夜明け⑰(完)
日はまだのぼらないころ、東雲を眺めて白い息を吐きながらも、その肉体は休みなく躍動していた。
一人の青年が、まだ雪の溶け切らない野に出て、土を掘り起こしている。歳の頃は二十を過ぎたくらいだろう。背丈はゆうに大人の男を超え、身に纏った毛皮もあいまって、少し小柄な熊のようにも見えた。
まだ春になったばかりだ。土はかたく、密かに呼吸を始めていたが、まだ浅く、弱い声しか聞こえない。青年は淡々とその土を掘る。春だ。春が来るぞ。鍬が深く土に潜って無理やりに彼らを叩き起こすように、全身で力一杯に、地面を混ぜ返している。
白髪混じりの男が、畑の脇に立つ粗末な小屋から出てきた。偉丈夫であったであろう風格は衰えを見せ始めていたが、その瞳はまだ輝きを失ってはいない。彼もまた鍬を手に、畑に入っていく。
東の空がさらに白んでいき、樹々の梢からはにぎやかな鳥のさえずりが聞こえてくる。朝が近い。
さらにもう一人、二人よりは一回り小さな体の若い女が出てくる。少し眠たそうに目をこすりながらも、同じように鍬を手にする。
「おい、動いて大丈夫なのか?」
白髪混じりの男が尋ねた。
「ええ、平気よ。こういうときだって、少しくらい動いたほうがいいでしょう」
「そういうものなのか?」
男は不安そうに振り返って、青年を見た。
「まあ、動けるなら、動いてもいいんじゃないか。……こんなに気持ちのいい朝なんだから」
東の空に太陽が顔を出したのだろう、森はにわかにさざめき立ち、どこからか鳥たちが一斉に飛び立つ音が聞こえた。地中を水が流れ、樹々がいっぱいにそれを吸いあげて、青々としげる葉が光のなかで喜ぶように揺れていた。
「ね、そうだよね。あたしも今日はなんだかすごく気分がいいの」
女は手を腹に当て、愛おしそうに撫でた。手からは、ほんのりとあわい緑の光が漏れ出していた。
「……お前らがそういうなら、なにも言わねえけど」
荒々しい幾何学の模様が舞い踊るかのようにあわい光は高くのぼって、朝の明るい光に霧散した。ほとばしる陽光に感情が渦巻いて、曖昧な意味に溺れそうになるけれど、光はなお強烈でいて、自然の摂理や秩序などを無視するかのような幻が、朝と夜とを引き裂くような赤々とした歓喜の雄叫びをあげる。朝だ。朝だ。朝だ。
女は再び、腹をゆっくりと撫でた。
「あたしたち、間違っていなかったんだよね」
瞳に朝日がしのびこんで、その奥で遠い昔に隠した宝石みたいに、静かに輝きを放っていた。
青年は、不意にこみあげるものを感じた。
「もちろん、間違ってなかったよ」
彼は鍬を置くと、ゆっくりと女に近づいていく。白髪の男もまた、鍬を畑に放る。
「当然だろう。これしかなかったんだ」
夜明けとともに太陽の光が畑にさし、樹々が長い影を落とした。また、新しい一日がはじまった。
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