5章 道⑪


 霊病科に配属されて一年。


 ダイニングテーブルで朝食を取り、素早く皿洗いを済ませると、歯を磨いて春物のコートを羽織る。


 慌ただしく鞄を肩にかけ、靴を履き、ドアノブに手をかけたときだった。すうっと温度が下がり、背後でなにかが蠢く気配がした。


 彼女はこうして、ときどき現れる。


 一叶は前を向いたまま、笑みを浮かべて言った。


「行ってきます、お母さん」


 ドアを開けると、青空が広がっている。一叶はぽかぽかした陽気に飛び込むように、家を出た。




 白衣に着替えた一叶は、この先もお世話になる配属先に向かっていた。

 B館へ続く廊下を歩いていると、後ろから誰かが駆けてくる足音が聞こえる。


「はよ」


 耳からヘッドフォンを外し、翔太が横に並ぶ。


「おはよう。昨日はボス戦に手こずらなかったって顔してるね」


「ん、キャラ名『カズサ』にしたら、なんか最強になった」


 真顔で答える翔太の頭に、拳骨が落ちた。


「~~っ」


「勝手に人の名前使ってんじゃねえ」


 声にならない悲鳴をあげている翔太を不憫に思いつつ、一叶は拳骨を落とした張本人に声をかける。


「おはよう、和佐くん」


「ああ。つか、その手に持ってるやつ、なんだ?」


 一叶は土産屋の紙袋から、少しだけ長方形の箱を出して見せた。


「お饅頭です! 前はいきなり配属先が決まっちゃって用意できなかったけど、今回は前もってわかってたから……」


「真面目か」


 和佐は若干呆れ気味な面持ちだった。


「いいじゃん、今日はコーヒーじゃなくてお茶淹れる?」


「うん、そうしよう」


 翔太に返事をしながら、エレベーターホールにやってくると、ちょうどドアが開いた。すると中にエリクが乗っており、一叶たちに気づくと、ぱっと表情を明るくする。


「おお! みんな、おはようっ」


「おはよう。エリクくん、医院長のところに行ってたの?」


 一叶を先頭に、皆がぞろぞろとエレベーターに乗り込んだ。


「うん、みんなの配属先のこと、報告してきたんだ」


 ドアが閉まると、エレベーターが下降していく。


 今日は京紫朗を除き、全員が日勤スタートだ。進路を決める大事な日の前日だからと、京紫朗が夜勤をひとりで請け負ってくれたのだ。ぎりぎりまで悩んで、自分のためになる選択をしなさいと京紫朗は言ってくれた。


「なんかこの状況、初日を思い出さなさい?」


 翔太が懐かしそうな笑みを口元に浮かべている。


「同じこと思った!」


 嬉しそうに反応したエリクとは対照的に、和佐は感慨深げに言う。


「あのときは、ぜってえこいつらとなんか組めねえと思ってたな」


「え、そう?」


 きょとんとしているエリクの頭を、和佐は鷲掴んだ。


「一番のダークホースがなに言ってやがる」


 確かに、いちばん社交的なエリクが皆に黙って霊病科廃止のために動いてたと知ったときは驚いた。


「でも、エリクくんがいなきゃ、私たち会話すらまともにできてなかったよね……」


 一叶は人見知りで、翔太はゲームばかりしていて、和佐は喧嘩っ早かった。各々、それを承知しているせいか、お通夜のごとく黙り込む。


「でもさ」


 そう切り出した翔太に、優しい眼差しを向けられた。


「俺たちがチームになれたのは、魚住のおかげだよ」


「え?」


 目を瞬かせる一叶の頭に、和佐の手が乗る。


「まあな。お前のお節介がなきゃ、チームになる前に潰れてた」


「だね、うおちゃんって意外と激しいっていうか、押しが強いから、なんかもう気持ちが揺さぶられちゃうんだよね」


 照れ臭そうに笑いながら、エリクも一叶の顔を覗き込んだ。


「……そ、そうかな。でも、私にとっても、皆は目標で特別な仲間で、私の力の源っていうか……っ」


 本音を話すのはなんだか恥ずかしくて、顔に熱が集まるのを感じる。けれど、誰もからかったりはせず、なぜか微笑ましそうに見守られている。


 物凄く、くすぐったい。




 エレベーターを降りて、鳴れた足取りで廊下を進むと、霊病部の前で立ち止まる。


 ドアノブに手をかけた一叶は、皆の顔を見回した。彼らは心を決めたように頷き、一叶はドアを開ける。


「来ましたか」


 中にはすでに、京紫朗の姿があり、あのときと同じで会議用テーブルの定位置に腰かけていた。


「就業義務期間である一年を過ぎた皆さんは、今日から好きな道を選べます。ですが……」


 横並びに並んだ一叶たちの前に立った京紫朗は、困ったように笑う。


「まさか誰も移動願いを出さなかったとは。正直、これは予想していませんでした」


 そうなのだ。一叶たちは部署の移動願いは出さず、この霊病科に残ることを決めた。今度は命じられたからではなく、自分の意思で。


「……私は、すぐにいなくなる者の名前を覚えるほど、暇じゃありません」


 京紫朗はそう前置きをしたあとで、一叶たちの顔を順番に見つめながら言う。


「央くん、エリクくん、和佐くん、そして――魚住さん。今日、皆さんの名前を呼べることを嬉しく思います」


 京紫朗はいつも、一叶たちをオーラの色で呼んでいた。けれど、初めて名前を呼んでもらえて、ようやく霊病科の一員として認められた気がした。


 一叶たちは顔を見合わせると、誇らしい気持ちで笑みを交わす。


「それでは改めて、今日からよろしくお願いしますね」


 京紫朗の信頼に応えるように、一叶たちは声を揃えて返事をする。


「はい!」


 これはわけあり研修医たちが、奇怪な病の治療に奮闘しながら、正式に霊病科フェローになるまでの『はじまりの物語』。


<シーズン1(完)>

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オカルト・メディカル・ドクターズ(シーズン1) @toukouyou

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