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 閑話休題。今回のテルディラの訪問もそうした地固めの一環ではなかろうか。ナジュマはヒネビニルの手紙をテーブルに戻して頭が痛そうに苦めの茶を求めるテルディラを見遣った。

「で?」

「何かしら?」

「こっちの台詞さ。何か用があるんだろう?」

 公爵派閥で認められ、女達の中でどんどんとその勢いを増していくナジュマを得、テルディラ達が忙しくない筈もない。のんびりダラダラしているのはナジュマばかり、義母義妹はいつだって忙しそうだし、最近など邸内で工事まで始まった。(ヒネビニル殿との住まいになるのかな?)とごろ寝しながら手紙に書こうか否かと思っていた矢先のテルディラの訪問で、しかも彼女はにこやかだがどこかピリついていたのだ。

 ナジュマは暇だし、女達と会えるのは楽しいし、テルディラが企むことなら面白そうなので否やはない。むしろ率先して教えてほしい。

「ネビお義兄様からの手紙よりは面白くないわ」

 問いかけた途端半眼になりぶすくれたテルディラは猫みたいで可愛らしかった。……と以前言ったら「ヨナにも言われたわ。長毛の不細工な猫に似てるって」と返されたことがあるので敢えて黙る。ヨナビネルは多分「毛がふさふさした猫に似ている」などと普通に褒めたのだろうが、テルディラの中では鼻ぺちゃな猫に変換されたのだろう……。

 ナジュマは不細工な猫など本では見たが実物を知らないので、見せてほしいと縋って怒られたのも記憶に新しい。とにかく、テルディラには嫌なことがあったらしかった。

「貴女にお誘いなの」

「どちらから?」

「王家から」

 ぱちくりとナジュマは目を見開いた。王家だって?

「わたし、王太子は撃退してきたつもりがあるんだけどな?」

「貴女どこで何をしてきたの? それはともかく、王太子ではなくて別口からよ」

 テルディラは侍女が差し出す銀盆からその手紙を嫌そうに摘まんだ。

「王太子妃メラービルよ」


 現王太子妃メラービルは、元々男爵家の令嬢であったという。下位の男爵とはいえ、レベッロ卿は実に商売ごとに強く、気付けば一代でその身を立てた。他者も見習うべき逸材と言えよう。

「金満な男爵家から生まれた王太子妃、ねえ。この国はある程度ガチガチの階級社会かと思っていたけれど」

「勿論そうよ。物事には順序というものがありますからね」

 普通ならば、退けられる。それでもとなれば高位貴族に段階的に養子入りし、教育を施されたのち義理親という身内を引き連れて正当に嫁入りするべきである。──テルディラのように。

 しかし、メラービルは順序の省略を許された。何故か。

「王家の評判が既に悪すぎる為よ」

「あっ、わかった、嫁の来手がないってやつだ」

 ナジュマが手を叩くのにテルディラは頷いた。メラービルが王太子とわりない仲になった時点で第二王子ガザールが廃嫡済みであり、その理由が実に馬鹿馬鹿しい。何せこのテルディラとヨナビネルとを貶めようとしたのだ。……アルティラーデの中身のない嘘を信じ込んで。

 ガザールはヨナビネルの美貌を実に気に入っていたが、反してヒネビニルを蛇蝎の如く恐れて避けに避けていた。自分の側近にならぬ、いやヒネビニルの存在を思えば絶対に近付けたくないヨナビネルを好意の分憎み、彼の婚約者である子爵家令嬢を横から奪うことで鬱憤を晴らそうとしたのである。

 低位貴族の中で羨望の的となるほどの玉の輿を予定していたテルディラ──の知名度と名誉を、本人が表に出てこないのをいいことに掠め取っていたアルティラーデは、その嘘が幸いしてガザールの目に留まった。

 こうして最低最悪の二人は手に手を取って成功する筈もない未来へと一歩を踏み出し、当然のように嘘を剥がされて地に堕ちることになったのだ。ガザールは王位継承権を剥奪されて辺境の一兵卒に、アルティラーデは奴隷として国外に。これほどぺらぺらの嘘で取り返しのつかないところまで進んだ事件、そうは存在しない。

 あまりの間抜けさに将来性のなさすぎる王家としては唯一であろうと揶揄されるほどで、だからこそ水面下で王権譲渡の話が進んでいるのだ。

「とはいえ、あくまで一部貴族間での水面下の話であるし、王家と低位貴族は知らないこと。レベッロ卿が子供の為に動こうとするのは一般的なことなのでしょうね」

 レベッロ卿は本当に一商人として出来た男だ。しかし悲しいかなその才は、殊実子には発揮されなかった。

 子供を虐待する親は世の中に多いが、真逆に子供に甘い親も世の中には多いもの。つまり、レベッロ卿は娘の教育に失敗していたのである。

「将来の見込みのない王家に対して賭けに出る貴族はそうはいなくてよ。つまり敵がいないのだからと自ら乗り出してこれるほど、王太子の周囲にはめぼしい令嬢がいなかった。王太子妃殿下は自ら金満な実家を売りにして、多額の持参金を抱えた上で王家に嫁したわけね。実際彼女以外で嫁ごうとする貴族家はいなかったの。皆頭がまともですから」

「言うわねえテルダ」

「貴女にしか言わないわナジュマ」

 ほほ、と笑うテルディラはどう見たって立派な高位貴族夫人であるが、件の王太子妃はそうではないのだろう……。そうであるならば、テルディラはもっとそれ相応の表現をしている筈だ。

「で、呼び出しには応じるべきなの?」

「どちらでもいいわ。王家が何をしようとももう勝ち目などないのだから」

 現王家にはその終わりが示されている。気が付いていないのは王族ばかり、次代は公爵家が担うことと既に貴族院で内定していた。……正式に通知されていないのは内定であることと、その内容を理解出来ないであろうという非情なまでの見限りだ。

 王家への信頼のなさ、反して盛り上がり尊き血の揃う公爵家。舞台はきちんと時間をかけて、とっくのとうに誂えられている。

「じゃあ、行ってみようかな」

「では護衛を」

「最低限にしてもらっていい? なんなら隠密を付けて」

「……何をする気かしら?」

 不可思議な顔をするテルディラはやはり猫のようで可愛らしいと思う。ナジュマはにこにこと笑って秘め事のように口を小さく尖らせた。

「わたしとしてではなく、商人としてお邪魔しようと思うの」


 あのね、メラービルなんて女、ルゥルゥが生きる予定だったこの国の運命の中には存在しなかったんだよね。


 細い目がきゅうっと細くなってナジュマを見る。ナジュマの言葉の本質を見定めるようなその目に──ナジュマはやはり猫を感じてにんまりと口角を吊り上げた。

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