そうこうして半年が経った頃、突然だが前倒しでグランドリー王国に向かうことになった。

「すまんなあ」

「いや、こちらこそ余計なことをしすぎてしまったようだ、申し訳ない」

 ナジュマは離宮でごく普通に暮らしていた。ナジュマにとっての普通のつもりだったそれは、つまり皇帝から差配された侍女から下働きから、上から下までの完全攻略である。言うなれば当然のように離宮を完全掌握してしまっていたのだ。

 正直なところ母国では当然のことだったので、ナジュマ自身は元よりルゥルゥだってなんの問題にも思ってはいなかった。ルゥルゥに言わせれば「姫様に傾倒しない人間はいません!」ということなのだが、これが過大評価ではないのだから仕様もないといえばない。

 しかし、他国皇宮でそれはいただけないことである。彼らの主は皇帝と皇后の二人だけ、その間に公然とナジュマが入っていい筈がないのだ。

 更に面倒が発生した。ナジュマに傾倒した中に専任の家庭教師がおり、彼女が偶然行き合った皇太子に如何にナジュマが素晴らしい女性かということを切々と語った為、面白がりの皇太子が興味を持ったそうなのである。

「本当にッ! 本当に申し訳ッ! ございませんッ! わたくし、わたくし真に姫様が素晴らしい方でいらっしゃるとッ!」

 家庭教師はまさかの出来事に涙ながらに平伏していた。如何な皇太子とはいえ、己の従兄へ嫁入りする女に手を出そう筈がないと思ってのことであったらしい。

 しかし相手は皇太子という身分を持つ皇子であり、彼が実際手を付けようが手を付けまいが、『周りにそうと見られること』自体が大問題なのである。よって、つまりは早よ逃げろというサンスクワニの好意で突然の移動と相成ったのだった。なお、皇太子はサンスクワニの差し金で現在遠隔地への視察に出されている。

 わー! 出来がいいのは前世とか素養とか色々だろうけど自分じゃなんとも言えないな! とりあえず母国の習慣に偏らない前世と後宮ごちゃ混ぜ知識を前提に、単に飲み込みが早いだけ! ある意味混沌! あとね! 皇帝似じゃないっていう話の面白がりなだけの息子に興味ない!

「これも仕様のないことだよ、あまり泣くもんじゃあない。貴女の授業はいつでも新鮮な驚きに満ちていて楽しかった。本当に有難う。また享受に足る機会があればいいのだが、こればかりは無茶を言えないな」

 ナジュマは家庭教師の手を取って立たせると、ルゥルゥから手巾を得てその涙を拭った。家庭教師の顔はたちまち熱を持つけれど、重ねて言うがナジュマには当然のことすぎてその変化を特別なことと認識出来ない。

「誑すな誑すなー、ひとんところの臣下を誑すなー」

「タラス?」

「まぁ、私この続き是非見たかったわ……」

「俺もこの有り様はともかくこいつを気に入ってはいるが、ヒネビニルの縁遠さの方が深刻なんだ……」

「それは本当にそうですからねぇ……」

 本当にナジュマの周囲の落とし方を見たいだけの皇后が悔しそうに言うが、夫婦揃って皇太子の相手よりヒネビニルの相手のなさの方が深刻だからと渋い顔をしている。

 毎度毎度この反応なのだが、ヒネビニルはそれほどまでに駄目な相手なのだろうか? 絵姿すら見たことのないナジュマには何ひとつわからない。

「そんなに醜いとかなの?」

「ただ単に厳ついだけなのよ」

「ただ単に俺より一回りデカいくらいだ」

「じゃあ別に問題なくない? チビデブハゲガリヒョロじゃあないっていうし、わたし顔にこだわりないし」

 美しい顔ならわたしの顔で足りるし、わたし生まれてからこの方美しい女達に囲まれて生きてきたから、今更美しさを必要とはしていない。どんな芋でもこのナジュマの隣に置けば反射で輝く芋になるさ。

 飄々と言うナジュマに皇帝夫妻は顔を見合わせて頷いた。やはりこの娘以外にはないと。

「あちらにはもう知らせを出してあるから大丈夫、お前は悠々と乗り込めばいい」

「落ち着いたら是非近況を知らせてちょうだいね。絶対面白そうだから」

 二人に引き連れられ、ナジュマは離宮の前庭を堂々と歩いた。道すがら頭を垂れるのは離宮の使用人達で、皆涙ながらにナジュマを送ってくれる。

 と、ルゥルゥが大きな箱をガチャガチャ言わせながら走り寄ってきた。

「ルゥルゥ、どうだった?」

「はい、問題ございません! 姫様のご希望と伝えましたら山のように融通していただけました!」

「ちょっとでいいんだけど」

 笑い合う主従に皇帝夫妻は首を傾げているが、これはあくまで保険の品なのでわざわざ言うほどのことではない。

 ルゥルゥと共に馬車に乗り込もうとしたところでサンスクワニがおもむろに話し始めた。

「ついでに言っておくが、グランドリー王国の王太子には気を付けろ。お前なら構わないだろうが、自分の利益になる女なら横から奪おうとするだろうから何かしら手を出してくる筈だ。昔は捻くれていたもんだが、最近は逆に増長していやがる」

「わあ、なんて性格が悪いんだろ。お名前は?」

「ギーベイ・グランドリー」


【ギーベイ・グランドリー】

 グランドリー王国王太子。明るく勝ち気な第二王子の影に隠れて目立たない存在であり、攻略後はヒロインと離宮で生涯蜜月を過ごす──筈だったが、第二王子が廃嫡され王太子の地位が盤石となったことを皮切りに図々しくなり、生来の性格の悪さが出てきて評判が悪い。王室の慢性的な金欠が為王太子妃選びに難航し、金満な低位貴族令嬢を妃に召し上げた。


(こんな攻略対象者は駄目だろ……)

 うんざりした顔を隠せなかったが、サンスクワニは嫌な情報を得た為と理解したらしい。

「気を付けろよ! あとヒネビニル達によろしくな!」

 夫婦揃って馬車から離れ手を振ってくれるのに、ナジュマもとりあえず顔色を戻して手を振った。短期間ではあったが皇帝夫妻は大変よくしてくれたものだ。落ち着いたらきちんと手紙を書こうと心に決める。

(それにしたって第二王子はどうしたんだ?)

 何があったのかあとで見てみないと。ついでに何かを忘れている気がする。……興味がないと面倒ですぐ忘れてしまうからなあ。ナジュマのちょっと悪い癖だ。

 それにつけても、『攻略すると離宮で二人きりの生涯を送る』とはどういうことだろうか。王室の人間なのだから国政があるのでは? グランドリー王国は絶対君主制ではないと学んだが、それでも王は国の代表としての責務がある筈だ。

「……わからん」

 とりあえず、王太子は気弱で卑屈な質と見た。強い女はお呼びではなかろうから予定どおりに行こうではないか。

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