観葉植物と家族会議

甲斐露太郎

観葉植物

 セミの鳴き声が好きです。大きければ大きいほど良いです。子孫繁栄のためまっすぐに命を散らす音をとびきり美しいと感じます。ダンゴムシも好きです。身の危険を察知すると、きれいな球体となってただじっと耐える姿に、愛おしさと共に愚直なまでの生への執着を感じます。しかし私の生きる息苦しい小さな世界では常に彼らとの間に隔たりがあり、代わりに彼らとは真逆の醜い生き物が存在しているのです。

 私は観葉植物として人間の家族と共に生きています。成熟した人間である父親と母親、それからまだ小さい一人の子供(オス)はいつも私に生きるのに必要な水を与えます。私が園芸店で売り物として並べられていたときには周りが私よりもおおきな植物だらけで知らなかったのですが、私は観葉植物の中では大きいらしくこの家に住む子供の背丈と同じくらいの高さがあります。家族の巣として使われる「家」は私の生きる世界そのものであり、世界をかたどっている白い壁と天井は私を縛り付け、閉塞感を与えています。食卓のすぐ近くの壁際に私は置かれていて、その壁には大きな窓がついておりいつも私は外の世界の様子を眺めています。そうして虫を見つけることがなによりも好きなのですが、外の虫が気持ちよさそうに浴びている太陽の光を羨ましく思っても、窓一枚通しただけでどんよりとした重さを伴う鈍い光に変わってしまうのでした。


 思えば私はこの家にやってきたその日から三人に疎まれているような気がします。まず夫婦に買われ家に運ばれた直後に二人の口から不満の言葉が飛び出しました。

「最悪。大きすぎるんだけど」

「君が欲しいって言ったんだろう。家に来る客に見くびられないように大きなほうがいいって意地を張っていたじゃないか」

「そんなこと言っていないわ。元はと言えばあなたが部屋にナチュラルな高級感が欲しいって言いだしたのが最初でしょう」

 二人の口論はなかなか止まりません。しびれを切らしたどちらかが言い出しました。

「家族会議をしない?」

 この家族には、衝突したら必ず家族会議を開くというルールがあるということをこのときはじめて知りました。彼らは隠し事をせず三人で話し合えば何でも解決できると考えているのです。食卓に集まり、中身のない無意義な会話をしてなにもなかったかのようにしてしまう。最適解を求めるのではなく家族全員で決めたという事実を彼らは欲しているようにみえました。結局その日は私を一番空間に余裕のある窓際に置くということになりました。あれから今まで彼らは私に関心を向けたことは一度もありません。

 その後も幾度となく家族会議は開かれることになります。

 テレビのチャンネルを変える権利について。食事の後の食卓を最後に拭くのはだれにするのか。エアコンの設定温度について。旅行の行き先はどうするか。飼っている猫の餌やりの当番について。子供の学業の成績不振をどう挽回するか。母親の散財について。父親の浮気について。子供のいじめ被害の発覚について。

次第に母親は泣き叫ぶことが増えて、父親は暴力を振るうようになりました。子供はというと耐えるようにじっと椅子に座り押し黙っています。そんな中でも彼らは必ず「会議」ではなく「家族会議」という呼称を使い続けていました。家族会議で彼らが吐き出す当たり障りのない言葉はこの世界の内部を腐敗させるのと同時に、「家族」の輪郭を保つ空気を醸成していたのでした。私は少し離れたところから家族会議をぼんやりと眺め、息苦しさがこの小さな世界にさらに充満してゆくのを、空気を吸ったり吐いたりするごとに感じています。

私にはなぜ彼らが「家族」という概念を大事にしているのか理解できません。窓から眺める虫たちのそのまっすぐな生き方には必要ないように思えますし、実際三人を見ていても成功しているとは言えなかったのです。あまりにも曖昧で脆くいびつな関係が不思議でなりません。



