第030話


「で、大悟自身はどうなんだ? この異動は」


「まあ前から営業はやってみたかったしな。それに会社の外に出られるだろ? なんか楽しそうじゃん。それに営業部は多少は残業が認められてるから、給料も増えるかもしれないしな」


「そうだな。給料が増えるのは魅力だな」


「でも残された方は大変ですよ。アタシ、結構な量を大悟先輩から引き継ぐみたいで……」


「まあ最初は大変かもしれんけど、オレも手伝うよ。部長からもしばらく移行期間を設けて、財務課が忙しいときは戻ってヘルプに入ってくれって言われてるからな」


「お願いしますね、大悟先輩」


「それよりオレは、菜々世と離れるのが寂しいぞ」


「そういうのいいんで」


「まったく……冷てーな」


「異動って言っても同じオフィス内じゃないですか。別に他の支店に行くわけじゃないですし」


「そうだけどな。まあわからないことがあったら、いつでも教えに行くから」


「はい、それはお願いします」


 営業部は同じ建物内だが、階が違う。


 これからあまり顔を合わせることも少なくなるかもしれない。


「でも岩瀬課長も言ってたけど、営業部は大悟にかなり期待しているみたいって言ってたぞ」


「あんまりプレッシャーかけないでくれよ。でもまあ、できることをやるだけだ。菜々世、たまには一緒に飲みに行ってくれよな」


「ソウデスネ」


「うわー行く気ないだろ、菜々世」


 菜々世は「そんなことないですよ」と言いながら笑った。


 俺も大悟もつられて、大声で笑ってしまった。



 しばらくすると、菜々世は家の用事もあるので先に帰っていった。


 俺と大悟はなんとなく今日はもう一杯飲みたい気分だったので、そのままプロンテに残ることにした。


「なかなかムズいなぁ」


 大悟がごちる。


「ん? 仕事がか?」


「まあ仕事もだけど……菜々世もな」


「ああ……」


 まあ……菜々世は大悟に対して、相変わらずのらりくらりのようだ。


「あんまり押すばっかりじゃ、菜々世も引くんじゃないか?」


「本当にそうなんだよ。週末メシとか映画とか誘ってるんだけどな。なかなか乗ってこない」


 ……これは菜々世と一緒に映画に行ったとか、言っちゃダメなヤツだな。


「まあこの異動で物理的に距離が少しできるわけだ。これで好転することもあるかもしれんぞ」


「どうだろうな。わからん。オレは押すことしかできんからな」


 その「押しすぎ」なのが問題なんだよ……とは俺もなかなか言えない。


「ところで暁斗は、なんかそういう浮いた話はないのか?」


「浮いた話はないけど……」


 少し迷ったが、酒の勢いもあったのかもしれない。


 俺は海奏ちゃんのことを少し話すことにした。


 痴漢冤罪騒ぎのあと近所に住んでいることが分かって、朝の電車と彼女のバイトの帰りに一緒にいるあたりのことを、ざっくりと話した。


「なにっ! 現役の女子高生とか? なんという羨ましい」


「羨ましいっていっても、付き合うとかそんなんじゃないぞ。なんていうか……アイドルの推し活みたいな感じだ」


「俺たちのいくつ下になるんだ?」


「学年で言うと……8つ下になるな」


「話とか合うのか? 女子高生の話題とか、オレならついていけんぞ」


「別についていく必要もないだろ? なんていうかな……多分俺に妹がいたらこんな感じかなあ、みたいな? とにかく可愛いんだよ。見た目も性格も」


「なんで暁斗ばっかり充実してんだよ。本当に世の中不公平だな」


「そう言われてもな……」


 まあ確かに最近の俺は、海奏ちゃんのお陰で比較的充実した毎日を送っていると思う。


 あとは……


「あとは給料が上がってくれれば、助かるんだけどな」


「確かにな。オレ今月特にキツいわ」


「営業部で残業代稼がないと」


「そうだな。そうするわ」


 給料に対する愚痴を言い始めると、俺も大悟も長くなる。


 そうなる前に残りのビールを飲み干して、俺たちは帰ることにした。




 大悟の異動が決まって2-3日の引継ぎ期間を経たあと、大悟は俺たちのフロアーからいなくなり営業部のフロアーへ移動した。


 俺の席からは隣の財務課の様子がよくわかるのだが……あきらかに課内がバタバタしている様子がわかった。


 特に菜々世が半分パニクっているのがよくわかる。


 いろんな資料を取りに行ったり電話をかけたりしている。


 おそらく大悟にわからないことを訊いているんだろう。


 俺は今週は比較的時間に余裕があるので、できれば手伝ってやりたいのだが……経理と財務だと仕事の内容が随分違う。


 おそらく手伝えることは少ない。


 菜々世大丈夫かな……そんな心配をしながら、お昼休みに弁当を持って休憩室に向かう。


 すると今日はそこに、いつもはいない「偉い人」が電子レンジの前で立っていた。



「あれ? 篠原部長。どうされたんすか?」


 経理財務部の親分、篠原部長だった。


 俺と岩瀬課長の上司でもある。


「ああ、山中君。この電子レンジの使い方わかる?」


「ええ、もちろん。弁当を温めるんすか?」


「うん、そうなんだ。コンビニで温めてもらえばよかったんだけど、忘れてしまってね。この『お弁当』のボタンでいいの?」


「はい、いいんですけど……それ、ちょっとデカイっすね。ちょっと長めの方がいいかもです」


 俺はレンジのボタンを押して600wに設定、10秒のキーを4回押した。


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