花束むしゃむしゃ

脳幹 まこと

けんかくんかくんか


「あなた、疲れてるのよ。ちょっとは休んだら?」


 最近、妻がそんなことを言うようになったのだが、まったく身に覚えがない。

 大丈夫だよ、と彼女の耳の裏にキスをして会社に向かうことにした。

 しばらく歩いていると、ある電信柱の下に花束が置かれている。痛ましい事故だったのだろう、花束のある場所には激しく擦れた痕跡があり、赤黒いシミも残っているようだった。

 その場で立ち止まって黙祷を捧げる。


「ああ、悲しい事故でしたね」


 いつの間にか隣に男性がいた。黒スーツに青いネクタイ、ビジネスバッグ。見た目は自分と同じ40代くらいか。

 正直どんな内容なのかは知らないのだが、適当に相槌をうってみる。男性はうんうんと頷くと、八百屋のけんちゃんがどうだの、オートバイがどうだのと、うちは4日から出勤で、などと色々と喋りはじめる。

 内容が内容のため「仕事があるのでこれで」とも言いにくく、結局彼の話を延々と聞くことになってしまった。こちとら興味はないが、彼が感極まって嗚咽おえつしてしまったので、どうにも放っておけない。


「ああ、けんちゃん……けんちゃん会いたいよう」


 けんちゃんがおそらくは犠牲となった方なのだろう。しんみりとした雰囲気のなか、誰か来てくれないかなと思いながら、間が持たないので、再び黙祷を捧げる。

 彼は献花の場所にひざまずくと、ゆっくりと顔を花に近づけていく。そして「けんちゃん」「けんちゃん」とぶつぶつ言いながら、フゴフゴと子どもがブタのまねをするときみたいに鼻を鳴らした。

 そんなもんなのかな、と様子を伺っていたのだが、ずっと匂いを嗅いでいた男性が顔だけをこちらに向けて「そういえば」と発した。


「僕はシクラメンが好きなんですけど、あなたは何が好きですか?」


 花の名前なんて細かくは憶えていないので、適当に「スイートピー」と返してみる。


「そうですか。そろそろ旬ですね」


 それだけ言うと彼は顔を元に戻した。意図はまったくわからない。

 そろそろ会社に遅刻してしまうな、と思っていたら、ブタの鼻鳴らしが消え、今度はおいひい、おいひいという不気味な声に変わった。

 あの、大丈夫ですかあ、と覗きこもうとして声を失った。



……食べている。


 この男、捧げられた花を食べている。

 おいひいなあ、おいひいなあと呟きながらとろけんばかりの表情を浮かべる男。


 そうか、こいつこそが最近町内会で話題の「連続献花消失事件」の犯人だったのか……!

 なんということだ。普通のサラリーマンのように見えた外見は擬態だったのだ。


 こうなれば、アイツを呼ぶしかない!!


「献花マーーーーン!!!」


 そう叫ぶと、ビルの屋上からマントを身につけた白装束の男がポーズを取った。

 献花を汚す邪悪な存在を打ち倒す、それが献花マンなのだ。

 その姿を見た男が狂気に満ちた笑みを浮かべる。


「やっと、来てくれたね、けんちゃん」


「献花ビーム!!」と言いながら献花マンは男に強烈なエルボーを繰り出す。

 パンパンに詰まった男の頬がぶふぅとヘコみ、口からは大量のシクラメンの花びらが舞い散る。

 そのままマウントを取った献花マンは、変質者に向けて情け容赦のない攻撃を繰り返す。


 よかった。これでこの事件も綺麗に解決するだろう。

 花のように。


 献花マンの活躍を見届けた後、その足で帰途につく。


 今しがた起こったことは妻にも理解してもらわないといけないため、一部始終を事細かに伝えた。

 彼女は「あなた、疲れてるのよ」とだけ言って、立ちすくんでいる。


 疲れているだって?


 最近、妻がそんなことを言うようになったのだが、まったく身に覚えがない。

 大丈夫だよ、と彼女のくるぶしにキスをして会社に向かうことにする。

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