夜明け⑦

 冬の間の二ヶ月間は、ほとんどできることがない。

 本来であれば奴隷農場はこの時期、新しい春に向けて開墾を行うため、森の樹々を切り倒す。今年はそれがなかったために、農場の奴隷たちは、はじめての長期休暇を得ることとなった。

 とはいえ、なにもできずに宿舎に閉じこもっているのではつまらない。希望するものには国王のという形で、あらゆるに従事することを許された。奉仕とはいうものの、まったく給金が出ないわけではない。発給ながらも、奴隷として必要な給付品や嗜好品が、働かない者よりもより多く、より上質なものが与えられるようになる。奴隷宿舎という小さな世界に生まれた、ほんの小さな自由だった。

 グレイの農場では、この時期にまとめて人間の排泄物による堆肥作りの準備をするのと、春になるまでの間に酒造りを行う。

 堆肥作りは難しいことはない。街で契約している酒場や宿から、樽にたっぷり入れられた排泄物を回収し、馬車をつかって持ち帰る。それを堆肥を作るための大きな穴へと流し込み、材木屋から仕入れたおがくずと混ぜ込むことで発酵を促す。冬の間はほとんど発酵は進まないが、臭気の影響も少ない。暖かくなるまでに街からの回収とおがくずの混ぜ込みさえ済ませてしまえば、春に発酵が始まっても、それほど臭いは問題にはならなかった。


 グレイは冬至の二日間だけ、奴隷たちには休みを与えた。本来であれば休みなく働くのが奴隷の常であったが、今年ばかりはその働きに免じて、休暇を与えるべきだと思ったのだろう。だが、以外にも街に出たり、奴隷用の小さな宿舎から出ようとするものは少なかった。案外手持ち無沙汰だったようで、二日目にはリリスとトマスがグレイの元を訪ねてきた。

「なにかできる仕事はありませんか。どうにも身体がなまってしまって気持ちが悪いんですよ」

「あたしも、なにかしていないとなんだか落ち着かなくって……」

 グレイは手に持っていた本を脇の机に置くと、睨むようにして強い口調で言った。

「なにを言っている。体を休めることだってお前たちにとっては大切な仕事なんだ。また明日からはたっぷり働いてもらうことになる。今日のうちは宿舎で大人しくしていなさい」

 そういわれると、リリスは肩を小さく狭め、俯き加減にせを向けようとした。

 食い下がったのはトマスだった。

「……ですが、私は昨日いただいた一日で十分に体は休まりました。それゆえ、なにかお役立ちできるのではないかと思い、伺った次第でございます。薪割りでも井戸の水汲みでも飯炊きでも、なんでもお言い付けください」

 トマスはそういうと、再び本を読み始めたグレイに向かって慇懃に頭を下げた。

 グレイは眉を寄せ、部屋にいたマルコを見やった。マルコは頷いた。

「わかった。じゃあ薪割りをお願いしよう。リリスはレナートの食事の準備を手伝ってやってくれ。……他の三人はどうしている?」

「昨日は一日中、大はしゃぎだったようで、今日は三人が三人ともぐったりして休んでいます」

「そうか。まあいい、お前たちも疲れたならいつでも戻っていいからな。では、頼んだぞ」

「はい」

 トマスは外の薪小屋へ、リリスはレナートのいる調理場へと向かった。


 冬が終わり、春が訪れた。畑の小麦たちは寒い冬の休眠の時期を過ぎると、あたたかな風に青々とした葉を揺らし始めた。街では花が咲き乱れ、快い陽気を謳歌するような鳥の声で空が埋め尽くされた。グレイの農場は怖いくらいに、なにもかもが順調だった。

「そろそろ休憩にしよう」

 マルコが奴隷たちに声をかけると、彼らは手を止め、プラタナスの木陰の方へと歩いていった。ただ一人、トマスだけが休まずに畑のなかをちょこまかと動き回っていた。春になると小麦の脇からたくさんの野草が生えてくる。肥えた土では、あっというまにそれらは大きくなるため、はやくに手を打たなければ、本来は小麦に蓄えられるはずの栄養分までそれらの野草が奪い取ってしまう。エルフの血がかれらの囁きを逃すことはないため、小さな芽ですら逃さず綺麗に摘み取っていく。トマスだけは、目と、その視力を頼りに見つけ出し、手足の機敏さをもって他の奴隷と同等の成果をあげていったが、それでは満足しないらしかった。

 マルコが畑に立ち入り彼に近づくも、どうやら気づいていないらしい。

「なあ、トマス。休憩だ。残りは午後にやるぞ」

「おらは平気です。まだまだ働けます」

「お前が働き者で、今の季節や収穫の季節には誰よりも役に立つことはわかっている。でも、休むことだって大切だろう。午後からもうひと頑張り頼む」

「……はい、わかりました」

 そうはいったものの、少年は手を止めることなく脇に生えた小さな草をむしり続けていた。しばらくはマルコも横に立って彼を見ていた。観念したのか、あるいは切りがついたのか、彼は日によく焼けた腕で額を拭ってからマルコに一礼して、プラタナスの木陰へと歩いていった。


