06 チーズのおいしい村

 フロマは、剣先のように鋭い岩山のふもとにある高原の村である。

 村の空気は澄み渡り、暮れなずむ夕陽によってカーネリアンの原石のような美しいオレンジ色に染まっていた。


 空に光が瞬いたかと思うと、ひとすじのほうき星となって村の広場に落ちる。

 着地の衝撃はわずかで、あたりに砂埃を舞い上げる程度であった。


 消え去った光の跡に立ってたのは、ひとりのオッサン。


 長身で鍛えあげられた身体。シルバーの長髪をオールバックにして、後ろ髪を結ったヘアスタイル。

 顔つきは厳つく無数の傷跡があり、切れ長の瞳は小さく鋭い。


 その風貌は幾多もの修羅場をくぐり抜けてきた一匹オオカミを思わせたが、服装はビビットなビタミンカラーでまとめられていた。

 オレンジのジャケット上下にワイシャツ、マスタードの蝶ネクタイ。

 腰のベルトにナイフを携えていなければ、花の都のファッションショーから抜け出してきたと勘違いされそうなイケおじであった。


 オッサンの足元にはミニスカメイドの格好をした少女が転がっている。

 少女ははだけたメイド服を片手で押さえ、もう片手で虚空を掻きむしっていた。


「ちょ、やめろって! あたしは掃除しに来ただけだし! 誘ってなんかねーよ!」


 しかし急に手ごたえがなくなったとわかると、「あれ?」と虹色の瞳にハテナマークを浮かべていた。


「……あれ? ここ、どこ……? うわっ、オジサン誰っ!?」


 少女はオッサンを見るなり飛び退いてたが、すぐに正体に気づく。


「……あ! もしかして、Vさん!? あたしマドカだよ、覚えてる!?」


「ええ、覚えていますよ。しかし、私のことがよくわかりましたね。あの時はずっと被り物をしてたのに」


「わかるって、オーラがハンパないもん! って、そんなことよりここどこ!? あたし、王都にある屋敷で掃除のバイトしてたんだけど!」


 マドカによると、脚立に乗って窓を拭いていたら、その屋敷の主人である脂ぎった中年男に脚立を倒され、ベッドの上で襲われたらしい。


「それは災難でしたね。でももう、危ないバイトはしないんじゃなかったんですか?」


「いや、普通の掃除のバイトだと思ってたし! でもあのクソオヤジ、普通のメイドはそんなとこまで掃除しない、パンツ見せて誘ってんだろとか言いだしてさ!」


 マドカはプリプリしていたが、すぐに肺を満たす感覚がいつもと違うことに気づいて息を深く吸い込んだ。


「なんかここ、空気超うまくない? 空気がうまいって初めてなんだけど! もしかして、Vさんがここへ呼んでくれたの?」


「ええ。お礼をしたくて」


「お礼? なんの?」


「マドカさんのおかげでふたたびアストルテアを訪れる勇気が出たんですよ」


「そうなん? なんかよくわかんないけど……。ってか、お礼を言うのはあたしのほうだし! だって危ないとこを助けてもらったのはこれで2回目だからね! サンキュ、Vさん!」


