第4話 スポーツ観戦
「あ、倉本さん、お久しぶりです」
そう言葉にしながら、俺はその男性客に向かって、軽く頭を下げた。
それに応じて倉本さんは、軽く片手を上に上げる。
「よっ! おや、お連れさんかい?」
「はい、同じクラスの、一条姫乃さん」
「へえ、相変わらず、お前も隅におけないねえ。こんな可愛い子と一緒なんてな」
「え? あの、はは……」
突然の乱入者に一条さんが苦笑いを浮かべる中、常連の男性客が目ざとく彼を見据えて、
「おおっ、もしかして、倉本選手!?」
「どもお、倉本瞬っす!」
「やったあ、超ラッキーだあ! サ、サインもらえませんか?」
「ええ、いいっすよ」
長身で茶髪長髪の倉本さんは、白い歯を輝かせながら、陽気にサインに応じている。
「ねえ畑中君、あの人誰?」
「ああ、俺の2つ上の先輩でね。そこのチームの選手だよ」
「そこって……Jリーグのチーム?」
「うん。『東京アークナイツ』の選手だよ」
「はああ!?」
倉本さんもまだ高校生で、そのチームの下部組織であるU18のチームの所属だが、その才能を買われて、トップチームの試合にも参加している。
サインを終えて、余った椅子を引き寄せて、こちらに向き直った。
「で、お二人はどういうご関係?」
「あの、ただのクラスメイトですよ」
「へえ。なら、俺が口説いちゃってもいいのかな? どう、彼女?」
「いえ、あの……」
突然のことに、一条さんは戸惑って、顔をしかめる。
「倉本さん、もうその辺で。ところで、今日は試合じゃあないんですか?」
「それがなあ、最近遅刻が続いちまって、今謹慎中でな。ベンチ入りできないんだ」
「相変わらずのやんちゃぶりですね。それでここへ?」
「ああ。謹慎中は会ってくれないって彼女が言うもんでな。だからどうせなら、ここで飯でも食いながらと思ってな」
倉本さんは右手を高く上げて、
「あ、奥さん、俺サーロインとコーラ頼むっす!」
「瞬君、分かったから、あんまり陣君の邪魔するんじゃないわよ」
「はは、俺邪魔者ですか? じゃ、いつもの席に行きます」
そう言って席を立ちながら、
「お嬢さん、陣と一緒ってのは、お眼が高い。あんな事がなければ、こいつだって……」
「倉本さん、もうその辺で!!」
「お……悪い。じゃあな」
爽やかな笑顔を残して、倉本さんはカウンターのテレビに一番近い場所へと移動していった。
「ごめんね、驚いたでしょ?」
「うん、ちょっと…… ここって、サッカー選手が来るの?」
「まあ、昔のよしみとかでたまにね。それより一条さん、サッカー興味ある?」
「いえ、あんまり見ないけど……」
「そっか。もうじきここ、スポーツバーみたいになるからさ」
「え、何それ?」
「『東京アークナイツ』の試合中継がある時は、結構な人が集まるんだよ」
試合中継の開始時間まで1時間を切ったあたりから、徐々に来客が増え、気づけばほぼ満席状態になった。
「まあ、興味があったら見てってよ。俺ちょっと、自分の飯食ってくるからさ」
そう言って席を立とうとすると、おかみさんが静かに声を掛けてくれた。
「陣君、今日はいいから、好きなの言いなさい。あの人に作ってもらうから」
「……すみません。じゃあ、カツカレーで」
「はい。カツカレー一丁!」
すると、ほどなくして何故か、カツカレーと一緒に、ハンバーグとエビフライが乗った皿、それにオレンジジュースがペットボトルごとくっついてきた。
「なんか沢山きちゃったね。よかったら、一条さんもつままない?」
「うん、食べる! 美味しそう……」
倉本さんの姿があるせいか、今日はいつも以上に盛況で、テレビ画面からキックオフの映像が流れる頃には、ビール片手の立ち見客までいた。
プレーの1つ1つに大歓声が沸き、ため息が漏れ、またみんなで騒ぐ。
マスターも料理の合間に顔を出して、画面に見入っている。
「なんかお祭りみたいね」
「そうだね。これで勝っちゃったら、日が変わるくらいまで、みんな騒いで帰らないからね」
「え、あれ、どうなったのよ?」
