《声劇台本》紅茶が褪める日(やくそくがさめるひ)

和泉 ルイ

紅茶が褪める日

現屋(うつつや):和室には似合わぬ洋茶器に温かな紅茶を注ぐ。ゆらりと香り立つ湯気を眺めていれば。

※手鞠歌の通りに歌ってください

夢屋(ゆめや)「一番初めは一宮、二は日光の東照宮、三は佐倉の惣五郎、四はまた信濃の善光寺、五つ出雲の大社…」

※三はの後、歌に被せる様に

現屋「唄が聴こえる。昔懐かしい童歌だ。蓮の葉池の傍らで幼子たちが手鞠をして遊んでいる」

夢屋「ねえ、大きくなったら…わたくしを兄さまのお嫁さんにしてくださいまし」

現屋:穏やかで美しい、あの日々はもう…

夢屋「やはり、私たちは共に生きられませんね」

現屋「やはり、俺たちは共には生きられん」

現屋:始めからそういう定めだったのだ。


※場面変更―茶屋にて

夢屋「…こんな所で遭遇するだなんて、お兄さん案外お暇でいらっしゃるのね?」

現屋:茶屋の店先に出された縁台に腰かけて一等目を惹く紅を差した女が静かに茶を啜る。

夢屋「お口、きけなくなった訳ではないんでしょう?まぁ兄さんの煩いお小言聞かなくて済むのは助かりますけれど」

現屋「この減らず口め。こんなにいい天気なのにお前さんの憎まれ口のせいで茶の旨さも半減してしまうわ」

夢屋「あれまあ!それは大変なこと。それでしたらさっさと店に帰られたらいかがです?あっ、でも兄さんとこは私(わたくし)の店と違って待っていらっしゃるお客様もいらっしゃらないわね」

現屋:首筋でバッサリと整えられた黒髪を揺らしながら面白おかしそうに嗤うこの女は。

夢屋「いくら同業だというてもねぇ、私と兄さんとでは、天と地ほどの差がございますもの」

現屋「そもそも同郷ではあるが同業ではないだろうが。お前は“夢へ落とす”ことを生業とし、俺は“夢から引き上げる”ことを生業としている。同業だなんてやめてくれ」

夢屋「まあまあ!女の尻を追いかけるしか能のない誰かさんに折角優しくして差し上げましたのに…」

現屋「誰かさんの雑な仕事のせいでしたくもない尻拭いの依頼が“山程”舞い込んできてね。ここ最近忙しくて忙しくて。やっとこさ一区切りがついて憩いの店に来たわけだが。なんと驚くことに元凶がいるじゃあないか!小言の一つや二つ言ってしまったって罰は当たらないだろうさ」

現屋:隣に座る黒染小紋を身にまとった女は澄ました顔で手元の椀を見ている。

夢屋「それはそれは。どうやら大繁盛しているご様子で。煩いお小言を聞かされる前にさっさと退散させていただきます。私この後予約がございますの」

現屋「なあ、夢屋」

夢屋「なんです?現屋さん」

現屋「商いを変えるつもりはないのか」

夢屋「またそのお話ですか。ありません。私は今までもこれからも永久に。迷える子羊たちを楽園へ案内し続けます。兄さんはどうなんです?商いを変える気にはなりましたか」

現屋「いいや、俺は過去も未来も永久に。お前が夢に落とし込んだ人々を現実に引き上げながら泡沫に生きていくさ」

夢屋「…そう、ですか。まだ枝葉は分たれたままなのですね」

現屋:女はそう呟いて茶屋から出て行った。まだ暑さの残る秋の始まりの出来事だった。


※場面変更―現屋店内(転寝中)

※手鞠歌の通りに歌ってください

夢屋「一番初めは一宮、二は日光の東照宮、三は…」

※三はの後、歌に被せる様に

現屋:またこの夢だ。生まれ故郷の蓮の葉池。幼子たちのはしゃぐ声。純真無垢な二人はいつしか故郷を出でてこの町へ。

現屋「あの頃にはもう戻れない。俺もお前さんも」

※場面変更―夢屋店内

夢屋「ええ、こちらをお召し上がりください。私が特別にブレンドした此方のお紅茶にこの小瓶の液体を二匙入れて。今夜入眠前に一杯お召し上がりください。まずは立ち込める茶葉の香りを肺に満たして。火傷に注意しながらゆっくりと。十分以上かけてゆったり。身体がぽかぽかとして参りましたらお布団に入って目をつぶるだけでございます。私めが必ず、貴方様を楽園へお連れ致しましょう」

夢屋:現実に疲れやってきた客は嬉しそうに茶葉と小瓶の入った袋を抱えて帰っていった。

夢屋「ご来店ありがとうございました。今宵も良き夢を」


※場面変更ー現屋店先

現屋:茶屋で夢屋と邂逅してから数日が経ったある朝早く。

現屋「ああ?こちとら昨晩遅くまで仕事してんだよ…勘弁してくれ」

現屋:店先の扉を大きく叩く音で目が覚めた。どうも急ぎの案件らしい。

現屋「…数日前に夢屋を訪れたご主人が目覚めない…またか」

現屋:思わず大きなため息をひとつ零し、その場にしゃがみ込む。またお前関連なのか、お前さんはいつまで経っても…。

現屋「かしこまりました。では支度をしてまいりますので暫しお待ちくださいませ」


※場面変更―客の自宅

現屋:客の自宅はあまり他では嗅ぐことのない独特の香りに包まれていた。甘ったるいのに苦々しい言葉では言い表しにくい香りである。あの女から香る一度嗅いでしまえば中々消えてくれない匂い。