「礼には及びません。ここでこうしているのもなんですから、酒場のほうに参りましょう。お腹は空いていますか?」


「実を言うと、超ハラペコだったんだよね。あ、でもあたしお金ないよ?」


「それなら大丈夫です。お礼として、今日はごちそうさせてください」


「えっ、でも……」


「このフロマはチーズがおいしい村なんです。ヒツジもいっぱいいますし、妹さんへのいい土産話になると思いますよ」


 ふたりはいま村の中央広場にいるのだが、まわりには人の姿はほとんどなく、かわりに放し飼いの羊たちがうろついていた。

 丸太造りのこぢんまりした家がまわりに建ち並んでいて、藁の匂いに混ざってチーズの焼けるいい匂いが漂ってきている。


 鳴りはじめたお腹に、マドカは頬を染めていた。


「じゃ……じゃあ、今日はおごってもらおっかな!」


「では、参りましょうか」


「うわっ、ヒツジもっこもこでかわいい! ちっこいヒツジもいっぱいいる! あはっ、あたしの指ペロペロしてるし! 超かわいいーっ!」


 はしゃぐマドカを連れてVが向かった先は、村の通りに面した二階建ての建物。

 軒先にはビールを模した木の看板が掛かっていて、中からは賑やかな声が聞こえてきている。


 Vがスイングドアを押し開けて中に入ると、そこは酒場だった。

 内部は吹き抜けになっていて、中央には大きな暖炉。煙突は二階の天井までそびえている。

 一階は木のテーブルが所狭しと並べられていて、武器を携えたむくつけき男たちが木のジョッキを酌み交わしていた。


 そこは明らかに地元の酒場で、客のガラも良いとはいえない。さらにVは顔なじみではなかったので、入るなり酒場じゅうの者たちが注目していた。

 よそ者が珍しいのはもちろんだったが、それ以上にVの派手な格好が好奇の目を集めている。


 しかしVは物怖じしない。ランウェイを歩くモデルのような堂々とした足取りで、店の真ん中にあった空席に向かう。

 椅子を引いてマドカに勧めると、マドカは「サンキュ」と脚を組んで座る。

 ヒザ上丈のスカートから白い太ももがチラ見えして、男たちの視線をさらにさらっていく。


 Vは対面にある椅子に斜め座りすると、寛ぐように背にヒジを置きながら、その手をカウンターに向かって挙げた。


「おすすめの料理をお願いします。あとはミルクふたつ」


 緊張を破るように、隣の席からどっと笑い声が起こった。


「おいおいオッサン! 酒場に来てミルクはねぇだろうが!」


「ガキみてぇなもん飲んでんじゃねぇぞ! そっちのお嬢ちゃんはともかくな!」


「そっちのお嬢ちゃんはむしろ、俺のミルクを飲ませてやりてぇなぁ!」


 隣の席にいた男たちがからかい、席を立ってさらにチョッカイを掛けてこようとする。

 しかしVが一瞥を投げただで、まるで鋭利な刃物を喉元に突きつけられたかのように動けなくなっていた。

 店主がふたつのジョッキをトレイに乗せてやってくる。そのジョッキをVとマドカの前に置きながら、小声でささやきかけた。


「まわりのヤツらのことは気にしないでくれ。『腕輪持ち』がうちの店に来るのは初めてだから、歓迎するよ。この村のチーズは絶品だから、ぜひ食っていってくれ」


 それから数分後、テーブルにはチーズを使った様々な料理が所狭しと並べられた。

 粉チーズのたっぷりかかったシーザーサラダ、チーズパイに揚げチーズ、チーズの入ったソーセージ、スキレットに入ったフォンデュのような付けチーズなどなど。


「うわっ、超うまそーっ!?」


「じゃ、頂きましょうか」


 マドカは瞳を星雲のごとく輝かせて料理を眺め回していたが、Vに声を掛けられて居住まいを正す。

 組んでいた脚を解き、ふとももをピッタリと揃えて座りなおした。


 そしておもむろに、両手を不死鳥のように広げる。

 いまや彼女の一挙手一投足は注目の的。静まりかえった酒場のなかに、手を打ち合わせる音だけがパンと響きわたった。


「いっただっきまぁーっす!」


 おごそかな雰囲気からの、にぱーっとした笑顔の合唱。

 マドカはやにわに、目の前にあったメインディッシュを手に取る。


 それは串に刺したチーズを暖炉の火であぶり、バケットの上に載せた焼きチーズであった。


 まだアツアツのそれに、何度か息を吹きかけてからかぶりつく。

 ほどよく焦げたバケットが、サクッと香ばしい音をたて、そのあとにとろけたチーズが糸を引く。


「う……うまっ!? なにこれなにこれなにこれっ!? 超うまーっ!?」


 極限まで伸びたチーズはぷつんと切れ、アゴから垂れ落ちる。

 でもそんなことはおかまいなし。口に入れたチーズはちょっと熱かったので口の中で冷ましながらさらに頬張り続ける。


「うまっ! あふっ! はふっ! ほうっ! うまうまっ!」


 本人はその自覚はないのだが、マドカは街を歩けば誰もが振り返るほどの美少女ギャルである。

 そんな彼女が幼子のように料理をフーフーして、ハフハフしながら食べ、口のまわりをベタベタにしている姿はすさまじい破壊力があった。


 とうとう椅子から立ち上がってまで、マドカの食べっぷりを見る者が出はじめる。

 となりのテーブルにいた男たちはすっかり見とれていて、「かわいい……」と酔った頬をさらに赤くしていた。


 しかしマドカは衆目などまったく気にせず、歯の裏にへばりつくような濃厚なチーズの味わいに夢中。

 チーズはお酒が進むように塩の効いた味付けになっていたが、化学調味料にありがちな、舌が痺れるような不快さはまったくない。


 まるでこの村の周囲に広がる雄大な岩稜を彷彿とさせるような、芳醇なるしょっぱさ。

 マドカはその味を追いかけるようにジョッキを掴み、ミルクをぐびりとあおった。

 そして次の瞬間、爆発する。


「うっ……うんまぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 見開いた瞳のなかで超新星の誕生のごとき輝きを放ちながら、マドカはVを見つめた。


「おいいしいでしょう? この酒場のチーズは酒と合うような味付けなんですが、ミルクだとさらに合うんですよ」


「うん! やばいやばい! 超やばい! こんなうまいもの、初めてだし!」


 片手にジョッキ、片手にチーズ。止められない止まらないとばかりに食べ飲むマドカ。

 酒場のあちこちから、「ごくりっ……!」と喉を鳴る音が止まらなくなる。

 そして次の瞬間、決壊した。


「お……おい! こっちにもミルクだ!」「こっちもだ! 早くしろ!」「いや、こっが先だ!」


 マドカがあまりにも美味しそうに食べるので、男たちはみなミルクを注文。

 思わぬ特需に店主は大忙しとなった。


 それから小一時間後。

 テーブルにはパセリひとつ残っていない皿の数々と、膨らんだお腹を恍惚とした表情でさするギャルがいた。

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