「あれは、オフサイドっていう反則なんだ。相手のディフェンダーよりも前で、パスを受けちゃいけないんだ」
一条さんも興味をもってくれたみたいで、画面に見入っている。
後半の中頃に、オーシャンブルーのユニフォームの選手が、右足を振り抜いて相手ゴールを揺らした。
東京アークナイツの先制に、店内の興奮が一気に加速する。
客達が互いに肩を組んで、雄たけびを上げる。
「お姉さん、乾杯!」
「お嬢ちゃん、勝利の女神みてーだわ!!」
「ははは……」
全然知らない、顔を赤くしたおじさん達に絡まれて、一条さんが苦笑する。
『ピイイ――!』
試合終了のホイッスルが鳴り、店内が大歓声に包まれた。
1-0で、東京アークナイツが勝ったのだ。
大人達が異様な大盛り上がりを見せる中、
「畑中君、私そろそろ」
「あ、そうだよね。もう結構遅いし」
時計を気にした一条さんが席を立つと、おかみさんが顔を綻ばせながら、
「陣君、せっかくだから、送って行ってあげなさいな。今日はもう、戻らなくていいから」
「え、でも、これからまだ、大変でしょ?」
「酔っぱらいの相手くらい、私とあの人でなんとかなるから。また今度お願いね」
「……はい、ありがとうございます」
少し前に脱ぎ捨てた制服を回収して、一条さんと一緒に店を後にした。
「遅い時間まで、ごめんね」
「ううん。なんか面白かった」
「そう? ならよかったよ」
「お店もそうだけど、畑中君もね」
「え、俺?」
きょとんとする俺に、一条さは軽く笑みを送ってくれて、
「うん。だって、全然学校のイメージと違ってたし」
「まあ、そうかな。誰にも言ってないからね、あれ」
「じゃあ、私たちだけの秘密ってこと?」
「できたら、そう願いたいな。広まっちゃうと、色々と面倒くさそうだし」
「ふーん……」
一条さんの最寄り駅は、俺のそれと隣なのだそうだ。
ひとまず一緒に電車に乗って。
途中からさよならをすることになりそうだ。
「ねえ、畑中君って、サッカーやってたの?」
「え、分かる?」
「うん。だって、どう見ても好きそうだし、それに先輩が、それらしいこと言ってたしさ」
「まあ、ね。中学までは」
「やめちゃったの? なんで?」
「それはまあ、色々あってね……」
あまりつっこんで欲しくない質問に、俺は咄嗟に話題を変えた。
「そういえば、一条さんは、これからどうするの?」
「え、私?」
「うん。オーディション、また受けるの?」
そんな投げ掛けに、一条さんはその場で足を止めた。
「よく分かんない、私も。どうしたらいいのか。もともと友達が勝手に応募しちゃったから始めたんだけど、やっていくとどんどん楽しくなって、仲間もできて。でもちょっと疲れたから、少しゆっくりしてから、考えたいかな」
そう静かに吐露する一条さんが、普段とはちがって何だか儚げに見えて、俺の心根をくすぐった。
「俺、一条さんが推しなんだ」
「え?」
「オーディション見たよ。一条さん、すごく格好良くて可愛くて。俺の中では一番だった。だから、一条さんは、俺の推しになったんだ。続けようと続けまいと、関係ない。俺は、一条さんを応援するよ」
そう、思っていたことを口にした。
今は何も考えられないかも知れない、それは仕方がないだろう。
夢を追いかけるのも、普通の高校生に戻るのも、どちらの彼女も素敵だと思う。
だから、どっちも応援してあげたい。
「ふふっ、なにそれ? 変なの」
「ごめん、変なこと言っちゃったかな」
「……でも、ありがとう」
一条さんは今日一番の、幼子のような柔らかで屈託のない笑顔を、俺に向けてくれた。
電車が駅で止まっても何だか離れがたい空気になって、一緒に降りてから、改札口まで彼女を見送った。
「じゃあ、また学校でね、陣!」
そう言葉を残して彼女は、改札を出て彼方へと消えて行った。
途中で何度か立ち止まり、こっちに向かって手を振りながら。
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