店の管理を任されているらしい。


 ところが……


「今、車って売れないんだよ。まあ上位のライバル他社が強いっていうのもあるんだけどな。暁斗も車持ってないだろ?」


「もちろん持ってない。免許はあるけどな。都内住みなら、車いらねえだろ?」


「そうなんだよな、若い層が全然車買わなくなっちゃったんだよ。買い替え需要も年々落ち込んでいってるしな」


 陸は仕事でなかなか苦戦しているようだった。


「まあ立ち話もなんだし、行こうぜ」


「そうだな。陸、この辺の店詳しいか?」


「ああ、安くていい店があるんだ」


 そう言って俺たちが歩き始めたその時……



「あ、暁斗さん!」



 正面から濃紺のブレザーを着た、二人組の女子高生。


 そして……俺に声をかけてくるような女子高生は一人しかいない。


「う、海奏ちゃん」


 海奏ちゃんは目を大きく見開いて、口に手を当てて驚いている。


 その隣で驚いている黒髪ツインテールの女子は、視線を俺と海奏ちゃんの間を往復させていた。

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