「やはり、考えなければならないかもしれないな」

「うん、トマスのことでしょ」

 アリアンとマルコが視線を交わした。二人は共通の認識を持っていたものの、レナートだけが何の話だと首を傾げていた。

「なにか問題でもあるのか。あいつほどよく働くものは他にいないだろう。それに、頭だっていいし、体力だって申し分ない。優秀な奴隷だ」

「レナート、僕だってもともとは奴隷だよ。彼らだっていつまでも奴隷のままでいてもらうわけにはいかないんだ。自分で考えて、自分で選び、自分で生きられるようにならないと」

「どうしてだ? お前はともかくとしても、あいつらはこれからも奴隷だろう」

「よく考えてくれ」

 今度はマルコが語調を強めて、半ばレナートを咎めるようにいう。

「彼らはすでに俺たちと同等か、それ以上の働きをしている。それなのにいつまでも奴隷のままにしておけると思うのか。人間は知恵を用いることができる。彼らは魔力を用いることができる。それぞれが協力し合うのならば、それぞれが認め合わなければ、そんな関係は長続きしない」

「どうしてだ。今までだってそうだったのだから、これからだってそうだろう。監視人だけじゃない、市民たちにはみな力がある、武器がある、団結がある。それで今まで奴隷を支配してきたのだから、これからだって難しいことではないはずではないか」

「奴隷の力を借りるということは、彼らの力を最大限に発揮させるということだよ。力を発揮させるということは、彼ら自身に力を持たせることになる。対等の関係を築けないのであれば、そこにあるのは、奪うか、奪われるか、つまりは闘争だけだ」

「闘争か、上等じゃないか。市民も監視人も強い。それでいいではないか」

「……なら、レナートは僕と殺し合いがしたいの?」

 アリアンの言葉に、レナートは沈黙せざるを得なかった。

 共に過ごすようになって一年が経とうとしていた。アリアンの力が農場の繁栄に多いに役立つというだけの話ではない。ともに働けば当然のようにそこには情が生まれるし、かつで奴隷だったはずの彼に対して、ある種の敬意すら抱いていた。たとえば腰からさがる鞭をもって彼を打つことができるか。あるいは、他の奴隷たちですら、今となっては打つことができるのか。ましてや斬り殺すことなど言語道断、想像すら及ばないではないか。

「僕はね、レナート。本音をいえば奴隷の生活だって構わなかった。たしかにあの農場での生活は苦しかったけど、単純でもあったから。リリスがいっていたんだよ。自由なんてこの世界に本当にあるのかって。まったくその通りでさ、僕からしたら奴隷の生活にも監視人の生活にも、自由と呼べるようなものはないって気がしていたんだ。でも、もしかしたら違う未来があるのかもしれないって。協力を頼まれてはじめて思った。なにかが変わるのかもなって」

「その違う未来ってのが、……人間と奴隷たちの協力だと」

「……どうかな、僕にはまだわからないけれど。未来はそれほど暗くないのかもしれないと、そう思いたかったんだろうね。それが僕にとってはマルコだった。暗い宿舎のなかで、小さな蝋燭ひとつもって部屋の前に立った、よくみる監視人のうちの一人に過ぎなかったこの男だよ」

 アリアンはマルコを見た。彼は視線をそらし、奴隷たちの集うプラタナスの木陰を遠く眺めた。

 奴隷たちはもはや奴隷と呼ぶには相応しくない様子で、和気藹々と言葉を交わしながら食事をとっていた。一年経った今となっても彼らとの関係は対等と呼べるものではなかったものの、着実に近づいているのは確かだ。

 レナートが一番、それを肌身をもって感じていた。その名も覚えていなかった奴隷たちが、名と顔とを覚えただけでなく、それぞれの能力や特徴、個性や性格などまでも理解するようになった。

 ——ってのは、なんだったろうか。

 レナートも、マルコにつられるようにしてプラタナスの木陰をみやった。四人で食事を囲んでいたが、トマスだけが離れて食べていた。輪に加わるのを避けている。ようやくレナートは理解した。

「そうだな、悪かった。トマスの話に戻そうじゃないか。あいつ、奴隷たちのなかでも浮きはじめているよな」

「それもそうだけど……僕は、そもそも彼が力を発揮できないことに大きな原因があるんじゃないかなって。馴染めないのも、働きすぎるのも、彼がああして焦っているのもさ」

「俺も同感だな。彼からすれば、いつのまにか自分が奴隷たちのなかで一番の役立たずになってしまったとでも思っているのだろう。どうにか自信をつけさせてやらなければならない」

「とはいっても、人間であれだけ仕事のできるものもそういないだろう。なら、それでいいんじゃないのか」

 レナートが言う通りだったが、それを本人が理解していないのでは意味がない。この厄介ごとに頭を悩ませていたものの、それでも事が上手く進んでいるのは確かで、トマスへの懸念だって、そう長くは続かないだろうと高をくくっていた。

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