現屋:こちらです、と通された寝室には布団に一人の男が横たわっている。顔色は…悪くない。特段良いわけでもないが。

現屋「では、始めましょう」

現屋:懐から留紺色の小箱を取り出し蓋を開ける。中には手製の抹茶飴。飴玉を一つ取り出し、掻敷の上で小さく砕く。その欠片を主人の口に放り込み残りを呷る。他者の夢に入るにはその原因に近いものに触れるのがいい。夢屋が扱う品の材料と同じものを使用して生み出したこの飴が夢に入るための触媒となる。

現屋「さて、俺も行きましょう。ご主人を連れ戻すために」

現屋:ちりーんちりーんと誰かを呼ぶような鈴の音がする。


※場面変更―夢の中

現屋:入った先は菖蒲が咲く湖畔。若い女の声がする。その中でちりーんとまた鈴の音がする。俺を呼んでいる。

夢屋「おや、兄さんもいらしたんです?嫌だわ、今回はすんなり事が運ぶと思っていたのに」

現屋「そう簡単にはいくまいよ。奥さんが俺の店に駆け込むことくらい想定していたのだろう?」

夢屋「ふふ、それはもうきちんと。けれど、まさかこんなに早いとは…少々予定が狂いました」

現屋「それで?ご主人はどちらに」

現屋:女は菖蒲の群れの中、若い女の膝で寝転ぶ男を指さす。

夢屋「あんなにお幸せそうなお顔を見ても、兄さんは連れて帰ろうとなさいますの?」

現屋「それが俺の仕事だからな」

夢屋「苦痛しかない現世に戻らなくとも、この美しい楽園で永久に過ごす方が幸せだと思いませんか」

現屋:女からあの甘ったるい匂いがする。

夢屋「泡沫の幸せより永久の幸せ。苦痛より快楽。苦味より甘味。なんでも願えば手に入るこの楽園こそが、人々を幸せにする唯一の手段なのに。兄さまはどうして理解してくださらないの」

現屋:過去の、もう二度と戻らない甘い記憶の女の子の童歌が幻(き)聴(こ)えてくる。

夢屋「泡沫の時にしがみついて。一体どうするというのです」

現屋「人の生とは泡沫だからこそ、幸せなのだ。永久に続くものはその先に苦痛や歪みが生まれる。それらから目を背けるんじゃない」

現屋:女は可愛らしく首を傾げる。

現屋「永久の楽園なぞ紛い物。流れゆく時に抗いながら藻掻きながら生きるからこそ人の生は輝くのだ」

夢屋「そんなものに価値などございません」

現屋「では選んでいただこう、ご主人。そろそろお目覚めの時間です。奥様がご主人をお待ちですよ」

現屋:いつの間にか若い女の膝から離れ、傍に来ていた主人に話しかける。ご主人はそうか、と小さく微笑んで俺の隣に並ぶ。

夢屋「ど、どうしたのです?まさか帰るだなんて仰いませんよね。ほら、このお紅茶をもう一度召し上がればこれから永久に此処で…」

現屋:主人は女に深く一礼をし、頭を振った。もう十分だと。

現屋「永久の幸せより泡沫の、いや束の間の幸せが性に合う。そんなもんだよ、人間など」

夢屋「人間ではない私に人間ではない兄さまが人間とは何かを語るのですか」

現屋「嗚呼、人間ではない俺が人間ではないお前に語るのだ。人間とは簡単には操れない生き物だと」

現屋:女はきゅっと唇を噛んで悔しそうに俯いた。

現屋「さて、ご主人こちらをお召し上がりください。人肌に冷ましております。ええ、飲み切りましたら瞼を閉じて…先にお戻りください」

現屋:差し出した小瓶を飲み切り瞼を閉じる主人。どこからかちりーんとまた鈴の音がした。

現屋「ご利用、ありがとうございました。どうか幸せな泡沫をお過ごしください」

夢屋「何が幸せな泡沫よ…」

現屋「お前はまだ繰り返すのか」

夢屋「…何度聞かれようとも、私の答えは同じ…。兄さまはどうして。どうして私の手を取ってくださらなかったのです」

現屋「人が不幸せになる道の手助けなんぞ出来んよ。俺らはそう育てられただろう?」

夢屋「…ええ。けれどこれが私が思う幸せの作り方ですわ」

現屋「永久に閉じ込めることがか?」

夢屋「永久の楽園で生きることこそ、幸せ以外の何物でもない。…兄さまは理解してくださらないけれど」

現屋「それを理解してしまえば俺は故郷を出た意味がなくなる」

夢屋「私をお救いになる為に桃源郷から下られたんですものね」

現屋「あそこで共に暮らしているだけではいけなかったのか」

夢屋「私は足りませんでしたわ、あんなぬるま湯のような世界は」

現屋「ならば此処はどうなのだ、お前が望むものは手に入ったのか」

夢屋「…どこかの誰かさんのお陰でまだ当分手に入りそうにありませんの」

夢屋「ねえ、兄さま。あの頃のお願い事はまだ有効でしょうか」

現屋:ぴゅうっと強い風が吹いて女の髪が靡く。

夢屋「大きくなったら私を兄さまのお嫁さんにしていただく、願い事です」

現屋「お前がその商いを畳み、俺と共に帰るというのならば。いつでも」

夢屋「そんなの、お断りしているのと変わらないではないですか…酷いおひと」

現屋:女は吹き込んだ風に舞いあげられた菖蒲の花弁に紛れて見えなくなった。

現屋「お前が変わるというのなら、俺はいつだって」

現屋:お前を娶ってやるというのに…。

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《声劇台本》紅茶が褪める日(やくそくがさめるひ) 和泉 ルイ @rui0401

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