窓から子供がポツンとしゃがんでいる姿が見えます。彼は地面を呆けたように見つめています。今日は天気が良くポカポカとした陽の光がふりそそぎ、外の世界の生き物たちは皆その光を享受するように嬉しそうにあっちこっちに活動しています。子供はその中のダンゴムシをちょんとつついてあそび始めました。ダンゴムシはすぐに丸くなります。すると彼は親指と人差し指で球となったダンゴムシを挟んでゆっくりと感触を味わうようにすりつぶしました。指の先が桃色になるほど彼は力を込めて二本の指をこすり続けています。ダンゴムシは静かに絶命して彼の手の中で灰色の粉と化しました。太陽の光をダイヤモンドのように反射させた粉がパラパラと指と指の隙間から落ちてゆく様子を、私は眺めていることしかできません。二匹目、三匹目と数が増えるごとに殺生は無造作にそして機械的になっていきます。

この家で飼われている猫もその様子を私と同じ窓から観察していました。

この猫は私と違い、家族皆から可愛がられ大切にされています。彼には名前もつけられているのです。しかし猫はあの三人に対して恩義や忠心などはおよそ持っておらず、彼らを存分に利用する生き方を選んでいます。眠い時に寝て、空腹を感じたときに食べるそのまっすぐな生き方に私は憧れていました。


いよいよ潮時かな。この家族はもうじき完全にダメになる。俺は今日この家を去ることにするよ。色々物騒になってきて身の危険を感じる。俺が出た後にきっと家族会議が開かれる。そしてペットの喪失が家族崩壊の決め手となると思うよ。


淡々とダンゴムシをつぶす子供を窓から見ながら猫は言いました。それなら出ていく前にあの子供の残酷な行為の意図と意味を教えてください、とお願いすると猫は口調を変えずにこう言います。


 あの子供は居場所がなくなると同時に周りから自分を守る方法を失ったんだよ。刺激を受けるとすぐに丸まって自分を防衛できるダンゴムシが心底妬ましかったのだと思う。だからたくさんの虫の中でダンゴムシだけ殺していたんだ。


 なんということでしょう。もしそうだとすると人間も虫のまっすぐでひたむきな生き方に心を動かされたということです。そう思うと、陽だまりの中で子供がダンゴムシをつぶしていたあの光景が途端になんとも美しく感じられました。

 

 猫の言った通り彼が去ってすぐに家族とこの小さな世界は終焉を迎えました。家族会議では猫を逃がした責任の押しつけあいが行われ、しばらく罵声の応酬が続きました。最後には父親がやはり暴力を行使し、耐えきれなくなった母親は子供を連れて家を飛び出したまま帰ってきませんでした。アルコールの成分を漂わせている父親も次の日には荷物を小さくまとめて家を出ていきました。











 彼らがいなくなってだいぶ月日がたったように思います。昼、窓から差し込む光が彼らの遺した数多の散らかった人工物を優しく照らし続けてます。それらは持ち主がいなくなり役目を終えて前の世界の化石として静かに眠っています。家族会議で使われていたあの食卓も埃の布団をかぶって、訪れた静寂を堪能しています。あまりにも静謐なこの空間では、眠っているものたちの安らかな寝息が聞こえてきそうです。生まれ変わった世界で私は息苦しさや束縛から解放され、私を押し込めていたはずの天井や壁はどこにも見えません。突き抜けたような青空の下にただ一つの生物として生きている実感が私の細胞一つ一つを歓喜させています。窓の外から眺めるだけだった私の大好きな虫たちとも、今では同じ世界を生き、優しく暖かい太陽の光を共有することでなんだか友達になったように思えます。

私に水を与える存在はもうありません。私の体はゆっくりと、しかし確実に朽ちてゆきます。そこに苦痛や恐怖は無く、生気が横溢し循環するこの星の大河と徐々に溶け合う感覚にただ身をゆだねています。

 ああ、どこからかセミの鳴き声がきこえてきました。私はこんなにも幸せでいいのでしょうか。

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観葉植物と家族会議 甲斐露太郎 @kiwou

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